意識

 天幕の片隅で、ウィゼルはルークを見つけた。

肩にサクルを乗せ、天幕のそばで足を投げ出して座っている。足元には無造作に散らかされた布切れと、短剣が一本。ウィゼルは、ルークの手元に目を凝らした。握っていたのは四角く切り裂かれたルークの覆面ニカブ。布地の上には、文字のような黒いものが記されていた。


(怪我人は大人しく寝ていろとか言ったくせに、自分はどうなのよ……)


 タウル達による襲撃の後、更に一波乱あったのをよく知っているウィゼルは、眉をつり上げた。気絶する前に、ルークが叫んだ言葉が原因だった。


 アル・カマル皇国第二皇子ルシュディアーク。

 彼の放った言葉は、混乱するイスハークの人々を更に混乱させた。


(あのとき、どれほど大変だったか……!)


 襲撃の後、ウィゼルは真偽を確かめようとした人々に取り囲まれた。間の悪いことに一番事情を知っているイスマイーラは怪我の手当てで忙しく。アズライトについては問題外。他にあてになりそうな人はおらず、結局、ウィゼルが場を収めることになったのだが。その大変さといったらなかった。人々が事情を言いたいことを口々にまくし立てるせいで、場をとりなそうとしたアリーすら匙を投げるような有様だったのだったから。

文句を言ってやろうかとルークを睨み、やがて肩を下した。サクルを大事そうに抱えている姿に、気勢を削がれてしまった。

ルークが包帯だらけの腕にサクルを乗せ、投げるように飛ばした。サクルは慌てたように羽ばたきながら空へ舞い上がり、空中で弧を描いてルークの腕に戻ってしまう。それを、何度も、何度も繰り返す。何度も飛ばしては戻ってくるのに堪えきれなくなったのか、ルークは腹を抱えて笑い始めた。


「なんで俺のところに戻ってくるんだ」


 ルークの肩に止まったサクルは、ふっくらとした羽毛の中に黄色いくちばしをつっこみ、毛づくろいを始めてしまった。


「もしかして、道を忘れたのか?」


 しかたのないやつだと笑みながら、ルークはサクルの胸毛をそっと撫でた。その横顔が、まるで別人のように穏やかであったから、隠れて眺めていたウィゼルは、面食らってしまった。


(あんな表情かおで、笑うんだ……)


 いつも気難しい表情で偉そうなことばかりを吐き出すルークが、いまは朗らかな笑顔を浮かべている。いままでそんな明け透けな表情をすることの無かった、彼が。ふと、アルルを探しに行った時のことを思い出して、ウィゼルは顔を赤らめた。


(なんでこういう時に、思いだすかな……)


 二人でボラクに乗った時、ウィゼルの腰に回されていたルークの腕の感触。頼りなさそうな腕にみえたけれど、本当は、意外なほど力強い腕だった。背中越しに感じた薄い胸板も、手から伝わる体温も。

他人に触れられることに慣れていなかったウィゼルの内心は、それはもう酷い有様で。更に耳元で囁かれてしまっては参ってしまう。もっとも、囁かれた言葉は、愛とは無縁だったけれど。あのときのルークのぬくもりを生々しいほどに思い出してしまい、ウィゼルは慌てて顔を振った。


(べつに、気になるとかそういう事なんてこれっぽっちも思ってないのに)


 全く意識をしないわけには、いかなくなってしまった。


(駄目よ、相手は皇子じゃない。元、だけど!)


 サクルに甘えられて、くすぐったげに笑うルークの横顔から、ウィゼルは目が離せなくなっていた。


「……珍しいでしょう?」


「べべべべべつに、変なこと考えてないわよ」


「変?」


 イスマイーラが、ぽかんと口を開けていた。顔が熱い。


「……何でもない」


今にも消え入りそうな声で言って顔を背けると、苦笑する気配がした。彼もまた、ウィゼルと同じようにルークをみつめていたらしい。小さく息を吐くと、また、ルークの方へ顔を向けた。


「私も少し驚いています。前からあのように笑う方ではありませんでしたから」


「いままで、誰にも心を許せなかったのよ」


”皇族であるがゆえに個人ではなく、公人として立ち振る舞わなければならない。”


 前にルークが皇子らしくいなければいけないと言っていたのを思い出して、ウィゼルは少しだけ胸が痛んだ。普段軽口を言い合っていても、内心の情は決して明かすことが無かったのは、このためだ。


「ルークはずっと、ルシュディアークだったんだわ」


「本人もそう仰っておられた」


「もう皇子じゃないのに、ね」


 ルークとして生きたらいいのに、彼はまだ、第二皇子ルシュディアークのつもりで生きている。廃嫡されたというのに何故、まだしがみつこうとするのだろう。隣国との戦争が迫っているせいか。それとも、ルークの生い立ちと立場が、容易には使命を捨てさせないのか。ウィゼルにはルークの本心が分からなかった。分からないがゆえに理解したかった。何故、そうまでして自分一人で背負い込もうとするのか。その答えを知るような顔つきで、イスマイーラは言った。


「ルークはこれからも、ルシュディアークとして生きてゆくと仰られていました」


「まさか」


「今夜、ウィゼルに話があるそうですよ。ルーク―――いえ、殿下のいう事を、きちんと聞いてもらえませんか」


 覚悟ともとれる言葉が重くて、ウィゼルは気落ちしたように頷いた。


「……お願いされなくても分かってるわよ、そんなこと」


 分かっているのに、受け止められない自分がいた。イスマイーラにはっきりと言われなくても、いつかは別れるのだって覚悟していたのに。


(でも、どうしてこんなに哀しいんだろう)


 一際楽しげな笑い声から逃げるように、ウィゼルはルークに背を向けた。




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