手紙を託して

「じゃあ、俺はそろそろ」


「なんだ、もういいのか?」


「ええ。そろそろ見回りのやつらの様子を見てやらないと……ごちそうさまでした、空の皿は持っていきます」


 ハリルが天幕の外に出ようとすると、顔を真っ赤にして立ち尽くしているウィゼルの姿があった。


「……噂をすれば、なんとやらってやつですかね」


 話を全て聞かれていたのだろうか。いや、全部ではないはずだなんて微かな希望が無いことは、ウィゼルの顔色を見れば分かった。


「ハリルのせいだ……」


「俺のせいにしないでくださいよ。というより殿下こそ俺の話に付き合ったじゃないですか、同罪ですよ!」


「誘導したのはお前だぞ!」


「確かに誘導はしましたけど、答えろとは一言も言ってませんよ。というか勝手に喋りはじめたのは殿下でしょう!?」


「ほう、誘導に関しては認めるんだな?」


 ハリルが、薄く笑った。


「いきなり深刻な話をしだしたら、殿下だって困るでしょう。だから応えやすいお話をして、頑なになった心を解きほぐしてから本題に移ろうとしたんです。その必要は無かったようですけどね!」


「本題よりも気を遣う話だったがなあ」


「あのう……」


 聞くだけで心細くなるような声色が、ウィゼルの後ろから発せられた。

ウィゼルに庇われるような態で顔を出したのは、枯れ木のように細い体つきの気の優しそうな青年だった。遠慮がちにルークへ会釈をし、ハリルの顔色を伺うような顔つきで、青年は囁くように話し始めた。


「偵察に行ってきた奴が戻ってきました。その事で、あの……ちょっとお話が」


 最悪の事態を想像してしまいたくなるほどの深刻な声色に、三人が顔を見合わせた。


「今、何処にいます?」


「広場で休ませています。その……」


「うん。いや、歩きながら事情を聞いたほうが良さそうですね。そういう事ですから、悪いですけど、ごゆっくり!」


 青年の言葉が言い終わらない内に、ハリルは空になった器を置いたまま逃げるように天幕を辞してしまった。あまりにも素早い行動へ呆気に取られてしまったのは、ルークもウィゼルも同じで。

居心地の悪さを感じながらルークは再び座りなおすと、残ったラダをゆっくりと飲み干した。すっかりぬるくなってしまったラダは、味気の無い乳臭いだけの飲み物に変わってしまった。当然、カシアの甘い香りは飛んでいる。おかわりが欲しかったけれど、ラダが入っていた器は空っぽだった。


「とりあえず座ってくれ。ああ、夕飯は食べたか?」


「え、あ、うん。終わってるけど……」


「じゃあ、イスマイーラから話を聞いているな。詳しい話をする前に渡したいものがある。今用意するから少しだけ待ってくれ」


 ぎこちない表情で対面に座るウィゼルを、ルークは直視できなかった。身体ごと背けるようにして自分の荷物を引き寄せると、鞄の中をまさぐり始めた。綺麗に折り畳まれていた替えの衣服を適当に鞄から放り出し、昼間使っていた布切れを数枚ひっつかんで盆の上に敷く。そこに鉱石光サナを近付けた。ほんのりとした青白い光が、白い布地をぼんやりと照らした。まだ薄暗い事に眉をしかめ、傍にあった鉱石光サナを三つ引き寄せる。ようやく物をかけるくらいの明るさになったのを確認すると、今度は獣の脂と灰を混ぜ合わせた墨を枝につけて文字をしたため始めた。


「……さっきの話なんだけど」


 ウィゼルが、所在なさげに両の手指を遊ばせる。言葉の意味を察するより早く顔が熱くなった。


「忘れてくれ」


 ウィゼルがおかしげに噴き出した。


「案外元気そうじゃない」


「誰かさんのお陰でな」


「持つべきものは下品な友かしら?」


「悪かったな。俺もあいつも下品で」


 ううん、そうじゃないの。そういうことを言いに来たんじゃないのと、ウィゼルは独り言を呟くような声で囁いた。


「あのね、本当は私、一緒に逃げようって言いに来たの」


 文字を書き綴っていた手が、一瞬止まった。それはほんのわずかなことで、ルークは再び文をしたため始めた。


「魔族になったという理由で処刑されかけて、やっとのことで城から逃げ出せたと思ったら命を狙われて……理不尽すぎるじゃない。そんなことをされてまで国を守ろうとなんてしなくていいと思う」


「俺が城から逃げた理由は、確か前にも話したか?」


「アル・リド王国と同盟を組むために人質となる、だったわね」


「戦争が始まったせいで、同盟の話は立ち消えてしまったけどな。俺も用済みだ。こういう時、本当なら俺の護衛で看守も兼ねるはずのイスマイーラに殺されなくちゃならなかった」


「……やっぱり、そうだったの?」


「ウィゼルも、イスマイーラがただの護衛じゃあないだろうと思っていたか」


 ウィゼルが苦い顔で頷いた。事情を知ってしまえば、自ずと想像がつくのだろう。イスマイーラの本来の役割が護衛ばかりでは無いことを。


「そう心配することはない」


 少し前のことを思い出すように、ルークは真一文字に引き結んでいた口元を緩めた。


「何を思ったのか、ちょっと前に、あいつもウィゼルと同じような事を言ってきた事があってな。もう皇子じゃないのだから、ルークという一人の少年として生きてみたらどうだと。いまなら逃亡しても見逃してやれるとまで言ってきた」


「じゃあどうして」


 逃げようとしないのか。

 強張ったままのウィゼルの表情が、言葉にしなかった問いを語っていた。


「……嫌だったんだ、逃げるのが」


 逃げてしまったら、これまで自分を生かしてくれた人々の想いをふいにすることになる。それに、戦争で破壊されてゆく国をただ眺めていたくもなかった。


「偉そうに言う割には、何にもできなかったけどな」


 思うままにならない現実に憤り、自分自身の不甲斐なさに悔しさすら覚えていた。けれど、ラビと出会い、ハリルに再会してから憤りは決意に変わった。既に起こってしまった結果を嘆くよりも、いま出来る事をしたいという決意へ。


「俺はハリルと共に、カムールの兵士達を引き連れて戦おうと思う」


 最初の頃のように、イダーフに命令されたから仕方なくやるのではなく。自分自身の意志でやる。たとえ行為の結果が破滅しか招かないのだとしても、何もせずに逃げるよりは立ち向かいたかった。


「迷いながら自分のこれからを考えられる。そういう自由があるのは良いものだな。その、巻き込んで悪かった」


 青白い顔で絶句したウィゼルを、真剣な表情でみつめた。


「迷惑ついでで悪いが、ウィゼルに荷運びチャスキとしての依頼がしたい。今から手紙を渡すから、それを城にいるイダーフに届けてくれ」


 依頼料はこれで足りるだろうかと、ウィゼルの前に銀貨を一枚置いた。城から出る際に所持していた旅費の一部だ。全部で四枚あった銀貨は、旅を続ける間に二枚を使い、一枚をウィゼルに渡せば手元に残るのは銀貨一枚。今のルークが工面できる精一杯だった。


「旅路を考えれば少ないかもしれない。でも、俺もあまり手持ちが無くてな」


 これで許してほしいと、ルークは苦笑した。


「……ルークはそれでいいの?」


「自分で決めたことだ。それに、不遇な境遇を嘆くより、そんな自分を活かす方法を考える方が余程に有意義だという事を教えてくれたのは、ウィゼルだぞ?」


 ここにきて漸くウィゼルが言わんとしたことが理解できた気がしていた。変わらない境遇を嘆き続けるより、嘆くような境遇を変えるために自分が動かなくては。それ以外に今を変えられるものは無い。


「俺はアル・カマル皇国第二皇子として、すべきことをす」


 瓦解寸前のカムール部隊を繋ぎとめるという、ルシュディアークにしかできないことを。決意をはっきりと述べた時、不思議な心地良さを感じた。それは閉じた藪を抜け、広大な海原を前にした時のような、あの快感に似て。


「……生きて欲しいという人の気持ち、考えたことある?」


「もちろん。だからこそ出来るだけ長く生きるという道を選んだつもりだ。案ずるな、悲観するほど後ろ向きな気持ちで自分の進退を決めたわけじゃない」


 ウィゼルがあり得ないものを見たような表情で首を振った。それへ、ルークは落ち着いた声色で応えた。


「それに今の俺は公式には死人になっている。ハリルの話によれば、俺や父上が死んだことすらカムールには伝わっていないらしい。本来届かなければならない情報が入ってきていないんだ。そんなところへ、俺がカムールに来ているかもしれない。もしかしたら捕虜になっているなどと嘘の情報を流されたら、ハリル達はどうなると思う?」


 ちょっと考えればわかると、ルークは続けた。


「混乱するんだ。今のハリル達は、そういう状況にいる。だから俺が居なければ駄目なんだ。俺の存在があやふやなせいで混乱するならいっそ、俺が名乗りを上げたらいい。俺はカムールにいる。そしてハリル達と共にいる。ただこれだけで、ハリル達は嘘の情報に惑わされて混乱することがなくなる」


 幸いにして、五年前のカムールの内乱がルシュディアークが皇子であるということを証明してくれている。あの時のルークをはっきりと覚えているのは、ハリルと、ハリルに率いられているカムールの者達の中にも大勢いる。ルークの出自は証明されたも同然だった。


「でも、アル・リド王国側も情報を掴んでいる。サルマンは義姉が死んだことを知っているし、同盟を組むために俺が捕虜に出されるという話も耳に入っているだろう。俺がカムールに来ているかもしれないという事も、恐らくは予想しているだろうと思う。でも、まだ予想どまりだ。タウルが本当のことを漏らすまでは、まだ」


 そこが、ルークの狙いでもあった。


「不確定要素の強い情報は、強みになる」


 ルークは、いたずらを思いついた子供のような口調で言い放った。


「サルマン達が握っているのは、限りなく正確に近い情報だ。けど、俺とハリル達のように、しっかりとしたものじゃない。となれば、その”あやふやな情報”を利用してサルマン達を逆に混乱させることが出来るかもしれない」

 

 あくまでも、”かもしれない”という領域でしかない。ルークにとっても、サルマンにとっても不確定要素の多いそれは、いわゆる、賭けというやつ。


「もし成功すれば、サルマン達を邪魔できるかもしれない。そうなれば、硝子谷で防備を固めている奴らの時間稼ぎも出来る。その為には、ウィゼルの力がどうしても必要だ。だからどうか、銀貨を受け取って欲しい」


 手紙を書き終えたルークが顔を上げたその時だった。左頬に痛みがはしったのは。目を白黒させたルークの胸倉を掴み、ウィゼルは怒りに顔を紅潮させて叫んだ。


「死ぬつもりで守られたって、全然嬉しくない!」



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