魂の叫び

「蛇は、俺の眼であり、手でもある。お前の企みも話も全部筒抜けだったってことだ」


 失笑するタウルの、その声に慟哭どうこくが重なる。


”誰か、誰でもいいから、俺達を助けてくれ!”

”お前だけは、信じていたのに。何故裏切る!”


 幻聴のような響きは止まない。タウルの話していることが幻聴と重なって、イスマイーラにはもはや何の話をしているのか分からなくなっていた。


「聞こえるか」


 訝し気にするイスマイーラに、タウルは自身の頭をつついた。


「さっきからうるさいだろう。お前が喚くんだ。本当に、それでいいのかと俺の正気を問いかけてくる。故郷を滅ぼしたところで俺達は自由にはなれないのだと好き勝手にな。あまりにうるさくて仕方がない」


「それはこちらも同じ。さっきから貴方の泣き言が煩くてたまらない」


「そうか。俺の声に聞こえるのか」


 ほんの少しだけ、タウルは意外そうな顔つきをして、苦笑を口元に浮かべた。


「この蛇は、人のを明け透けにするらしい」


 ともすればこの声は。イスマイーラは愕然とした。

 あのタウルの怒りは。

 憎しみも。

 哀しみも。

 祈りだったのだ。

 願いだったのだ。

 助けを呼ぶ声だったのだ。

 シリルの悲劇からずっと、タウルは叫んでいたのだ。

 憎い、憎いと言いながら心は今でも必死に助けてくれる誰かに手を伸ばしている。

しかしと、イスマイーラは嘆きを断ち切るように剣を構えた。

タウルだけは決して、生かしておいてはいけなかった。いまここでタウルを殺してしまわなければ、きっと後悔する気がして。

タウルへ向けた剣の切っ先が、イスマイーラの迷いを表すかのように震えた。


「それをはやく殺せ」


 それを。言い指す方に視線をやると、首に赤い蛇を巻きつけたアズライトが、虚ろな視線を向けている。彼女の紡ぐ歌は、ずっと続いていた。


「お前は後で繰る。第二皇子と共に居たお前なら、密偵としていくらでも使える。しかしそこの女は魔族だ。しかもなんだ、蛇を実体化させて何事かに干渉してくるなどと妙なことを言い、あまつさえそれを実行してみせた。それ相応の力があるのなら、危険な芽はすぐにでも摘むべきだ」


 いや――――と、タウルは何か閃いたような顔つきで、蛇を巻きつかせた腕でアズライトを差し、言った。


「やはりやめだ。うん、こうしよう。それにお前を


 イスマイーラの利用価値よりも、アズライトの魔族という力が利用価値の点では上回ったのだろう。タウルが言い放った瞬間、アズライトの首に巻きついていた蛇が、耳の中へぬるりと潜り込んだ。歌が奇妙な音程を上げ、危険な悲鳴に変わった。途端、ふっつりと止んだ。

だらりと上体を放り出し、束の間屍のように佇んでいたかと思うと、ゆらりと身体を動かした。まるで吊り糸で繰られたように左腕を中ほどまで掲げると、掌に赤い光を灯らせる。拳大の光は徐々に強くなり、やがて棒状となった光の末端を握ると、光は剣の形を成した。

切っ先を、イスマイーラへ向ける。


「殺せ」


 アズライトがイスマイーラを斬りつけるのと、タウルの手勢が加勢したのは同時だった。四方から襲い掛かってくる刃を弾き、イスマイーラは一人を斬り捨てた。更に前へ踏み込んで側面からやって来たもう一人を斬り倒すと、イスマイーラはアズライトの刃を受け止めた。刃を火にかざした時のような焦げ臭い匂いが、むっと香る。刃を流すように滑らせて前へ押し返すと、足を払った。転倒したアズライトを飛び越えるようにやってきた一人の胸倉をつかむと、斬りつけてきたもう一人の男の方へ放り投げる。二人がもつれ転んだ瞬間、イスマイーラは最後に残った男を斬りつけた。あっという間の出来事だった。

呻く男達の中で一人、アズライトが起き上がった。震えるような手つきで耳飾りに手を伸ばし、それを一気に引きちぎると、再びばたりと倒れた。


 タウルは四人とアズライトを一瞥すると、侮蔑するように鼻を鳴らした。その背後には、自我を蛇に喰われ、タウルの傀儡となった人々がゆらゆらと佇んでいる。


「多勢に無勢だな」


 倒れたままのアズライトを背に庇いながら、イスマイーラは剣の切っ先をタウルに向ける。その瞬間、イスマイーラの首に何かが巻きついた。すべらかで冷たく、細長い縄のようなもの。それが、鎌首をもたげた。


 赤く輝く蛇だった。


 首を掻き毟るように蛇を掴むと、赤い蛇は、あっという間にイスマイーラの耳の中へ頭を潜り込んだ。

ずぐんと脈打つ鼓動。吐き気がした。腹の底がむかむかとして、えづくように唾液と咳を吐いた。耳から入り込んでくる冷たい感触が、頭の芯をぼうっと痺れさせていく。自分の手足が自分のものではなくなっていき、やがて自身も何処かへ消え去ってしまうようなおぞましくも冷たい感覚と、息が止まりそうなほどの圧迫感のなかで、イスマイーラは取り落とした剣を手に取った。

刃の先端を、蛇が絡みついた首に向ける。小刻みに震える手が、刃が蛇の胴体に触れた瞬間、手が止まった。

小刻みに震えながら、刃が蛇から離れてゆく。見えない手に引っ張られるようにゆっくりと引き剥がされ、やがて剣の切っ先がアズライトへ向いた。


「再度命じる。を殺せ」


 刃がアズライトの首にあてがわれる。アズライトは何処とも知れぬ場所に視線を向け、奇妙な言葉をとんでもない早口で紡いでいる。

イスマイーラは抵抗するように剣を手から離そうとした。

しかし、万力で固定されたように手は柄から離れない。刃が、わずかに震えるばかりだ。やがて、その震えに首を傾げた。

手だけかと思われた震えは、足元から。もっといえば、踏みしめている大地から。不意に、イスマイーラの耳に、竜の雄叫びのような声が届いた。無数の竜が雄叫びを上げ、大地を揺すっているような。いや、揺れているのだ。大地が鳴動している。

タウルの顔が曇った。

その時だ、蛇の腕輪が砕けたのは。

焔硝がさく裂するような音を立てて砕けたと思えば。続けざまにやってきた大きな揺れに、その場にいた全員の体が傾いだ。


 イスマイーラはふっと、身体が楽になったのを自覚した。妙な爽快感に首を傾げながら、揺れの中でアズライトの体を引き寄せると、落ちてくる石から庇うように身を屈めた。濛々もうもうとたち込める粉塵の中で、はっきりと見えたのは、アズライトから伸びる赤い糸と大地の亀裂。

ぴしり、ぱきりと大地が鳴いた。立っていられなくなるほどの激しい揺れの中で、轟々とした水の音が遠くから聞こえてきた。


(ムトの道が、崩れる)


 いつかクムシュが語った話が、脳裏に浮かんだ。


 ”大地が大きく揺れ動いた後、道が大地に飲まれるように消えていった。”


 大地に大きな亀裂が走った。そこから、黒々とした泥が吹き出し、イスマイーラの立つ岩窟の方へ押し寄せてくるのが見えた。

あっという間に、入り口側にいた三人の人影が泥に飲まれる。それを、タウルが驚きをもって振り返った。イスマイーラがはっとする間もなく、泥は濁流のように押し寄せ、タウルとイスマイーラの体を飲みこんだ。

全身を打ち付ける激しい痛みの中で、イスマイーラはタウルの腕を掴むと、ぐいと引き寄せた。重石のような感覚と共に、ほのかな赤い光が視界の端で明滅するのを認めた。ほんのりとした温かいものが、しっかりと腕に触れると、イスマイーラの世界が闇の中に閉ざされた。



              ※


 しん。と、静まり返った闇の中で、小さな温もりがイスマイーラの手を握っていた。


(……エラム?)


 二十年も昔に死に別れた実の妹の名を呼び、手を握り返してくる少女の姿をはっきりと見てイスマイーラは肩を落とした。自身と同じ褐色の肌でもなければ、顔つきも違う。エラムとは程遠い、白雪のような肌に薄金色の髪の少女がいた。目が合うと、薄金色の幼い瞳がほほえんだ。

その笑顔が、つい最近まで一緒にいた気の強い少女と重なった。


(まるで、ウィゼルのような)


 しかし、少女の小さな丸い耳は、ウィゼルではない事を示していた。

少女は遠慮なく、ぐいぐいとイスマイーラの手を引っ張る。五歳ほどの子供の力とは思えぬほどの力強さに、イスマイーラはつられるように歩き出した。


 気が付くと、イスマイーラは何処かの広場に佇んでいた。

見たことも無い沢山の緑と、天に届かんばかりの巨大な白亜の塔が広場の周りに乱立している。同色の石で均された大地には、白い煉瓦で作られた花壇が、色とりどりの花々を抱えていた。

広場の中心には小高い丘のような緑があり、更に奥まった場所には城の庭園で見た事のある大きな噴水が、透き通った水を流している。

少女はイスマイーラの手を離し、ぱっと、丘の方へ駆けだした。見た事のない白い綿毛のような花々を摘みながら、嬉し気な声を向けた。


「あのねー、きのう、ルーシィにお花のかんむりの作り方をおしえてもらったの」


「ルーシィが?」


 思いもしない言葉がイスマイーラの口から洩れた。ルーシィという人が誰であるのか。少女が一体何者であるのかは分からない。一体どこの誰であるのか全く分からないのに、少女と、誰とも知れない自分との会話は続く。


「うん。ルーシィは、リーファに教えてもらったんだって」


(リーファ?)


 誰だ、それは。ぱっと思いつく限りで思いうかぶのは、神話に登場する女の名前。鉄女神マルドゥークの司祭だった女で、人形と共に魔王ワーリス側へ寝返ったという

少女は綿毛のような花々を両手いっぱいに抱えると、イスマイーラの傍で花を広げ、一本一本を絡めるように編み始めた。


「ここをこうして、こーして。茎が折れちゃわないように優しく編んであげなくちゃ駄目なんだって」


 小さくて愛らしい指が器用に花を編んでゆく。中ほどまで作ると、くるりとわっかにした。少女はイスマイーラの頭を見て、しばらく考え込んだあと、もう一度花を編み始めた。


「出来たお花のかんむりをルーシィにもあげたんだけど、ルーシィは僕よりも君のほうが似合うんじゃないかなって、すぐにとっちゃうのよ」


 少女の頬が、ぷくっと膨れた。


「ルーシィの青い髪に、白いお花のかんむりはきれいだと思うんだけどなあ。なんだかもったいない」


 少し機嫌を悪くした少女に、イスマイーラは苦笑した。少女の純粋さとその素直さに。そのあけすけな態度に、なんとなく、死に分かれた妹の面影をみて。


(エラムも、そうだったか)


 もっとも、この少女のように花を愛でるというよりも、刀剣に興味を示す豪胆な少女だったけれども。懐かしさに暖まった気持ちは、続く言葉で冷え切った。


「ね、も青い髪だよね」


 と、少女が顔を覗き込む。


「ルーシィがおひさまの昇るあおぞらの色だとしたら、アズライトはおつきさまの昇るよぞらの色だわ。ルーシィの髪よりも深い青だけど、とってもきれい。このお花の冠も、きっと似合うとおもうの」


 そういって、少女は出来たばかりの花冠を差し出した。


「アズライトにも、どーぞ」


(まった。私は、アズライトでは……)


 ぐんぐん迫ってくる花冠の輪。強い草の香りが――――いや、金臭い香りが、イスマイーラの目を覚まさせた。


「生きていますか、イスマイーラ」




当サイトに掲載されている写真、イラスト、文章の著作権は早瀬史啓に帰属します。無断での複製・製造・使用を全面的に禁止します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る