皇都を背に

 夜の内に抜け出したアル・カマル皇国の皇都ザハグリムは、すでに遠くにある。

広大な草原へにじむように広がる城壁に、ルークは目を細めた。


 皇都ザハグリムは、南方大陸の西端にある。

 人口はおよそ八万人。居住資格証を持たぬ流民るみんを数に入れると十万人にもおよぶ国内一の大都市だ。北から東へ都市を囲うようにそびえるギルマ山脈に囲まれ、その山からは大河ナムティラクが都市の西にあるヘガル湾に向けて流れている。乾燥した南方大陸にしては緑豊かな自然に囲まれていて、ザハグリムの城壁から出れば広大な草原が広がっているのはそのためだ。

大河ナムティラクの一部を城壁の内側に流し、整備して都市のあちこちに水路や上下水道を設けているため、ザハグリムは別名水の都ジクとも呼ばれていた。


 三重の堀と城壁に囲まれた都市の中心部にルシュディアークの生まれ育った城がある。水路に囲まれた白亜はくあの城。いまはもう城壁の内側に隠れてしまった。望んでも見えぬいえから目を逸らし、前を向く。

不意に、先導しているイスマイーラが言った。

 

「ここから少し先に小さな遺跡があるのですが、そこで一旦休みませんか。夜通し走り続けてボラクの息が上がっています。それに、貴方も疲れているようだ」


 ルークは自らのまたがる竜のような生き物を一瞥いちべつした。

 ボラクという生き物だ。頭と足は竜、体は馬で尾は駱駝らくだ。馬と同じくらいの大きさで、少し臆病おくびょうな草食性のこの生き物は、馬よりも足が速く、多く走る。例えばザハグリムから一番近い青の都まで馬では四日かかる距離を、ボラクはたったの二日で走破してしまう。それに加えて馬よりも体力があり、頑健がんけんで疲れ知らずだ。


 それでも生き物である以上、疲れとは無関係ではいられない。

 荒い息を繰り返すボラクのたてがみねぎらうように撫でた。赤銅色の、ざらざらとした手触りを感じる。手綱にアル・カマル皇国軍の刻印が刻まれた銀細工を見つけてしまった。


(こいつ、軍のボラクをくすねてきたな)


 イスマイーラを軽く睨んだ。


「あまり良いことではないように思うぞ」


「今後に響きましょう」


「俺が言いたいのはそういう事じゃなくて……」


 とはいえ、もう後の祭りだ。


「……その遺跡、寄っても大丈夫なのか?」


「一昨日、私とダルウィーシュが出向き、兵士や学者のたぐいがないのを確認しております。それに……その遺跡、面白いことに中に入った者の姿が消えるようなので、隠れながら休むには好都合かと」


「消える?」


 首を傾げたルークに、イスマイーラは楽しそうに言い放った。


「まぁ、一度ご覧になられるとよろしい」


 イスマイーラが草原の彼方を指した。見渡す限りの地平線に、ぽつんと一つだけ柱が建っている。


「丁度あの辺りです。遺跡については殿下……ああいや、ルークはお聞きおよびではありませんでしたか?」


 変な言葉遣いになっているイスマイーラに苦笑しながら、うーんとうなった。アル・カマル皇国、実は古代王国のあった場所に建国しているため、古代王国の痕跡が国内のあちらこちらに散らばっている。


 出土するものは実に奇妙で不思議なものばかりだ。


 古代文字がびっしりと刻まれた巨大な石球に、硝子に封じ込められた絶滅動物。触れると頭の痛くなる音を発する四角い箱に、光の中に浮かび上がる文字と人の記録らしきもの。立場上、そういうものがあることをよく知っていた。イスマイーラの言う遺跡もまたそんな奇妙なもののひとつなら聞いた事があるはずなのだが。


「覚えがないな」


 その遺跡にたどり着いたルークは、巨大な黒柱の群れに圧倒された。巨大な一本の柱が槍山のようにそびえている。柱の先端は雲の先、青空の彼方にまで続いているように見えた。横幅は数百人もの大人達が両手を広げて円になってもまだ足りないくらいの太さがある。


「いやはや、実際に見ると凄まじいな」


 あんぐりと口を開けたルークのそばを、イスマイーラと年恰好の変わらない大人達が数名、和やかに会話をしながら通り過ぎていった。彼らが通り過ぎてしばらく経った後、我に返ったルークは、そばにイスマイーラの姿がない事に気が付いた。

 

「おい、冗談はやめろ」


 慌てて周囲を見渡してもイスマイーラの姿は何処にもなかった。

 またたばかられたのかと眉をしかめたルークの耳に、微かな笑い声が聞こえた。


「こっちです、こっち。そのまま真っ直ぐ歩いてきてください」


 誰もいない場所から、イスマイーラの声がした。姿はないのに気配だけがそばにある。


「そのままだと? お前、今何処にいる?」


「細かい事は良いですから、早く」


 文句を言いかけたルークの言葉は、驚きにかき消された。

 目の前に、一本の手が現れた。人体と繋がった腕ではなく、手だけが宙から生えていた。声も無いルークを、褐色の大きな手が招く。やがて、焦れたように生首が現れた。


「……なっ」


 あまりのことに声を失った。人の体が生きたままばらばらになって動き出している光景など見たことも聞いた事も無いのだから。けれども現実は冗談のような光景を見せつけてくれる。人体って、実はばらばらになっても動くんですよとでも言うように。


「お前、実は化物か何かなのか?」


 イスマイーラの生首が、呆れたような視線を向けてきた。


「先にお話していたはずですが、覚えていらっしゃらなかったか」


 それはそうとして、まずはこちらへ。まねきに応じて足を踏み出すと、何とも言えない感覚が襲ってきた。まずは風。青草の香りを運んでいた風が一瞬途切れた。次に肌に触れたのは目に見えない膜のようなもの。弱い抵抗を感じながら二歩目を踏むと、首だけでもなければ手だけでもない、五体のそろったイスマイーラが待っていた。

呆然としたルークへ、イスマイーラが微笑んだ。


「どうもこの場所だけのようでして、この柱から」


 イスマイーラが一番右側の柱から、同心円状に並んだ柱をぐるりと指し示した。


「円状に並んでおります石柱の内側にのみ、不可思議な現象が起こるようです」


 ちょっとした広場になっているようで、黒い柱が中心を囲うように並んでいる。中心には祭壇さいだんのような巨大な石の台が置かれていた。


「こんな場所がザハグリムのそばにあったのか……道理どうりで外からでは見つけられないわけだ」


 なにせ外からでは遺跡が見えない。そういう場所があると分からなければ、誰の目にも映らない。まるで秘密の隠れ家を見つけたような顔つきのイスマイーラに、ルークはほほを緩めた。


「少し探検してみても良いか?」


「あまり遠くへお離れにならないのであれば」


「大丈夫だ、遺跡の外には出ない」


「何かあれば大声で呼んでください。ご自分だけで対処なさらないようお願いいたします」


「頼まれなくてもそうする。子供扱いするな」


 と言ってから、にやっとする。しょうがないという顔つきのイスマイーラを背に、ルークは広場の中心へ駆けだした。





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