迷子のドラゴン

 獣脂を練り込んだ松明を掲げ、ウィゼルは洞穴の奥を伺った。濡れたように輝く地面には、出来たばかりの獣の足跡が散らかっている。洞穴は思ったよりも深く、黒々とした闇が奥まで続いていた。


「見かけによらないものだな」


 竜の癖に雷が苦手だったとは。アルルの意外な一面がおかしくて、ルークは笑みを浮かべた。


「アルルには怖いものは無いと思っていた」


「あるわよ、竜だって」


 ウィゼルは穴の先に広がる闇を照らすように松明を掲げた。


「アルルみたいに雷が駄目な子もいれば、自分で吐いた火を怖がる子もいる。泳ぎの下手な水竜だっているわ。普通は成長と共に克服してゆくものなんだけど……あの子は成長しても駄目ね」


「雷雨の度に宥めるのは大変だな」


「ええ、大変よ。毎回のごとく探して、宥めて……まるで小さな子供だわ。素直に言う事を聞いてくれるから良いけど。でも、こっちの大きな子供は駄々っ子ね。イスマイーラが怒るのも頷けるわ」


 またその話かと、ルークは笑みを引っ込めた。


「兄上の命令通りにアル・リドへ赴き、国王ガリエヌスに面通りを願うことの何がいけない。上手くすれば戦争状態を止められるかもしれないんだぞ」


 ウィゼルが溜息を吐いた。


「自分を犯罪者に仕立てあげた国よ。その国の為に命を賭けるなんて、おかしいじゃない」


「おかしくない。というか、それとこれとは別だ。どうして、どいつもこいつも、分かろうとしない。俺が行けば停戦の切っ掛けになるかもしれないんだぞ。停戦をしなくても、話し合いの席くらいは設ける。話し合いにならなくても国境に配備されたアル・リド王国軍の規模をイダーフへ伝えられるかもしれない。これだけの利点が考えられるというのに、どうして誰も彼も損失ばかりを考えるんだ」


「あのねえ……剣を突きつけ合ってるのに、今更話し合いなんてすると思う?」


「思う」


「それだけの確信を抱く理由は?」


「ガリエヌスは、いたずらに国土を拡大して悦に入るような馬鹿じゃないからだ」


 それに。と、ルークはぽつりと呟いた。


「国境領に友人がいる」


 闇の中でウィゼルが息を飲む気配がした。


「ハリルという。硝子谷を超えた先の、北カムールの領主の息子なんだ。あいつに会えば、国境付近の様子が正確に分かる」


 マルズィエフやジャーファルの報告だけでは、ルークは納得できていなかった。アル・リド王国軍がどれくらいの規模で、どのように活動しているのか。正確な情報は、国境付近からの報告を受け取ったジャーファルですら把握しきっていない。


(なら現地に行って、直接見聞きしてくるしかない)


 本音を言えばハリルの顔を見たいという想いもあった。彼とは五年も会っていない。かつて文を交わしていたこともあったけれど、父が倒れてからそれも無くなった。父が倒れる数日前にハリルへやった鳥は、それっきりルークのもとへ帰ってくることはなかったのだから。


(今頃あいつは、どうしているだろうか)


 父が亡くなり、ルークが魔族になったと知ったら、ハリルはどんな表情かおをするのだろう。


「馬鹿げてるわ。お友達だって喜ばないわよ」


「喜ばせるために行くんじゃない。確かめに行くんだ」


「……命を賭けてまで心配できる相手がいるなんて羨ましいわね。アルルは逃げるし、貴方とイスマイーラは喧嘩するし……ほんっと、今日は散々だわ」


 ウィゼルが頭と同じくらいの石を飛び越えた。規則的に聞こえていたウィゼルの足音が、不規則なものに変化する。まるで、何かを避けて歩いているような歩き方にルークは眉をひそめた。


「イスマイーラとは喧嘩じゃない、ちょっとした意見の対立だ」


「どっちにしろ喧嘩よ、喧嘩。部外者わたしがいるってこと、少しは考えてほしいわ。ああ、もうっ!」


 煩わし気にウィゼルが何かを飛び越える。乾いた小枝が折れる音がした。我慢できないと、ウィゼルは苛立った悲鳴を上げた。


「暗闇が苦手なのか?」


「そうね。そういう事にしておいて」


 視界の利かない闇の中で、正確な弓矢を放てる技量と目を持っているのに。暗闇が苦手なのは意外だとルークは目を丸くした。


「そこまで嫌悪するほど悪い事でもあったのか」


「……昔の嫌なことを思い出すの。あの時も、こんなところを走ってた。ううん、今よりも酷いかも。小さな頃だったから、はっきりとは覚えていないんだけど、たしかこんな道だったわ。誰かに手を引かれて必死で走ってたの。暗くて熱くて、よくわからない恐ろしいものが後ろに迫ってくるから、それから逃れるために必死に逃げてた。走り続けているうちにお腹や足が痛くなって散々だったわ。でも、それでも走り続けなくちゃ駄目だったのよ」


 誰に手を引かれていたんだろうと、ウィゼルが小さく呟いた。


「私の手を握ってる人の顔、覚えてないの。凄く大事な人だったと思うんだけど……忘れちゃったんだわ。でも、冷たくて大きな手と、優しい声は今でもはっきり覚えてる。その人の声を聞く度に安心したっけ」


 ふっと、ウィゼルが笑った。


「この人が居れば、大丈夫だなあなんて思ってたの。何があっても守ってくれるって。小さい頃の私にとっては、英雄みたいな人だったわ……なんて、そんな夢を子供の頃によく見てたの」


「……悪い夢は、見なくなったか」


「ええ、アルルのお陰でね。だけど、今日は悪夢を見そう」


 不意に、柔らかいものを踏んだ感触があった。ぐんにゃりとした生々しさに、ルークの全身に鳥肌が立った。怖々と足元を見ると、何か黒光りするものがあった。


「俺はさっきから何を踏んでいる?」


「知らない方が幸せよ」


 ウィゼルの固い口調に、ルークは嫌な予感を覚えた。

 虫や蛇の抜け殻だろうか。いや、もう少し硬い。動物の骨か。嫌な想像だけが、むくむくと膨れ上がってゆく。


「そのまま真っ直ぐこっちに来て。そう、真っ直ぐ壁伝いに。出来れば踏み荒らさない方が心の平穏が保たれるわね」


「いきなり何わけの分からないことを」


「いいから早くこっちに来て」


 ルークの掌から伝わってくる感触は、いつの間にか岩のようなものからつるつるとした石のようなものに変わっていた。不意に、ウィゼルが奥の暗闇をみつめながら囁いた。


「……この国って、遺跡が多いわよね」


「他国よりは」


竜の民ホルフィスの里もね、結構あるの」


「何が見えている?」


 ルークは暗闇の中に目を凝らした。松明の向こう側、しけった洞穴の奥に、更に濃い闇が、ぽっかりと口を開けている。


「土に埋もれた柱。いや、門かな。竜の民ホルフィスの里で見たものと似てる」


 ルークの表情が疑うようなものに変わり、やがて、ただ事とは思えないほどの険しい顔つきに変わった。


「――――遺跡、だと」


 松明の明りに暴かれたのは、見覚えのある門。金属質の黒い門が洞穴に埋もれている。一つの石を丸々くり抜いて造られたような柱には、乱雑に塗りつけられた塗料のような赤錆が浮いていた。柱の上部は弓状になっており、その中心には長年の歳月で摩耗した刻印が刻まれている。


「エル・ヴィエーラ聖王国と、アル・カマル皇国って海を挟んで隣だから、ひょっとしたら今みたいに交易なんてしてたのかも……ルーク?」


 青白い表情で刻印を凝視していたルークを、ウィゼルが緊張したように訊ねた。


「どうしたの?」


 見てしまった。ウィゼルが門を潜り抜けた瞬間、彼女の足元で青い光が明滅したのを。






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