青い髪の旅人

鉄女神マルドゥークが造られたのと同じ時期か、あるいはもっと後か?」


 イブティサームが言うには、アル・カマル皇国の遺跡は二千年以上も昔の戦争時に造られたものが多いという。


 その戦争とは、エル・ヴィエーラ聖王国の近郊にあった古代王国ティカルと、遥か北方の大陸に存在していたワリスという古代帝国が引き起こしたといわれている。

古い史記によれば、戦争のきっかけは鉄女神マルドゥークだったと書かれている。人では扱えない、神の力を代弁したもの。そのあまりにも強大な力に世界は恐怖し、古代王国ティカルと古代帝国ワリスを筆頭にして世界は二つに分かれ、争い、多くの国々と人々を犠牲にして文明の終焉と共に戦争も終わりを迎えた。

これで平和に暮らせると安堵したものも多くいただろう。

しかし、戦火を逃れて生き残った人々にもたらされたのは平和ではなく、国という守護を失った後の、酷く荒々しい自由だけだった。

それから約二千年の月日が流れ、人々は再び文明という火を手にした。


 幼かったルークは、その話をイブティサームからよく聞かされた。


 イブティサームは変わった義姉ひとだった。

黒曜こくようの美姫とまでめ称えられるほどの外見とは裏腹に、言動は実に大胆不敵だった。皇女という立場でありながら率先して遺跡の発掘現場におもむいては学者と共に調査をしたり、時には発掘の手伝いなどをして従者を困らせた。城の大人達はそんな彼女を苦く思っていた。土で手を汚すような振る舞いは皇女として如何いかがなものかという周囲の言葉にイブティサームは大人しく従うどころか、


「学のない美貌びぼうだけの女に何の価値があるのか」


 と、一蹴いっしゅうしたのは有名な話だ。

 口元が、自然とほころんだ。

 

(こんな場所があるのを教えたら、イブティサームは目の色を変えるに違いない)


 輝くような表情で、あちらこちらを調べてまわるだろう。そう思ってから不意に思い出した。


(イブティサームは、もういないのだった)


 中央にしつらえられた石の祭壇さいだんに、そっと触れた。

白い石が円柱状に積み上げられていて、隙間から青々とした草が生えていた。祭壇さいだんの後ろに回り込むと、横穴があった。そっと中に入ってみる。ひんやりとした風と、かび臭い匂い。外からの光が中を照らしていた。石でできた階段が、地下へと続いている。


「気になる?」


 ぎょっとして振り向くと、見慣れない服装の男がたたずんでいた。穏やかそうな青年だった。藍色の布地に複雑な紋様の刺繍ししゅうほどこされたターバンをかぶり、しっかりとした旅装に身を包んでいる。肌の色や面立ちはアル・カマルの人間とは違っていた。

彫の浅い面立ちに、ほっそりとした顎。月の光のように白い素肌に珍しい青い髪と金色の瞳。なんとなく、初めて出会った気がしない。何時、何処でかは分からないけれど。ずっと前に出会った気がする。

凝視ぎょうししたまま微動びどうだにしないのを、青年は苦笑した。


「明かりを持たずに入るのは危険だ、やめたほうがいい。親はそばにいないの。今頃、君のことを探しているかもしれないよ?」


 子供扱いされた。口がへの字にひん曲がる。


「これでもあと二年で成人になるんだ」


 遠回しな抗議と共に青年を睨む。悪かったと、青年が眉を下げた。


「何処から来た?」


「エル・ヴィエーラ聖王国からだよ」


 海を越えた先の大国の名に目を細める。

 アル・カマル皇国とエル・ヴィエーラ聖王国の間には海が横たわっている。

さほど大きな海ではないが、潮の流れのはやい海で、熟練の船頭でも航海に難儀なんぎをする。この海をザハグリムから五日以上かけて西へ航海すればエル・ヴィエーラ聖王国の港町にたどり着く。そしてそこから更に二月ふたつきほど北上すれば、西方大陸きっての大国、エル・ヴィエーラ聖王国に辿り着く。


「たしかあの国は四方が野山に囲まれていたか。旅は大変だっただろう」


「まあね。でもアル・カマルには一度は訪れてみたかったからね。根性でなんとか乗り越えられたさ」


 にこりとする青年に、ルークは押し黙った。アル・カマルにある遺跡は他国に類を見ないほど沢山ある。そして、だった。


「面白いものはあったか?」


「うん、色々とね。ほどではなかったかなぁ」


 青年が手を差し出した。外に出ようと言ってくれているらしかった。

ルークは首を振ると、一人でさっさと外へ出た。その姿を見ていた青年が微かに驚いたような顔つきを浮かべ、すぐに表情を引っ込めた。


「ところで、君と似た背格好の男の子を探しているんだけど、知らないかな」


「連れか?」


「僕のじゃない。すぐそこを歩いていた人達がいただろう。そこの子供が一人行方不明でね。君と似たような顔つきの子なんだけど……うん、違ったようだ。君みたいに妙な運命を背負った顔ではなかったかなぁ」


 突然何を言い出すのか。言葉の趣旨を理解しあぐねて青年を振り返る。


「妙?」


「僕は人の顔を見ると、その人の運命が見えるんだ。怖がらせたおびに君の運命を教えてあげようか」


 すっと、天を仰いで黙り込んだ。しばらくしてから、静かに告げる。


「鳥に気をつけて」


「鳥?」


「そう、鳥。君はどうやら鳥に縁があるらしい。こりゃ大変だ。空に注意を向けなければならないし、地面にも注意を向けなきゃならないんだから。はるか彼方の外国にも。なんだか忙しいね、君の運命ってのは」


「何を言っているのか、まるで分からない」


「よく言われる、伝わらないって。でも、鳥と君は切っても切れない縁がある」


「縁があっても、小鳥が懐いてくれたことは無かった」


「そっちの鳥じゃない。もう少し大きな鳥だ」


 青年が肩をすくめた。


「そこまでしか言えない。君の運命だから、詳しく話してしまうと君の生き方が変わってしまうかも」


「まるで占術のようだな」


「ははは。確かにそうかも」


「笑うなよ」


「ごめん、ごめん。ちょっとした知り合いに似ていたからさ、思わず意地悪をしてしまった」


「知り合い?」


「うん、赤い瞳のカマル人。随分長ったらしい名前の人さ」


 ほう。と、ルークは目を細めた。態度とは裏腹に、心臓は今でもはちきれんばかりに脈打っている。まさかという思いと、そんなはずはないという思いの間でせめぎあう。そんな気持ちを知ってか知らずか、青年は気楽な様子を崩しもしない。


「名前は?」


「ルシュディアークって言うんだ」


 温度差のある視線が交わった。互いに見つめあった後、青年が溜息ためいきを吐いた。


「でも、君みたいに子供っぽくなかった。もう少しこう、年齢の割には大人びてたような気がする。というか、こんなところに彼がいるわけないよね」


 と、笑った青年を、ルークは一緒になって笑うことが出来なかった。背中はじっとりと、嫌な汗で濡れている。心を落ち着かせるように息を吐いた。


の顔を見た事があるのか」


「遠目から一瞬」


 ルークが、うっすらと笑った。


「お前、本当は何者だ」


 男も微笑んだ。目は笑っていなかった。


「ルーシィという。しがないさ」


「旅行者か。なら、良い事を教えてやる。この国で厄介事に巻き込まれたくなかったら皇族の名前は口に出すな」


「それは、何かの忠告かな」


「さっきの占術の礼だよ。そろそろ連れが呼びに来る。お前とはここでお別れだ」


 遠くからイスマイーラがボラクを連れてやってくるのを認めると、ルーシィもまたそちらの方へ顔を向けた。


「君達は高そうなのに乗ってるんだね。頭と足は竜、体は馬で尾は駱駝らくだか。確か、ボラクと言ったっけ。こりゃ随分ずいぶんと凄い生き物だ。盗まれないよう気をつけて、ああ、悪い奴には特にね。きっと良い値段で売れるから、あれは」


 そう言ってにこりとすると、ルーシィは遺跡の外は去って行った。

 

「誰です」


 イスマイーラの開口一番がそれだった。


「知らん」


「……あまり目の離れた場所に行かれませんよう、お願い申し上げたはずですが」


「悪かった、悪かったよ。だからそんな目で俺を見るな。というよりあいつから声をかけてきたんだぞ?」


 非難がましい目つきのイスマイーラが、ルークへボラクの手綱たづなを渡した。


「顔を知られると面倒です。何かお話になられていたようですが?」


「鳥に気をつけろ、ボラクを盗まれるなと言われた」


「まるで占術のような」


「占術師であればよいな」


 たぶん、旅行者でも占術師でもないだろう。遠目からとはいえ皇族の顔を見る事が出来るのは平民では無理だ。そしてあの言動。ルーシィの見透かしたような態度が気になった。


(あいつは一体……)


 まだはっきりとは分からない状態で、イスマイーラに話すのははばかられた。

 

「そういえば大事なことを聞くのを忘れていた。イスマイーラ、王国へ行くのは良いが、俺の身分証明はどうする?」


 証明するものが何も無ければアル・リド国王ガリエヌスに謁見えっけんする事もかなわない。


「それならば問題なく。身分証明のための書簡なら私が持っています。後程ゆっくりとお話しながらお見せ致しましょう」


 それからと、イスマイーラは一本の剣をルークに差し出した。黒檀こくたんさやに納められた曲刀だ。さやから剣を引き抜くと、片刃の刀身が見えた。剣そのものは厚みがあるお陰で折れる心配はまず無い。刀身そのものは斬撃に適した緩やかな弧を描いていたが、刀背とうはいが特殊だった。さめのような乱杭歯らんくいばが凹凸と刻まれている。


「これは」


鉄折剣ソードブレイクと呼ばれるエル・ヴィエーラ製の剣です。殿下には護身用に持たせますが……ときに剣を扱われたことは?」


「ある」


「では、人に剣を向けたご経験は?」


 イスマイーラの表情が、険しくなった。


「どういう意味だ?」


「実戦の経験をうかがっているのです」


「実戦は無い」


 剣の稽古けいここそ欠かしたことは無かったが、人を殺したことは一度もなかった。それに何の問題があるのだろう。イスマイーラが難しい表情で押し黙っている。


「なんだ、問題があるのか」


 一拍。間を置いて、イスマイーラは言った。


「貴方にはこの剣で、人を傷つける事を覚えて戴きたい」


 イスマイーラの言葉は、覚悟の問いかけを含んでいた。人へ、剣を向けることの覚悟と、人を殺すことへの。ルークは、むっとした。とっくにした覚悟を、もう一度問われたことが腹立たしくて。


「そんなもの最初から覚悟している。俺の覚悟が浅いというのか!?」


「いえ。もう覚悟を決めているのであれば私からは何も言いますまい」


 イスマイーラの顔に、わずかな嫌悪の情がにじんでいた。




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