シリルの悲劇

 アリーの天幕を辞してから口を閉ざし続けていたイスマイーラが、ふと、思い出したように呟いた。


他人ひと表情かおをよく見ておられる」


「俺はアリーを心配したんだ」


 決しておまえのためなんかじゃないと口を尖らせたルークへ、イスマイーラは微かに溜息を吐いた。固かった表情が、微かに和らいだ気がした。


「分かり易いお方だ」


「……そんなに不自然、だったか?」


 イスマイーラが、曖昧に頷いた。さっと、ルークの頬に朱が差した。


「その、さっきのは忘れてくれ」

 

 ルークは心を誤魔化すように咳払いすると、手近にあった倒木の幹へ腰をかけた。その横にイスマイーラが座る。駱駝らくだ達の鳴き交わす声を耳にしながら、ルークはどうしたものかと両腕を組んだ。

 

(下手な慰めの言葉は、アリーとの会話で逆効果だな。かといって「大変だったな」の一言で済ますには、話の内容が重すぎる)


 考えつくどの言葉も、当事者であるイスマイーラには届かない気がした。


「……正直、シリルについての会話はお耳に入れたくありませんでした」


「嫌でも耳に入る。気にするな」


 カムールへ赴いたのなら、付随的にシリルの話が出てもおかしくはない。耳に入る形は違っていたけれど、予想通りだった。


「二十年も前の話になるんだな」


 のちに”シリルの悲劇”と呼ばれ、かの一族が滅びる切っ掛けとなった事件は、二十年前に遡る。

その始まりは、オルハンという青年にあった。

伝え聞くかぎりでは、彼は氏族屈指の槍使いであったらしい。


 ある日のこと。オルハンは南カムール領主アクタルから隣国からやって来る貴族の道案内役を頼まれたという。アル・リド王国からアル・カマル皇国のザハグリムへ向かうには、両国の間に広がるカムールの砂漠を必ず越えてゆかねばならない。その為には、南カムール側に住まう人々の支援が要る。そこで白羽の矢が立ったのが、シリルという氏族だった。

南カムールに住まうシリル達は、国境という複雑な環境柄ゆえに潜伏する不逞難民ふていなんみんや、武装した盗掘者、商隊を目当てに強奪を繰り返す野盗の類に対応出来る力を有していた。加えて、砂漠の行き帰の仕方も慣れているとあれば、これ以上ない案内役。

シリルは領主からの命令が下ると、大いに沸き立った。なにせ隣国の、それも貴族の案内だ。一歩間違えれば外交問題になりかねぬ大役を、一族屈指の実力を持つオルハンに命じられたのだから。

オルハンは、快く受け入れた。


 しかし、悲劇はそこから始まる。

 

 南カムールと北カムールの境に位置する中央カムールで、オルハンは護衛対象のアル・リド貴族、テべリウスを斬り伏せてしまった。その場に営地を構えていたハマドの酒宴に招かれ、酔った末の凶行であった。

テべリウス率いる従者四名が死傷、他、随伴ずいはんしていた十余名が軽傷を負い、アル・リド貴族テべリウスもまた、利き腕を失った。

たった一人の、泥酔して自我を亡失した青年によってである。

その後、酒宴に居合わせていたハマドの一族によってオルハンはその場で斬り殺され、テべリウスは保護された。

その報告をスレイマン自身が耳にしたのは、テべリウスが母国に戻った後、更に一年が経ったあとのこと。


「ガリエヌスからの手紙から、父上は初めて事の顛末てんまつを知ったらしい。急ぎ南北カムール領主のニザルとアクタルへ連絡をつけ、事実関係を洗い出した。最初に父上へ報告を届けたのは北カムール領主のニザルだった。ハマドの一族は北カムールの領民だから、時期が合えば直ぐにでも事の仔細を聞けたからな。そして、シリル達がアクタルにことを知った」


 事実を知ったニザルは、アクタルの不実を責めた。


(本格的に嫌うまで、そう時間は必要なかったとハリルがこぼしていたか)


 五年前の抗争も、南北カムールの不仲も、全てはここからきていたのだった。


「結果は知っての通りだ。行為は確かにオルハンが行ったこと。しかし、シリルの一族が辿った運命については、俺達に責任がある。シリルの運命を決めてしまったのは……


 ここからはイスマイーラ、お前の知らない話になる。

 ルークの囁きをかき消すかのように、風が、びょうと鳴いた。


「あの後、我が国とアル・リド王国との間に緊張状態が生まれた。当然だな。他国の貴族を傷つけた挙句、謝罪の一つも寄こさないのでは不誠実と罵られても文句は言えまい」


 ルークは、落胆するような溜息を吐いた。


「父上は、アル・リド国王ガリエヌスへ謝罪の文と使者を遣わせた。返答は無し。幾度目かの使者を遣わせ、漸く返答らしいものを持ち帰ったと思えば、今までに送った使者たちの耳の塩漬けが返ってきた。ご丁寧に彫刻の施された白磁の壺に入れられてな。返答は、ここまで話せば言わなくても分かるだろう?」


「戦争が起こっていたかもしれない、と」


 ルークは神妙な表情で頷いた。


「父上は、戦争をなんとしてでも回避したかったんだ。だから死者が出ても懲りずにガリエヌスへ謝罪の文を送った。何十人も犠牲になったらしい」


 その言葉に父に対する嫌悪が混じっているのを、ルークは自覚していない。


「それから二年経った頃だ。まともな返答を包んだ文が生きた使者と共に帰ってきた。アル・リド国王の弟君に当たられるロスタムが、父上へ宛てたものだった。父上とロスタムは知古の仲だったらしいから、一連の事態を見とがめたのだろうな。その時に、父上はロスタムと密約を交わした。

アル・リド国王ガリエヌスの怒りを収めるために、父上はロスタムへこう言ったんだ」


 自分自身が浮かべている表情の正体を知らぬまま、ルークは一息で言い切った。


「シリルの行った罪は全き許されぬこと。処遇については貴方がたへ任せよう。その代わり、我が国への矛を収められよ。父上はな、シリルをロスタムへ差し出すことで、アル・リド王国側からの許しを得た。我が国は、戦争回避のためにお前達をんだよ」


 ロスタムへ処遇を預けたという事は、即ちシリルをアル・カマル皇国の民とは見做みなさないと断じたということだ。やがてシリルへの処遇は、ロスタムとガリエヌスを通じて、最終的にテべリウスへ一任された。その際、テべリウスが国王ガリエヌスに所望したのは、五百名の騎兵と弓兵。


 ルークはイスマイーラから顔を背けた。彼の顔を直視しながら語れる話ではなかった。


「テべリウスはアル・リド王国の将でもあったから、命綱たる利き腕を見知りもしない民草に斬り落とされたのが屈辱だったのだろうな」


 胸糞が悪くなるほどの惨禍だった。財産と家屋の収奪、殺害に強姦、遊牧民ベドウィンという社会からの排除。代々つちかってきた文化的な生活や、技術継承の妨害と破壊をシリルの一族は徹底して受けた。

テべリウスの暴虐なる振る舞いを、シリルはただ受け入れた。受け入れざるを得なかった。罪を犯した一族の処遇は程度の差こそあれ、基本的には一族郎党にも及ぶ。同じ氏族でまとめられた共同体が負うべき義務であったからだ。そして、もう一つ。国から見放されたことも、抵抗しなかった原因の一つだったのだろう。


「罪は罪だ。けど、俺は腕一本を斬り落としただけであそこまで虐げるのは、やり過ぎだと思う」


 これではまるで、そのもの。人を人とも思わぬテべリウスの行いは、罪を償わせるという行為から逸脱しているように思えた。そして、オルハンに対してもルークは疑問に思っている。


(酔った勢いとはいえ、そう易々と貴族と従者達を殺傷できるのだろうか)


 一族屈指の槍使いオルハンとはいえ、いくらなんでも無理ではないだろうか。ルークには、裏があるように思えてならなかった。


「恨みに思ったはずだ」


 イスマイーラにとっては、思い出したくもない話のはずだ。

 触れたくない話のはずだ。忘れたい記憶のはずだ。

 国にも同胞にも見捨てられ、身に覚えのない罪過を償い続けることがいかに苦しいか。シリルを囲うむせ返るような悪意に吐き気すら覚えた。


「だから、」


 言っても良いものなのかルークは迷った。


(この期に及んで自身の保身か?)


 許しが欲しいのか。恐らくはそのどれもなのだろう。

 深呼吸し、ルークは吐き出すように言い放った。


「だからな、お前にはがある。忠誠を誓った国と皇族に対し、剣を向ける大義がある」


「何をおっしゃりたいのか」


「とぼけるな。兄上からもう一つの任を与えられていたはずだ。逃亡あるいは任務遂行が困難であると判断された際……俺を殺せと」


 イダーフから同盟の為の捕虜となれと命じられた際、あまりにも可能性の低い話にルークは覚悟を決めるしかなかった。元をただせば、鉄女神マルドゥークの情報を積極的に差し出す代わりに、アル・カマル皇国という一つの独立国を維持し、敵国であるエル・ヴィエーラ聖王国の脅威から守って貰おうというもの。端的に言えば安全保障のための同盟だ。有事になった際の軍事支援、そして経済的な支援も目的として含まれているにちがいない。そのとしてのルシュディアークだった。


(イダーフの目論見は見当違いでは無かった。相手がサルマンでさえなければ)


 鉄女神マルドゥークが二千年にも及ぶ長き眠りについているという事実が、アル・カマル皇国に国難を呼び込んでいる。


(同盟など、最初から無理だったんだ)


 それでもなお、カムールまで赴いたのは微かな希望が胸にあったからだ。同じ脅威に対する者同士だからこそ、同盟を受け入れてくれるのではないか。それは淡い希望だった。微かな期待であった。

両軍が激突した話を耳に入れた瞬間、希望と期待は諦めに変わった。

自分自身の意味を失ったと共に、魔族であり廃太子である自分は誰にも、何処にも、必要がないと悟ってしまった。とくれば、イスマイーラという兵士をわざわざ廃太子の自分に随伴させた理由に気付くのは自然な成り行きで。静けさの中で、イスマイーラのため息が漏れた。長い、長い溜息だった。


「……勘違いしないで頂きたいのですが」


「なんだ」


「任務として与えられたのは事実ですが、シリルの問題とルークをしいするのは別です」


 迷惑そうな表情で、きっぱりと言い放ったのである。


「私は他人に憐れみを持たれるような生き方をしたつもりはありませんし、我が国と陛下へ恨みを抱いたこともありません。勝手な思い込みを差し挟まないで頂きたい」





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