黒蛇のマリオネット
「丁度いいところに来た、手を貸してくれ」
タウルが寝所にしている洞穴に戻ると、彼は小さな木箱を
「つい今しがた届いた玩具だ」
タウルが
自然と、口元が強張った。
「玩具で遊ぶほどの余裕があるところを見るに、補給物資の確保と新しい補給路、それから後発部隊の進軍経路についての連絡など諸々の下準備は既に終わったとみてよろしいか」
「いや、まだ終わっていない」
「なら今すぐにでもして下さい。遊んでいる暇は無いんです」
「そう慌てるな、イスマイーラ。先日から移動しっぱなしなのだ、少しは休まんと体が持たん。拙速を尊ぶのもいいが、肝心な時に戦えないのでは意味がない。せっかちなのは相変わらずだな」
苦笑の滲んだ顔は、直ぐに古びた箱に向けられた。ただの古びた箱に執心するほどの何があるのか。タウルは箱の表面に彫られている籠目模様を指先でなぞりはじめた。溝になっている部分に爪をひっかけて、隙間を探すように引っ掻いている。何度か引っ掻いているうちに、箱の表面に隙間が出来た。そこに爪を立てて無理やりこじ開けようとするが、上手くいかずに表面を浅く傷つける。タウルが、苛立ったように舌打ちを漏らした。
「隙間をこじ開けられるようなものは持っていないか」
「針ならば」
腰に下げていた小さな道具袋から針入れごと渡すと、タウルは包みを開いて箱に空いた隙間へ針を刺し入れた。二度、三度つつくうちに、何か固いものが押されたような音がした。するとあっさりと箱が二つに割れた。そして、その中から、もう一回り小さな箱が現れた。
「またか」
「また?」
「これで三回目だ」
うんざりとした顔つきで箱を放る。やがて何かを閃いたような顔つきをした。嫌な予感がしていた。
「そうだ、お前、こういうのは得意だっただろう」
「私に開けろと?」
「箱の表面に文様があるだろう。その文様の何処かに箱の蓋の隙間が隠されている。それを見つけてさっき俺がやったように針で開けるんだ。間違っても面倒だからと言って力づくで開けようとするなよ、後悔する」
「後悔とは大袈裟な」
「大袈裟じゃない。箱を叩き切ろうとしたら
「それは貴方の使い方が間違っているからでしょう」
短剣は固いものを叩き切るには向かない。むしろ刃の分厚い鉈が妥当だ。それを知らないタウルではないはずなのに。
イスマイーラはタウルから押し付けられた木箱を手に取り、それをざっと眺めた。先程の箱から出てきた木箱はふたまわり小さく、表面に刻まれている文様も異なっていた。蛇の鱗を思わせる文様の中心に、杯に絡みついた蛇の焼印が印されている。箱を少しだけ揺すると、石のような塊が入っている音がした。
「出来そうか」
「やってみましょう」
イスマイーラは、この手の細工を見破るのが得意だった。箱の上部に印された焼印が他の焼印よりも僅かに浮き上がっているのを見つけると、その隙間に針を刺し込んだ。すると、徐々に隙間が空き、かちりと音がした。
「早いな」
目を丸くするタウルの前で箱を開いてみせる。その瞬間、黒い影が箱から飛び出して腕をかすめた。冷たい風のような感覚に違和感を覚えて後ろを振り返ったが、特別に変わったものは見受けられなかった。
「やはりお前に頼んでおいてよかったよ」
タウルは箱を奪うようにして手に取ると、中から緑晶で造られた蛇の腕輪を取り出した。
「それは?」
「古代の叡智だ」
尻尾を咥えて丸まる蛇は硝子のように艶やかで、ほんのりと中身が透けて見えた。蛇の骨のような銀色の糸は何重にも絡まり合い、一つの骨格を作っている。それが陽光の下で鱗のように輝いていた。
「本国から出土したものだ。これを此度の戦で使う」
眉をひそめたイスマイーラを横目に、タウルは蛇の腕輪に呼びかける。
『
タウルの声に腕輪は応じた。蛇は咥えていた尻尾を離すと、金剛石のような瞳を開き、鎌首をもたげて見せた。やがて「窮屈だった」とでも言うように蛇は大きく身震いし、硝子質の体でタウルの右腕に絡みついた。
「アル・リドの首都近郊から出土したものの一部だ」
「一部?」
他にもこんなものがあるのかと言いたげな気配に、タウルは曖昧な視線を向けた。
「古代王国が分裂した折に、王族だか貴族だかが数点ほどこちら側へ持ち出していた物らしい。それを王城の近くに隠していたそうだ」
「協会の目をよく誤魔化せましたね」
「協会はアル・リドにこんなものがあるなんて知らなかったのだ。王族ですら近年知った位だからな」
「では、これは」
協会の知らない
「いや、協会も知っている。知っているが、手出しが出来んのさ」
タウルが、にやりとした。
「調査を協力してくれた協会員が行方不明になってしまってな。サルマン殿下に請われた兵士共が協会員を探してはいるのだが、何処へ雲隠れしたか、さっぱりわからん。そういうことが何度か続いてしまったので、サルマン殿下は協会員の入国を制限させたのだよ」
「それで、手出しができなくなったと」
そういう事だと首肯するタウルを、イスマイーラは冷ややかに見つめた。タウルの言葉の裏にある陰惨な事実を、なんとなく想像できてしまったからだ。いいや、なんとなくなんて生易しいものではない。ほぼほぼ確証に近い直感―――協会員は、サルマン王子によって口封じされたに違いない。
「ガリエヌス王は
これは必要なことなのだと、タウルは真剣な表情で言った。
「万が一、
似たような特徴を持った人物をイスマイーラは二人知っていた。一人は女で、ついさっきから一緒に居る。もう一人は少年で、彼は額に矢を受けて倒れた。
「そいつはルーシィという名の男でな。ぱっと見は優男だ。噂では協会関係者らしい。イブティサーム皇女となにやら関わり合いを持っていたという」
「イブティサーム皇女と言えば、先史の文明に関心を持っておられた」
「ああ、厄介なことに。更に厄介なことになる前に、ルーシィという奴の暗殺を命じられたが、
ふっと、タウルは口元を歪めた。
「やつは化け物だ。暗殺任務から生きて帰った奴が言うには、斬りつけても血すら流さなかったとか。正面から斬って捨てるには無謀。ならば寝込みを襲おうとしたらしいが……殺されてしまったよ」
もう、幾人も奴の犠牲になったと、タウルは静かに語る。
「このまま皇国と戦おうとすれば、皇国は協会に助力を請うだろう。そうなればルーシィとかいう化け物が表に出てくる可能性もある。その時に、これが必要になる」
タウルは期待に満ちた眼差しを腕に絡みついた蛇に向けた。そして、腕輪をはめた手で一人の男を指し示す。周辺を見回っていた男だ。名は知らない。しかし、見覚えのある顔だった。タウルは彼を手招くと、男は二人の傍に歩いてきた。その姿は異様だった。焦点の合わない視線を彷徨わせ、身体を揺らしながら亡者のような足取りで歩いてくる。やがて男は二人の前で立ち止まった。半開きになった口から唾液を垂れ流しながら、何をする風でもなく虚空をみつめている。生者とも死者ともつかない。まるで生ける屍のような様相に、イスマイーラは恐怖を覚えた。そして、更に薄気味の悪いものを目の当たりにする。
「どうだ、驚いただろう」
男の口からひり出すような声が吐き出された。タウルのようなぞんざいな口調だった。
「彼に何をした」
「操ったのだ、
タウルが蛇の彫刻をもう一度撫でると、操られていた男が仰向けに倒れた。目を見開き、口をだらりと開け横たわったまま空をみつめている。胸だけは静かに上下していた。
「これはな、人を繰るものだ。手足のように扱うことも出来れば、記憶を自由に書き換える事も出来る。なあ、イスマイーラよ。これさえあれば、ルーシィとかいう化け物も敵ではないかもしれんぞ?」
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