赤い瞳の魔族
「……盗んだものじゃない。俺の剣だ」
貰った剣だったけれど嘘は言っていない。老女は不機嫌そうに顔を曇らせ、吐き捨てた。
「今日は出会う奴がろくでもない奴ばっかりでついてないねぇ……スフグリムの糞爺が説教垂れたかと思えば、次は得体の知れない
「今日はどうもばば様のご機嫌がよろしくないようだな」
不機嫌なのは今に始まったことではないがねと、クラフィットがため息をついた。
「しっかし酷い成りだなぁ。
クラフィットは呆れたように笑うと、徐にルークの前に屈みこんだ。
「で、坊主、名前は?」
「忘れた」
「忘れるわけ無いだろう、自分の名前だぞ。名乗るのが面倒なだけか、流民は信用できないのか」
はてさてどちらかねと溜息をついた。その見下ろすような態度が、気に食わなかった。
「たった数時間しか一緒に居ない相手の名前なんか、お前にはどうでも良いだろう」
「おいおい、坊主一人で何処に行こうって?」
「何処でも良いだろう、そんなのは」
「確かに坊主が何処へ行こうが俺には関係が無いが、興味はあるね。物の道理が分からない
「よせ、クラフィット」
微かに気色ばむ二人を制したのは、アサドだった。
「坊主相手に吹っかけて大人気ない。ちょっとは冷静になったらどうだ?」
「ちょっとした親切心ってやつさ。この餓鬼、剣一本で旅人になった気でいやがるもんだからよ。このままだと死ぬぞ、この餓鬼」
「少しは言い方を考えろ。それから坊主、馬鹿は相手にしなくていいからとりあえず座れ。その様子じゃあ、ろくに食べていないんだろう?」
アサドが、苦笑いしながら炙りたての肉を差し出した。
「とりあえず、これでも食え」
こんがりとした干し肉が、香ばしい湯気を立てている。焦げ目のついた部分からは肉の脂がじわりと
(今、俺は何をした……?)
元々肉は好きだった。なのに、どうしてか今は嫌悪の対象になっている。戸惑うように視線を巡らせると、アサドが目を丸くした横で、クラフィットが険悪な表情を浮かべていた。
「
低い声で
「肉が嫌いだったか?」
じゃあ、芋なら食えるかなと、アサドは木の棒で焚き火をひっかきまわした。わさわさと引っ掻き回されるたびに、火の粉が舞う。ルークは自然と、後ずさりをしていた。
(おかしい)
肉の匂いが気持ち悪い。火を見ると、全身が凍りつく。息が出来なくなるんじゃないかと思うほど、胸が苦しくなる。
「ねえ、大丈夫?」
嫌に大きく聞こえるカミラの声。目を開けば、視界に入るありとあらゆるものが意志の在る一個の生物のように脈打ち、蠢いているように見える。
(駄目だ)
逃げたい。
逃げなければ。
なのに足が一歩も動いてくれない。
「どこか悪いの?」
「……どこも悪くない。少し疲れただけだ」
吐き気を堪えながら搾り出した声は、なんとも間抜けなもので。カミラが何かを思い出したような表情を浮かべると、自分の胴巻きの中に入っていた小さな袋を取り出した。
「カミラのぶんなんだけど、ちょっとだけあげる」
小さな手に差し出されたのは、干したデーツだった。
「疲れた時に食べると良いんだよ」
カミラが顔を凝視しているのがなんだか気まずくて、顔を背けた。人から見られることに慣れていても、至近距離で顔を覗き込まれるのは不快でしかない。
「さっきからなんだ、俺はファドルとか言う奴じゃないぞ」
「ううん、お兄さんの目の色が珍しいから。あまり見ない赤い色だったから、つい」
「目が赤い?」
「どうしたの?」
奇妙な沈黙と、先程とは間逆の冷たい緊張感を孕んだ場の空気に、身体が強張る。嫌悪と憎悪、侮蔑。スフグリムを殺した時に感じたものと同じ。
「明かりのせいで赤く見えるわけでも無いのかい?」
「うん。炎とおんなじ、綺麗な色だよ」
カミラの言葉に老女が
「め、目の色なんかどうでも良いじゃねえか、なぁ、坊主。ばば様もいい加減機嫌を直せや、あれだったら血の道の薬でも買ってやるからよ!」
軽口を叩いたアサドへ返ってきたのは、痛いほどの静寂と、夜闇の冷たい空気だけだった。
「二人共、そこの餓鬼に近付くんじゃないよ!」
老女の何処にこのような声が収まっていたのか。たった一言。短いながらも険のある静かな
「目が赤いのは魔族の証拠だよ。茶色い目でも赤く見えるなら警戒するに越した事はない。だけどカミラ、あんたははっきりこいつが赤い目をしていると言ったね。つまり、そういうことなんさ。アサド、あんたはこの餓鬼を捕まえておおき。それからクラフィット、あんたは
「ちょっと待ってくれ、魔族の餓鬼ったって……まだこんな元服もしてねえような餓鬼をスフグリムに引き渡すなんていくらなんでもあんまりじゃねぇか。
なぁ、と、周りを伺うも返ってきたのは賛同する声ではなく、ただの重苦しい沈黙。
「おい、皆どうかしているぞ!」
「魔族の特徴は赤い目ってことを、まさかあんたが知らない訳がないだろ」
「魔族の目が赤いのは迷信だろうが!」
信憑性は無いんだと、アサドが声を荒らげる。確かにその通りだった。目が赤いから魔族だという話は、ルークでも噂程度にしか聞いた事が無い。まして身近に魔族を処断している西守が、魔族の特徴が赤い目などと述べた事は、一度もなかった。
「ばば様よ、ファドルの母親を見逃してくれたあんただ、根っからの悪人じゃねえ。なら、そこの坊主だって一緒だろ」
「何時、何処で私がファドルの母親を見逃したって?」
「まさか……ルフの天秤に引き渡したのか」
アサドの絶望した声が、ルークにはいやに大きく聞こえた。
「当たり前だろう、カミラが居るから黙っていたけどね。なんにせよ、もう過ぎたことだよ」
「あんまりだ……なぁ、クラフィットも黙ってないでばば様になんか言ってやってくれよ」
振り返ったアサドが目にしたのはクラフィットの姿ではなく、駆ける様な足音と、唯一闇の中で遠ざかる松明の光。それが何を意味するのか瞬時に悟ったらしい。苦渋と苦悩を顔面に張り付けたアサドが、大きな舌打ちをした。
「坊主、逃げろ」
それでも凍りついたように動かないのを、アサドがまどろっこしいと吐き捨て、ルークの腕を引っ張り上げた。
「あんたも魔族の肩を持つつもりかい!」
「うるせえ、くそばばあ! 俺はなそういうのが一番我慢ならねえんだ!」
怒りに任せて老女が杖を振りかざすのを、アサドは老女の腕ごと押さえつけ、乱暴に突き飛ばした。たたらを踏む老女をそのままに、アサドがルークの手を引いた。
「何をする!」
「いいから来い」
アサドの手を振り払おうとしたけれど、ルークの力ではびくともしない。丸太のような腕を殴っても引っかいても、アサドの手がルークから離れる事はなかった。
「離せ!」
アサドが手を離さないのならと、剣に手を伸ばした。
(今のうちに二人とも斬り殺せば、逃げる時間くらいは稼げる。この男の腕を一本斬り飛ばすだけで)
耳をそばだてないと聞こえない程のか細い悲鳴を、しっかりと聞いた。カミラだった。魔族への嫌悪というよりは、不安と困惑と、恐怖がない交ぜとなった目。それがルークとアサドと、そして老女を捉えていた。それを見て、ルークは途端に剣を抜けなくなってしまった。
「俺はな、この坊主が魔族とか
「気に食う、食わんの話じゃないってのが分からんようだね、ええ?」
「んなもん分からなくて結構だ! 婆さんよ、契約は破棄させてもらうぜ」
「払い戻す金も無いのにそんなのが通用する訳がないだろ、良いからその餓鬼をこっちに渡すんだよ。でなけりゃ、あんたもルフの天秤に殺されるよ」
「糞みたいな思いをするよりは、そっちの方が具合がいい!」
老女の怒声を背に、暗闇の中を駆け出した。
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