流浪の民

 暗がりの中、ふと、賑やかな声が聞こえて目が覚めた。夢かと思っていたが、そうでもないらしい。外で、がやがやと誰かが騒いでいる。

乱闘では無い。むしろ、焚火を囲って今日一日あった話を語り合うような。そんな静かな声だ。でも、何処か刺々しい。老女と少女の声が特に大きく聞こえた。他に、幾人かの息遣い。穴倉のような瓦礫の中で、ルークは身を強張らせ、息を殺して声に耳を傾けた。


「ファドルは浅はかなんさ。誰にも対処できないことを金でどうにかしようとするなんてさ」


 馬鹿じゃないのかと老女が呆れたように溜息を吐いた。その声色に聞き覚えがあった。


(昼間、遺跡のそばを歩いていた奴らだ)


 二人の男と一人の女。それから荷車の中で泣いていた少女と、もう一人まるまっこい小さな背中があった。きっと、その人だろう。偉く不機嫌な声をしている。


「どうせなら金が欲しい、こんな貧乏暮しは真っ平だって本音を言ってくれた方が可愛げがあったよ。それを母親の病気を治すためだなんてさぁ。餓鬼の癖に出まかせを言うものじゃないよ」


「出まかせじゃないもん。ファドルのお母さんが死の病だって、ばば様も知ってたでしょう?」


 嫌と言うほど聞き覚えのある言葉に、暗がりの中で目を伏せる。死の病は、文字通りの死病だ。魔王ワーリスの呪いとも言われているそれは、かかり始めは風邪のような症状が出る。乾いた咳と、熱。体のだるさがやってきたと思えば、次第に目がくらみ始め経って歩く事すらできなくなる。そして、最期は体中にができて、血を吐き出す。


(父上も、そうだった)


 ルークの父、アル・カマル皇国の皇主カリフスレイマンは二年前に体の不調を訴え、寝台に伏せるようになった。死なぬ限り治らぬと言われる死の病だった。命はもって一月か二月。年を越せないだろうと言われた父は、二年経た今も病と闘っている。


「知ってるよ。皇主カリフだって、同じ病に苦しんでいる。イブティサーム様だって、死の病で亡くなられた。あれは、ずっと傍にいたから病気が感染うつっちまったんだ。ファドルもそのうち罹るに決まってる。ほんっと馬鹿な子だよ、あの子は」


「ばかって言うな」


「あんた、さては病の事を甘く見てるね。死の病ってのはね、魔王ワーリスの呪いだよ。病に罹ったら死ぬか生きるかの選択を迫られるんだ。そのまま死を選べばいいけど、生きたいなんて思ったら最後だ。魔王ワーリスの呪いで魔族にされちまう。したら、今度はスフグリムに殺されにゃあならなくなる。魔族は死の病を運ぶからね……私にしたらその方が可哀想に思うよ」


 放って置きゃあ良かったんだと呟いた老女に、少女は声を荒らげた。


「ばば様がそんなことを言うからファドルは出ていったんでしょう!?」


「ばば様、カミラも。そのへんにしとけ」


 言い合いに割って入ったのは、野太い獣のような声だった。


「ばば様や、ちっとばかし大人げないんじゃないかね?」


「わからずやに現実を教えてやったまでさ」


 恐る恐る外を伺うと、薪を囲んだ数人の男女が深刻そうな面持ちで座り込んでいた。目元までを覆う覆面ニカブで顔を隠した目つきの優しい女に、熊のような大男。酷く顔色の悪い青年に、背中を丸めた老女と、泣いている少女がいる。


「しかしまぁ……銀貨三枚で西守のお手伝いか。一枚あれば贅沢しなけりゃ半年くらいは屋根の下で生活できるな」


 顔色の悪い男が、大男と老女の視線を受け、たじろぐように肩をすくめた。


「いや、ほら、もしもだよ。もしもさ……ファドルみたいに銀貨を独り占めできたら今より良い生活できるなって思わないか。俺だったらファドルみたいに母親を助けるために使うんじゃなくて、もっとこう、自分のためになることに使いたいね。例えば、麦酒をたらふく飲んだりとか」


「お前もほどほどにしておけよ、クラフィット」


 顔色の悪い青年が、くく。と、喉を鳴らした。


「苦い酒は嫌いか?」


「苦くても甘くても、酒は嫌いだ。目が回っちまう」


「アサドは酒に弱いもんなぁ」


 ああ、彼らは、だ。流民の多くは家を持てぬほどの貧困者で、税も収められぬから土地を追われて方々を転々とする生活を送っている。日々を食つなぐのにも苦労する有様は、それはもう悲惨なものだと聞いた事がある。


(麦酒で腹を膨らませるくらいなら、もっと別の、もっと有用な金の使い方をすれば良いのに。溜めるための努力を怠るからこんな空の下で寝る羽目になるんだ)

 

 クラフィットの考えが、ルークには本気で分からなかった。胡乱気な眼差しを向けられている事にも気づかず、クラフィットは可笑しげに笑い転げる。


「ばば様もアサドに何か言ってやれ。人生の楽しみを半分失くしてるぞってさ!」


「呆れるねぇ……酒だけが人生の楽しみでもあるまいに」


「ふん、想像するだけなら金は要らないだろ。で――――次は、何処へ行く?」


「そうだな……アル・リドまで随分かかるし、街へ戻るのもなんだしな」


 クラフィットとアサドの会話を盗み聞きながら、ルークは肩を落とした。夜のうちに方角を確かめておきたかったけれど、彼らがいては何も出来そうにない。一夜をここで明かすのかと思うと、気分がどんよりとしてゆく気がした。


(それにしても身動きさえできないのは、辛いな)


 体の痛みに耐えかねて姿勢を崩した瞬間、足元の石が音を立てた。


「誰だ!」


 大喝だった。腹の底まで轟くような声は、ルークを竦みあがらせるには十分過ぎるほどで。先刻まで穏やかに冗談まで言い合っていたアサドが恐ろしい表情で巨躯きょくを起こし、こちらを伺っている。刺すようなぴりぴりとした気配に、ルークは凍り付いた。やがてアサドの丸太のような太い足が瓦礫の外に見えた。裾はぼろ同然に穴が開き、ところどころが裂けている。その下に木綿のようなもので出来た布で足を巻いているのが見えた。


「出てこい」


 唸るような声に縮こまっているのへ、アサドは急くように促した。


「いいから、出てこい」


 息をつめて、じっと、穴の外を伺っていると、やがて刺すような気配が和らいだ。熊のような顔つきの男が瓦礫の隙間から中を覗き込んでいた。


「……餓鬼がきじゃねえか。ほら、そんなとこにいないで、出てこい」


 まるで猫を呼ぶように手を差し伸べてくるものだから、隠れ続けるわけにはいかなくなってしまった。見つかってしまったのでは仕方がないと腰を上げようとして尻もちをついた。


「おいおい、怖がらなくても良いだろう?」


「うるさい!」


 腰が抜けたのだ。原因はアサドの大声だった。耳を赤くしながら這いずるように穴から出すと、カミラと呼ばれる少女と目が合った。


「ファドル……?」


 その呟きに、なんとも間の抜けた声がルークの口から漏れた。違う。そう答えようと口を開いた瞬間、アサドが苦笑した。


「こいつはファドルじゃない。外見はそっくりだが、声色が全然違う。それに言葉もあいつに比べて物凄く聞き取りやすい」


 ファドルじゃあこうはいかないとでも言うように、カミラへ肩を竦めておどけた様な仕草をする。納得がいかないらしいカミラが眉根を寄せた。

別人という事実が受け入れづらいらしい。無遠慮に顔をルークに近づけ、上から下まで眺め、やがて肩を落とした。


「だから言ったろう? すまんな、連れが妙な事を言い出して」


「そんなに俺とファドルは似通っていたのか?」


「まぁ、な。んなことより一緒に薪にでもあたらないか。外套がいとうも要らない過ごしやすい時期になったとはいえ、まだまだ夜と朝は冷える。そんなんじゃ身体を壊すぞ」


 面倒な事になったと毒づきそうになって、ルークは慌てて口をつぐんだ。


「……怖がらせたか?」


「馬鹿が大声を出したもんだから、おっかなくて近付きたくないのさ。だろ、坊主」


 老女が、ずばり言う。アサドが慌てた。


「その、悪意はないんだ。だから安心して欲しいというか、時に子供を泣かせることもあるが、泣かせたいから泣かせているわけでもないし、女だって怖がらせてやろうと思って怖がらせているわけじゃなくてだな。ああもう、どういえば良いんだ。ばば様は俺を困らせようとしているのか!?」


「坊主、正直に怖かったって言えや良い。アサドの怒鳴り声を聞くと大体の餓鬼は泣くか、小便をらすもんだ」


 情けない声を上げるアサドを、老女が朗らかに笑う。ルークもまた、つられるように口元を緩めた。


「しかしまあ、ファドルそっくりだね。やせっぽっちで骨と皮だけで、猫みたいな目をして……背格好もなるほどよく似ている。言葉はこっちのが品が良いね、何処で習った?」


観察するような眼差しに、笑みを引っ込める。無言で首を横に振ると、途端に老女が不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「人の生い立ちってのは少なからず言動に表れるからさ、多少なりともどんな奴か分かるけど、この餓鬼はよく分からないね。ただの生意気そうな乞食ワキルの餓鬼だと思えば一丁前に大層な剣まで持ってさ。あんたひょっとして、乞食ワキルじゃなくて剣奴ムンタキムなんじゃないかい?」


「どうしてそう思う?」


「質問に質問で返すなんて、いやらしい餓鬼だね。乞食ワキルは剣なんて持たないからさ。そいつをあんたが盗んだのなら、話は別だがね」


「盗んだと言ったら?」


 白髪の混じった眉が、ぴくりとした。


「そりゃああんた、盗んだものは返さなきゃいけないねぇ」





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