彼方の語らい、耳に届きて

 アズライトへの反応は様々だった。ばつの悪そうな顔つきのバラクと、無表情のジア。モハメドは成り行きを見守ることにしたのか静かに目をつむっているし、ハリルに至ってはアズライトを見るなり溜息を吐いた。


「どうして戻ってきた」


「イスマイーラからの伝言を預かって来ました」


 まるでおつかいに行ってきたかのような口ぶりに、ため息が漏れた。


「それと、イスマイーラからを頼まれました」


「あいつめ!」


 砂を蹴る。子守りという言葉に反応した訳ではない。言伝を頼んだイスマイーラの行動に腹が立っていた。苛立たしい気持ちを堪えながらアズライトを見上げる。彼女は全くいつもの調子で言葉を続ける。


「彼はこのまま密偵を務めるつもりのようです」


 その言葉を聞くなり、モハメドが伺うような視線を寄越してきた。それへ、少しだけ悩みながら言葉を返した。


「……あいつに考えがあるらしくてな。暫く別行動なんだ」


 この場にいる全員には、そう言うしかなかった。納得がゆかないという視線から逃れるように、アズライトに問いかける。


「それで、あいつからの伝言は」


「偵察支援隊イブリースは、ムトの道の崩落に巻き込まれ、壊滅したと」


「ムトの道が崩落した?」


 降ってわいたような話に誰しもが耳を疑った。ムトの道には水がないはずだという囁きの中で、アズライトはムトの道に水が湧き出た経緯を説明し始めた。


「確かに皆さんが言う通り、元々ムトの道には水はありませんでした。ですが、避難民の中に魔族がおり……」


 彼らはムトの道の奥深くに沈み込んでいた地下水を、魔法クオリアを使って周囲の水脈と繋げることで増水させ、湖のようなオアシスを作り上げたのだという。けれど無理くりに地下水脈の形そのものを変えてしまったひずみは、人々に恵みをもたらす前に崩壊した。


「崩落した道は、いまだに水があふれだし、今では長大な川のようになっています」


「川が出来たとなれば、そこを王国軍が使うかもしれないですね」


 ハリルの言葉に、モハメドが膝を叩いた。


「連中がやって来る道が定まりましたな」


「どなたか、地図を頂けませんか」


 思い立ったように訊ねるアズライトに、ルークは手持ちの地図を渡した。アズライトはそれを受け取ると、焚き火の傍で広げ、地図をよく見るように全員を手招いた。その手元を覗き込むと、カムールの大地の詳細が丁寧に描かれていた。その上に、淡々と石を並べていった。

まずサハル街道の傍に石を置き、それから北カムールのナルセの丘付近に石を置く。


「これよりイスマイーラから聞いた、アル・リド王国軍の進軍経路と行動計画をお伝えします」


 アズライトが、すっと、遠くを見やるように視線を宙へやった。松明の光を受けて、ほの赤く輝く耳飾りの光を目の端に捉えながら。

いま、アズライトの目と耳にはルーク達の声の他にもう一つ声と姿が映っていた。イスマイーラと見えぬ糸で共有した感覚が、ここにはない声と景色をアズライトへ届けていた。


               ※


 同時刻。川と化してしまったムトの道の近くに、アル・リド王国軍先発隊の天幕があった。遊牧民族ベドウィンの営地のような天幕群の一角には、煌々と篝火が焚かれている。その近くに、隻腕の男が立っていた。彼は傲慢という言葉を顔に張り付けたような面相で、口元には豊かな白髪交じりの髭を蓄えている。指には戦には不釣り合いな金色の指輪をはめ、それを見せつけるように髭を撫でていた。

この男、名をテベリウスという。彼は何事かを考えるように中空へ視線を彷徨わせると、かしずく三人の男に目を向けた。


「イマームとサハル街道が毒薬を撒かれて使えぬから、隠し水のあるムトの道を行こうと奏上した貴様の言葉を信じた私が馬鹿だったようだ」


 怒りに満ちあふれた声に、イスマイーラの声が応じる。


「いついかなるときに地が震えるかなど大地の子アル・アシェラとて正しく読み取ることなど出来ません。まして、素人の私ではとても。ですが注意申し上げたはず。その注意を、卑賤ひせんの民の言う事など聞くに値しないと仰ったのは他でもないテベリウス様ご自身だったと思われますが」


「だまれ!」


「最終的に命令を下されたのはテベリウス様ご自身。一応申し上げておきますが、失態の責任は、我々が持つべきものではございませんので悪しからず」


 言い切ったイスマイーラを、タウルが笑う。小声で、イスマイーラへ囁いた。


「お前、殺されるぞ」


「責任の所在を曖昧にしておけば、後々こちらが理不尽な目に遭う。そうなる前に声だけはあげておくべきだと思いませんか」


「何をごちゃごちゃと話している!」


 テベリウスはタウルの顔面を蹴り上げると、怒声を張り上げた。


「貸し与えてやった蛇を壊したのも、自分達の責任ではないと言うつもりか!」


「……結果的には。ですが感情的になるよりも、もう少し冷静になって広い視点を持っていただきたいものです」


「広い視点? 失態を重ねた貴様が言う言葉か」


「重ねて言いますが、私やそこのタウルの失態ではありません。最終的に命を下したテベリウス様のせい。それよりも毒を撒かれていない水場を確保できた上、そこに集う人々に交渉して物資の補充も容易になったことに目を向けて頂きたい」


「それは失態を繕う材料にはなり得んぞ、イスマイーラ」


 吐き捨て、押し黙る。やがて意地の悪そうにテベリウスは顔を歪めた。


「貴様、皇国軍に深く取り入り、我が軍の内情を話したらしいな?」


 どうだ、言い逃れできまいという顔つきへ、


「議論のすり替えは止めて頂きたい。そもそも私はダリウス様の目。誰が敵に我が軍の内情を話しましょうか」


 弾かれるようにユベールが顔を上げて、叫んだ。


「違います。こいつは嘘を吐いている。殺せと命じたルシュディアークを殺さずに見逃し、その上ムトの道の異変を黙っていた!」


 何も知らないはずがないと怒気露わにするユベールを、イスマイーラは黙殺した。テベリウスは苛立ったように息を吐くと、腰の剣を引き抜き、イスマイーラの喉元に刃をあてがった。


此度こたびの責任、貴様の命であがなおうか」


「ですから、私の責任ではありませんと何度も申し上げた」


 怒気露わにするテベリウスを、静かに見上げる。そこへ、もう一つの気配が割り込んできた。


「よさぬか、テベリウス」


 興奮したユベールの顔色が、さっと、変わった。篝火かがりびのそばでじっと、四人の会話に耳を貸していたらしい大男は、戦場にはふさわしからぬ朗らかな表情をイスマイーラへ向けた。


「裏切り者の烙印を押されるほど、活躍してきたようだな」


「ダリウス様」


「刃を収めよ、テベリウス。私はイスマイーラと話がしたい」


 テベリウスはダリウスを睨むと、刃を鞘に納めてイスマイーラから離れた。入れ替わるようにダリウスが傍へやってくると、かがんで顔を覗き込んだ。


「到着が遅れてすまなんだな。して、第二皇子はいかがであったか」


「は。サルマン殿下との接見を望んでおられました。如何な理由で我が国を攻めるのかと伺いたい様子」


「青いのう」


 言葉とは裏腹に、微笑みが顔を彩っている。ダリウスは立ち上がると、テベリウスへ身体ごと振り返った。


「貴殿が言う責任の所在については後で問うとして。のう、テベリウスよ。水の無かったムトの道に長大な川が出来たのは我々にとっての僥倖ぎょうこうではないか」


 歯ぎしりをしながら睨むテベリウスへ、ダリウスは表情を改めた。


「失態の責任を問うのはサルマン殿下のみであり、処罰を下すのもサルマン殿下である。ゆめ、忘れるな」


「ですが、こいつらは!」


「これ以上は水掛け論になろう。貴様は少し冷静になれ。殿下よりの命令を伝えられんではないか」


 はっと、テベリウスが息をひそめた。


「命令、とは」


「うむ。テベリウスよ、貴様に私の兵を多少貸し与えてやろうというのだ。それを率いてそなたが先んじてナルセの小道を行くがよい。騎兵どもを梅雨払いしたのちに、サルマン殿下率いる本隊がそこを通る。失態を取り戻すのならば今を置いてほかにはあるまい?」


「私に責任があるように聞こえるのですが」


「こやつらに命を下したのだ。貴様の責任であろうと私個人は思うのだがな。それに、先ほど貴様が剣を突きつけた者は我がの密偵だ。責めるのであれば、少しばかり筋違いと言うものではないかな?」


 ん?どうだ。と、小首をかしげるダリウスに、テベリウスは苦虫を噛み潰したような表情で言葉を飲み込んだ。




当サイトに掲載されている写真、イラスト、文章の著作権は早瀬史啓に帰属します。無断での複製・製造・使用を全面的に禁止します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る