鉄の翼 渇きの国と鉄女神

早瀬史啓

第一章 鳥の影 陰謀の城

炎の記憶


 炎で彩られた部屋の中で、ルシュディアークは立ちすくんだ。

 よくみがかれた白い大理石の床も、その上にかれた毛足の長い青い絨毯じゅうたんも、幾何学模様アラベスクの刻まれた白い壁と天井も、全てが赤々と燃えている。その中心で、何かが踊っていた。煮えるような黒煙こくえんに咳き込みながらを仰ぐ。火の粉をき散らしながら部屋の中心で狂したように踊るは、人の形をしていた。

まるで紅い光の花弁をまとい、舞踏ぶとうでも舞うようにばたばたと踊っているそれは、腹違いの義姉イブティサーム


(死ぬのか、俺もイブティサームも)


 そう思ったとたん、がくがくと足がふるえて立っていられなくなった。呼吸するたびに頭のしんが、じーんとしびれた。失いそうになる意識をとどめようと息を吸い込もうとして失敗した。

煙たさと熱さに涙がにじむ。炎が足元まで迫っていた。

けれど不思議なことに炎がルシュディアークにおそいかかることはなかった。一体どういうわけかと首を傾げた瞬間しゅんかん、息を飲んだ。イブティサームを包んでいた小さな赤い光が、自分の全身にまとわりついていたからだ。恐る恐る光へ手を伸ばすと、光はルシュディアークを慕うようにまとわりついてきた。


(これは、まさか)


光の冷たい感触に包まれながら、ルシュディアークは赤い光の意味を、拒絶と共に理解してしまった。


                ※


 目の前に暗闇があった。天地も左右も分からずうでを伸ばす。毛足の短い毛布の感触。腹にかかる微かな重み。しばし手元をまさぐり、寝台の上にいることを理解した途端とたん、ルシュディアークは安堵あんどするように息を吐いた。

あの夢の日から一月ひとつきが経つ。それでも炎に包まれたイブティサームの姿は、薄れるどころかこびり付いて離れなかった。


(俺は殺してなんかいない)


 多分きっと。いや、どうなのだろう。炎に飲まれたイブティサームの姿は覚えているのに、そうなる前の記憶が曖昧あいまいで。


(確かあの日は大事な話があるからと、イブティサームに呼び出されたんだった。部屋に行くとすでにイブティサームがいて、小言と一緒に何かを言われたんだ……何を、言われたのだったか)


 覚えていないのがもどかしい。必死で思い起こそうにも記憶がぼやけて記憶の欠片さえも思い出せない。唯一はっきりと分かっているのは、あの夢の光景だけで。


(あの時のことを思い出せればこんな部屋から抜け出して、兄上と大臣共を怒鳴りつけてやれるのに)


 寝台しんだいと簡素な座卓ざたく以外何もない部屋で大きな溜息を吐いた。心がどうしようもなく荒立っている。何かに八つ当たりしたくてたまらなかった。苛立たしさをにじませながら窓の外をながめれば、漆黒の空に青白い月が昇っているのが見えた。


(もう一度、寝なおそうか)


 こんな気分では眠れるかどうかは分からないけれど。

 再び寝台しんだいで横になろうとした時、扉の方から微かな物音が聞こえた。そっと耳を澄ませると、何者かの話す声がした。声色からして女ではない。男だ。二人いる。後ろ暗い話でもしているのか、扉越しに緊張きんちょうした気配が伝わってきた。

つと、嫌な予感が胸を覆った。


(まさか、俺の裁きが決まったのか?)


 心当たりは、いまより一月ほど前にさかのぼる。

 二千年以上の歴史を持ち、先史文明の遺産を今に引き継ぐ小さな砂漠の国、アル・カマル皇国。その城内で、一つの事件が起こった。


 アル・カマル皇国を統べる皇主カリフと第一皇妃の間に生まれた皇女イブティサームが、同じくスレイマンと第二皇妃の間に生まれた皇子ルシュディアークに殺されたのだ。皇子による、皇女の殺害である。

あの火災の後、身柄を取り押さえられたルシュディアークは、実兄である第一皇子イダーフに議場へ呼び出されていた。

衛兵に伴われて訪れたそこには、イダーフの他に一部の城の高官達がルシュディアークを待っていた。


「そなたを呼び出した理由、話さずとも分かるな?」


 一段高くなった議場の中心で椅子に座したイダーフが、剣呑けんのんな目つきでルシュディアークを見下ろしていた。父そっくりの顔には敵意が張り付いている。


「何故、義姉上あねうえを殺した?」


「俺じゃない、俺は、殺していない」


「お前でないとすれば誰が殺した」


「知らん」


 ほう――――と、イダーフが目を細めると、ルシュディアークもまた睨み返した。血縁を示す紅い瞳が交錯する。


「知らぬはずはない。来るがよい」


 イダーフは議場の奥へ視線を巡らせると、何者かを手招いた。兵士に伴われて議場の中心にやって来たのは、一人のくたびれた男だった。

おびえたように議場に集まる人々を見渡し、ルシュディアークを見つけて小さな悲鳴をあげた。


「火災の起きた部屋の一角を任されていた守衛だ。見覚えがあろう。守衛、発言を許す、べよ」


 おびえる男を兵士が小突いた。守衛の男は弱り切った眼差しでイダーフを見上げ、それからルシュディアークを一瞥いちべつすると、観念したように切り出した。


「お、おそれながら申し上げます」


 声を震わせながら、たどたどしい言葉で男は続けた。


「あの日は夜勤めの者と交代し、いつものように部屋の一角を巡回しておりました。昼過ぎに殿下とイブティサーム様が部屋に来られ、なにやら大切なお話をされておりました」


「大切な話とは?」


 男は、首を振った。


「高貴なるお方々のお話を盗み聞きする不敬など、とても……」


「ならば二人の他に不審な者は見なかったか」


「イブティサーム様より用を仰せつかり、すぐに持ち場を離れましたので、見ておりません」


 イダーフが片眉を上げた。何かを深く考えるそぶりをした後、男に続けろとうながした。


「用を終えて持ち場に戻ろうとした時でしょうか。何やら焦げ臭いような、金臭いような臭いがしたので、急いで殿下達のおられる部屋に戻りますと、赤い光が漂っていたのが見えました」


 静まり返っていた議場が、騒めいた。

 赤い光は災いの予兆だ。光を目にすれば死人が出ると言われている。その実態は、魔法クオリアが使われた際に出現する光だった。 

議場のざわめきを手で制すと、イダーフは言った。


「それは部屋の外でか、それとも部屋の中か」


「……イブティサーム様とルシュディアーク様のいたでございます」


「それはおかしい! 赤い光が出現したのは火がおこった後だ。火がおこる前に赤い光など見なかったし、第一俺はそこの守衛の姿も見ていない!」


「そなたの発言を許した覚えはない。しばし黙るがよい」


「黙らん! 兄上、俺の話を聞いてくれ!」


「黙れ。弁明の機会ならばあとでいくらでもくれてやる。守衛、証言を続けよ」


 睨みあう二人を恐れるように眺め、守衛は震えながら口を開いた。


「……私は、確かに見たのです。部屋の中で、まるで赤い光に守られるように炎の只中で立っている殿下の御姿を。あれこそ殿下が魔法クオリアをお使いになり、イブティサーム様の御命おいのちを奪った証拠ではないかと。いえ、きっとそうに違いありません!」


 伺うような視線と、疑る視線がルシュディアークに注がれた。


「……そなた、何時の間にになった?」


魔法クオリアは、死の病から生きて帰った者のみが使える魔性のわざ。俺は死の病にかかったこともなければ、魔法クオリアを使った記憶も無い」


 死の病は、魔に魅入られる事によってかかる病だ。

 魔とはその昔、神と人によって倒された魔王ワーリスの怨念だと言われている。曰く、魔に目をつけられた者が病にかかり、生死の狭間で魔に契約を持ちかけられるのだという。

このまま魂と肉体を奪われて死ぬのが良いか。それとも生きながらえたいか。死を望んだ者はそのまま魂を魔に喰われて死ぬが、生を望む者は魂と肉体を担保にとして蘇る。その代わり、魔は契約の印としてわざを授ける。それが、魔法クオリアだった。


「守衛の証言は証拠としては不十分だ。守衛は赤い光と炎に包まれた部屋しか見ていない。俺が魔法クオリアを使ってイブティサームを殺したところなど見ていないのだ。これの何処が証言足り得るのか!」


「しかしあの部屋には義姉上あねうえとそなたしかいなかったという。赤い光は魔法クオリアを使った際に出現する光。術者が傍におらねば輝くこともない。これだけの証拠があって未だに違うと言うのなら、違うという証明をしてみせよ」


 ルシュディアークは唇をぎゅっと噛みしめ、うつむいた。

 

(……それを証明できるものが、ない)


 溜息に悔しさをにじませて、ルシュディアークは肩を落とした。


「俺は、殺していない」


 そういうだけで、いっぱいだった。

 悔しさと共に終わった聴取ちょうしゅの後、ルシュディアークはひっそりと城の一角へ幽閉されることとなった。



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