第九章 砂礫の庭に戦太鼓は響いて

蒼月の下、鳥は降り立つ

 イマームで別れたモハメドが騎兵なかまたちを引きつれてナルセの細道にやってきたのは夜を少し過ぎたあたりからだった。彼は再会の挨拶をそこそこにすると、ハリル達を呼び寄せて岩陰の下に座り込み、大きなため息を吐いた。


「イマームの水脈に毒薬を撒いてまいりましたが、やはり毒薬の数が足りず、全てのオアシスには仕掛けられませんでした」


「持ち歩ける毒薬に限りがありましたから仕方ないですよ。それに、飲める水のあるオアシスと、毒入りのオアシスが混在していた方がかえって都合が良い、でしょ?」


 にこりともせずに頷いたルークと一緒に、その場にいたモハメド以外の誰しもが頷いた。


「ときに、モハメドの方にいた王国軍の動きはどうだった?」


「偵察と思しき兵がおりましたが、六名の兵共でしたのでこちらで蹴散らしておきました。ただ、それよりも気になることが」


 モハメドの言葉に、ハリルが表情を消した。互いに視線を交わせると、意を解したように頷き合う。


「どうにもアル・リド王国軍の荷駄の取引が問題になっているようです」


「取引? 安い価格で大量の品物を買い占めでもするのか。それとも野盗のように奪いに来るのか?」


「野盗のようであれば、まだ良かったかもしれません」


「というと?」


なのですよ。金払いの良い商人の顔で物を大量に買い占めてゆくのです。そのおかげで一部の商隊や遊牧民達がアル・リド王国軍側へくだろうとする者達がいるとか。対して我々とくれば、信用を頼みにして大量の荷駄を値切っておりますから。どちらに好意を抱くかなど、分かりきっておりましょう?」


「あまり良い兆候とは言えませんねぇ」


「ここに援軍でも来て、王国軍を蹴散らしてくれたら、離れていった民の心も、我々の立場も良いものに変わるかもしれませんが」


 硝子谷の砦からの連絡はまだかという含みのある視線に、ルークは目を伏せた。


「一昨日、ニザルからハリル宛にサクルが届いた。セーム首長国側からの使者が訪れたので、支援をとりつけたそうだ。硝子谷の砦、確かアムジャードと言ったか。そこで支援隊と落ち合う予定だそうだ」


 モハメドが、あからさまに肩を落とした。


「彼らは、もっと早くに動くべきでありました」


「あまり責めてやるな。あいつらだって防衛のための戦力を削いで俺達に与える余裕が無いんだ」


 仕方がない事だった。どこもかしこも手が足りないのだから。


「話が逸れたな。で、気がかりとはそれだけか?」


「いえ、もう一つ。どこもかしこも、オアシスの水位が下がっておるのです。乾期も終わりに近づいているこの時期ですから、珍しい事態ではございませんが。急激にとなると異常としか言わざるを得ません」


 困惑するモハメドに同意するように、ハリルが頷いた。


「サハル街道も同じなんですよ。オアシス同士が隣接しているならともかく、街道のオアシスとイマームのオアシスは遠く離れています。だと言うのに同時期に水位が下がったとなれば。これは水脈に異変でもあったとでも思うしかないでしょう」


 でも、と、ハリルは言葉を続けた。


「地下水脈が流れを変えることは、地が揺るがない限りありえないんですよ」


 その言葉に、誰しもが眉をひそめた。


「誰か、何処かで地が大きく揺らいだという報告は」


「受け取っていませんよ。モハメドさんのところは?」


「聞いておりません」


 うーんと、思い起こせるだけの原因を考えながら天上を見上げる。星々は銀砂のように散らばり、遥か昔と同じ光で瞬いている。雲一つない満天の星空に目を凝らすと、雨期の始まりを告げる水神ウェルテクスを表す青白い星が静かに瞬いていた。

顔を下すと、ハリルとモハメドが複雑な表情を浮かべていた。


「暫く、周囲の噂話に注意を向けていた方が良いか」


 それしかできないだろうと二人が頷いたその時だった。モハメド達がやってきた方角から、誰かが誰かを呼ぶような声が聞こえてきた。声の聞こえてきた方へ顔を向けると、息を切ったようにバラクが駆け寄ってきた。


「大変、大変ですよ!」


「何があった」


 参ってしまったように後ろを振り向くバラクにつられて、彼の後ろを見る。闇の向こうに目を凝らすと、数名が松明を片手に、こちらに歩いてくるのが見えた。煌々と輝く炎に照らされたそれが目前まで近づいてきた瞬間、その人物が誰なのかを理解した。


「なんでお前がここに居るんだ」


 そいつの肌は月光のように白く無機質で。金色に輝く瞳だけが暗闇の中で生気を宿している。まるで家に帰って来たような足取りで近づいてくると、


「ただいま戻りました」


 いつもの口調のアズライトがいた。



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