身分違いの友

 再び応接間に通されたルークは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 あれから食事は喉を通らなかった。辛うじて残されていた食欲は、全てよからぬ話が持って行ってしまった。


(とはいえ、面倒事を具体的に知ることが出来たのは収穫だった)


 その面倒事を更に面倒な人物を使って屋敷に招いたジャーファルは、従者に呼ばれて食事の最中さなかに席を外した。本来なら屋敷の主から叱責の一つは受けそうなものだったけれど、今回ばかりは事情が事情だ。マルズィエフは気分を害すどころか快く推奨した。詳細が分かり次第報告をしろという要求が言動に含まれていたのを、その場にいた誰もが理解していた。その彼は、先刻からずっと冴えない表情を浮かべている。


「殿下、今一度城へお戻りくださりませぬか。あの死神ターリクめを恐れているのであれば、我が屋敷にてほとぼりが冷めるまで御隠れあそばされませ。その間、我々が殿下の無実を晴らし―――」


「無理だな、それは。魔族であるという事実を覆せるような証拠が無いのであれば、戻っても意味が無い。殺人罪と魔族の嫌疑に逃走罪が新たに加わるだけだ。それにお前の屋敷に滞在するにしても、今度は身の置き場と隣国との問題に頭を痛めることになるだろうし、なにより俺を逃がした兄上の立場もお前の立場も悪くなる」


「殿下が魔族では無いという証明なら、竜にさせればよいのです。そこの娘の言う通りであれば、殿下の嫌疑そのものに疑問を感じる者も出てきましょう。殿下の身の潔白さえ証明できれば、幾つかの問題は片付くのです。もしかしたら我が国の窮状きゅうじょうすらも」


 尚も食い下がるマルズィエフへ、ルークは首を横に振った。


「我が国と、我が国を取り巻く現状を知ってしまった後では大人しくしていろと言われても無理だ」


「……頑迷がんめいな」


 退出していくマルズィエフの背中を眺めながら、ルークは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


(もし父上が生きていれば……)


 多少の暴力を伴ったとしても、いまよりははるかに平和的な方法で解決できたのかもしれない。しかし、その父は既に亡い。


(どうして先に逝かれてしまったのか)


 城を抜け出した時、死に目には会えないだろうと覚悟はしていたのに。いざ想像していた通りになってみればこんなにも苦しいとは。


「……ルシュディアーク第二皇子殿下、その、今後の事なんですが」


 遠慮がちに伺ってくるウィゼルに、ルークはばつの悪そうな表情をした。


「その呼び方は止めてほしい。俺はもう皇子じゃないんだ。頼むから今までのようにルークと呼んでほしい」


 ウィゼルが口を閉ざした。肯定とも否定ともとれる沈黙は、ルークが余計な思い煩いをするには十分なほどの長さだった。


(身分や立場だけで、相手への態度を変えるような人ではないと思っていた)


 だから、ウィゼルの事を人として、少し尊敬していた。


(でも、皆と変わらなかったんだな)


 ウィゼルが、戸惑うように口を開いた。


「……どう扱ったらいいのか分からないのよ。その、皇族と話すのは初めてだし……驚いたの。今までその、だって思ってたから」


「偉いから、偉そうにしていたんだ」


 その声色には、何処か楽しげな響きが含まれていた。それへ、ウィゼルは苦笑する。


「お城の中でもそんな調子だったの?」


「皇子なんだから態度が小さくてどうする。国を背負う立場なんだ、相応の態度でいなければ皆に示しがつかないし、偉い奴が弱気だと、ついてくる奴らが不安になるだろう?」


 だからな、と、ルークは言葉を区切った。他人に漏らしてもいいものか。少し戸惑う。これは、ルークの内面を暴露するのに近かった。


「どんなに嫌でも、偉そうに振る舞い続けなければならなかった」


 たとえ、それが他者にとって傲慢極まりないものだとしても。


「気安く人に接すれば見下される。気位高くいれば、今度はごまをすったり、不満を持ったりする奴が現れる。だからそういう奴を寄せ付けないようにしなければならないし、皇子も損なわないようにもしなくてはならない。常に言動に気をつけていなければいけなかったんだ。俺とウィゼルが立場上相容れないのは分かってる。皇子と民草じゃあ、天と地ほども違うからな」


 いまおもえばウィゼルやアサド達といた時は不思議と心安らいだ。自分の立場を明かさなくても良い。都合の悪いことも、彼らは突っ込まないでいてくれた。そんな人間関係がどれほど気楽だったか。


「……分かっている、つもりだった」


 どれほど素晴らしい人たちに出逢っても自分の出生も立場も変えられない。自分のいた環境が。人間関係が。個人のルークではなく、皇子のルシュディアークを求めている。なにより、ルークの中の皇子としての部分が、それでは駄目だと叫んでいた。


 そんなふうではカダーシュも、誰も守れないと。


 我欲のまま振る舞う者。 強者にびへつらい、おこぼれに預かろうとする者。強者におもねり弱者を理解できぬまま切り捨てる者。人では無い人の形をした城内の化物達のなかで必死に生きてきた。心無い大人達による義弟カダーシュへの仕打ちを間近で見てから、より一層皇子らしくあろうとした。皇子として相応しくないという評価がどれほど恐ろしい結果をもたらすのか。想像し、理解した途端怖くなった。だから怖れを克服するために自らを積極的に変えていった。

自分が皇族として相応しい人間になれば、化け物たちから自らとカダーシュを守れるかもしれない。幼かったルークは、そう信じ込んだ。信じたら直ぐに行動へ移した。尊敬する大人達の考え方と言動を真似、彼等のように在ろうとした。けれど、そうするごとにルークの心は苦しくなっていった。


「違いによる疎外感なら、私にも覚えがあるわ」


 ウィゼルの表情が哀しげに曇る。


「エルフのくせに竜の民ホルフィスを名乗っているから、奇異や好奇の目に晒される事なんてよくあったの。竜の民ホルフィスを騙る悪党とまで言われた事だってある。だから小さい頃は……皆と違う事を恐れてた。ルークと私じゃ、ちょっと立場が違うけど」


 遠い昔を懐かしむかのように、ウィゼルは目を細めた。


「でも、皆が皆、同じであるはずが無いんだわ―――だって、なんだもの」


「生き物?」


「動物も人間も、外見や性格、好みや歩く速さも違うでしょ。思いの伝え方だってそれぞれ。同じものなんてなにひとつ無いのに、皆と違うから寄ってたかって虐めたりするのも、皆と違うことに悩んで恥に思うのも可笑しな話。皆が違うからこそ、これだけ沢山の容姿や、想いがある。全く同じものなんて何一つないからこそ、こうして補いあいながら生きてゆけるわけでしょう。だから皆と違う事に対して卑屈にならなくて良いのよ。それより、人と違う自分が出来ることを考えてみたらって……兄さんの受け売りだけどね」


「……兄がいたのか」


「歳の離れた兄よ」


 ウィゼルが肩をすくめた。


「優しいのだか無神経なのだか解らない。掴みどころの無い人だったけど、面倒見のいい人ではあったわ。保護者気取りで上からものを言ってくるのは頂けなかったけど」


「俺にも兄がいる。上から偉そうにものを言ってくるところはウィゼルの兄と同じだ」


 イダーフの顔を思い出したルークは、微かな胸の痛みを覚えていた。


(でも、どうせならウィゼルの兄のような、血の通った言葉を投げかけてくれる兄がいて欲しかった)


 そうであれば、この気持ちも楽でいられたのかもしれない。


「お互い苦労するわね」


 ウィゼルが、ばつの悪そうに笑った。


「……私が人によって接し方を変えないのは個人対個人だからよ。だけど、王侯貴族となると勝手が違うの。それなりの立場の人に、それなりの礼でもって敬意をあらわさないと。礼を失する行為は、おさだけじゃなくて、おさがまとめる社会の全てを否定することに繋がりかねないから。そんなことされたら誰でも怒るでしょ。ルークは生まれつきおさの立場に居たから気にしないでいられたのかもしれないけど、私はそうじゃない。おさにまとめてもらう側の人間なの」


 そこは分ってほしいと、ウィゼルの言外の意を汲み取ったルークは、沈思した後、たっぷり半刻おいて頷いた。


「でも貴方の言い分も何となく理解したわ。おおやけ以外は今まで通りルークと呼んでいいのかしら――――皇子様?」


「喜んで」


 にんまりとするウィゼルに、ルークもまた、初めて笑みを返した。





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