人形と合成獣
望郷の調べに荒々しい竜の
えもいえぬ繊細な音色に野蛮な力強さが加わって、なんとも不思議な旋律へと変化した。
(
いつの間にか笛の旋律が変わっていることに気付き、ルークは片眉を動かした。小川のせせらぎのような、心を揺すられるような旋律だ。
(……気のせい、だろうか)
興奮した竜を落ち着かせるための笛の音であるはずなのに、アルルはずっと唸り声をあげている。苛立つように後ろ足で地面をひっかいているのが気になった――――刹那のこと。ぱたた、という羽ばたきに、ルークは弾かれるように空を見上げた。
それは矢のように降ってきた。
見てしまった。唸り声をあげてこちらへ襲い掛かってくるアルルを。
ボラクが恐怖で
(やられる!)
アルルが、ボラクへ飛びかかった。ルークはウィゼルに覆いかぶさるように抱きしめると、身を固くした。刹那、二人と一匹の間に、青い影が割り込んだ。黒と青の残像が絡みあい、ウィゼルの悲鳴が響いた。ざあっと、砂が霧のように撒き上がると、もうもうとした砂煙の中で、何かが投げ飛ばされた。どすんと転がったそれへ、ウィゼルは震え、ルークが生唾を飲みこんだ。
陽光の下で、ぬらぬらと輝くものを大量に垂れ流し、口角に泡を吹いて痙攣しているそれは、アズライトが乗っていたはずの馬。獲物を仕留めたばかりのアルルが身震いし、嬉しがるように喉を鳴らす。その背後で、着地したばかりの青い影が、すっくと立ちあがる。
伸び放題の前髪を邪魔臭そうにかきあげるアズライトは、赤い光をまとっていた。アルルが唸り声を上げながら、アズライトを振り返っる。アルルにとっての獲物が
「駄目だ」
ルークは恐ろしかった、これから起こるであろう大きな喪失が。ウィゼルを支えるので精いっぱいで、対峙する一人と一匹を止められないことが悔しかった。絶対に表へ出すまいと押し込めていた感情が、胸の中からせきを切って溢れ出す。一度溢れた言葉と感情は、止められなくなっていた。竜と、
「それを殺すなっ、アズライト!」
赤い盾へアルルが
(二度目を、犯してしまった)
徐々に光が薄らいでゆくのを感じながら、祈るような気持ちで閉じていた
砂上にアルルが投げ出されていた。四肢をだらりと放り出し、ぐったりと横たわっている。アズライトが座り込んだまま、アルルを観察するように眺めていた。やがて二人へ視線を移し、変なものを見つけたかのように首を傾げた。ウィゼルの横顔に、みるみるうちに怒りがあふれた。
「おろして」
ルークの腕をウィゼルは払いのけるように引き剥がすと、自力でボラクから飛び降りた。
「なんてことしてくれたの」
アズライトの胸倉を紅潮した顔で、ひっつかんだ。
「なんとか言いなさいよ、ねえっ!」
黙ったまま視線を宙に彷徨わせていたアズライトの表情に、何かが
「アルルは、極度の興奮状態であったため」
「だからって、殺さなくてもよかった!」
血を吐くような叫びだった。共に在り続けてゆくはずだった存在を、理不尽に奪われた事への怒りと、哀しみの混ざり合った声にルークは苦い思いを抱いた。
(こんな想いを、させるつもりではなかったのに)
腕にしがみついたままの
「笛であの子は大人しくなるの!」
「ならなかったから、襲われそうになったのでしょう。私とルークがいなかったらどうなっていたか。容易に想像できたことです。それから、アルルは死んでいません」
「嘘をつかないで!」
「話は最後まで聞くべきです、ウィゼル。アルルは死んでいません。強い光による刺激で、一時的な失神状態に陥っただけです」
証拠だとでもいうように、アズライトがアルルを指さした。投げ出されたアルルの後ろ足が、ぴくりと動いた。一度だけ大きく空を蹴ると、また小刻みに震えはじめた。呼吸もしているようで、腹も上下に動いている。
「アルルは生きています」
淡々と述べたアズライトを、ウィゼルは乱暴に突き放した。
「……いみわかんない」
潤みを持った声が吐き捨てられた。
「一時間もあれば、起き上がれるようになるでしょう」
最初から心配する必要は無かったのだと、アズライトが言い放った。
「それから貴女の笛の音。旋律が微妙に異なっています。あれではアルルを落ち着かせるというより、興味を別の方向へ誘導しているようなもの。根本的な解決には至りません。落ち着かせるには、もう少し低い音色の笛で、アルルの心音に合わせるように吹かなければ」
「貴女なんかに竜の何が分かるの?」
「分かりません」
本当の竜を知るアズライトの中では、アルルは竜ではなく、ただの合成獣で、家畜なのだという事をまざまざと思い知らされる言葉に、ルークは表情を苦くした。認識が違い過ぎるがゆえの、深い溝だった。
(アズライトだけじゃない、俺もだ)
ウィゼルの笛の音があるから、絶対に大丈夫だなんて、たかを括っていたのがそもそもの間違いだった。アルルは犬のように従順だ。けれど、本質は肉食獣であるということを、忘れていた。
(俺も、アルルのことを家畜として見ていた)
だから、アズライトのことをルークは強く責められなかった。
不意に、アズライトと目が合った。
「イスマイーラの馬を殺してしまいました」
「……事情は俺から話しておく」
アズライトが、少しだけ困ったように眉をしかめた。
「説明は私からもさせてください。行動したのは、私なのですから」
ルークは溜息を吐いた。
「二人で謝るか」
考えるように口を閉ざし、
「……アリーの言う通り、鳥が来てしまいましたね」
「……ああ」
ルークと、アズライトに見つめられた
”鳥が、坊やの運命を運んでくるよ。”
あの夜、アリーは子供に物語を聞かせるような口調で、 とつとつと、ルークへ語った。
”いいかい、よく聞きな。鳥が来たら、坊やは大きな運命に立ち向かわなきゃいけなくなる。大きな決断を強いられて、心が参ってしまうかもしれない。けれどね、絶対に目を曇らせるんじゃないよ。腹に力を込めて、しっかりと足を踏みしめて、物事をよくみるんだ。あんたのためにも、あんたを囲う人達のためにもね。”
アリーの話を思い出しながら、ルークは厳しい表情で南カムールの方角を
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