人形と合成獣

 望郷の調べに荒々しい竜の咆哮ほうこうと風の音が混じる。

えもいえぬ繊細な音色に野蛮な力強さが加わって、なんとも不思議な旋律へと変化した。

サクルへアルルが猛烈に吼える。強靭きょうじんな後ろ足をばねにして、自分の背丈よりもはるかに高い位置まで跳躍ちょうやくした。アルルの鼻先が降下してきたサクルの足に触れた。アルルが、ぎゃっ、と悲鳴を上げた。怯んだその時、初めて笛の音に気づいたように、アルルがウィゼルの方に顔を向けた。その隙に、サクル 逃げた。強い横風を利用して、ぐんぐんと高度をあげる。あまりにも高い所へ飛び退ってしまったサクルに、ルークはほっと、胸をなでおろした。


サクルはしばらく戻ってこないだろう。問題は、アルルだが)


 いつの間にか笛の旋律が変わっていることに気付き、ルークは片眉を動かした。小川のせせらぎのような、心を揺すられるような旋律だ。


(……気のせい、だろうか)


 興奮した竜を落ち着かせるための笛の音であるはずなのに、アルルはずっと唸り声をあげている。苛立つように後ろ足で地面をひっかいているのが気になった――――刹那のこと。ぱたた、という羽ばたきに、ルークは弾かれるように空を見上げた。

それは矢のように降ってきた。

咄嗟とっさにウィゼルを背後から抱きすくめ、頭をかばう。左腕に矢を射こまれたような恐ろしい衝撃に、ルークは声にならない悲鳴を上げた。鋭い何かが、ルークの腕をがっちりと掴んでいる。縞模様しまもようの翼が、顔中を叩いた。ウィゼルの悲鳴を、ボラクの喚きが塗りつぶす。落馬しそうになるウィゼルを支えながら、ルークはボラクの手綱を必死で握りしめた。サクルもウィゼルも、唸るほど重かった。アルルの姿を視界の隅に捉えたルークは、血相を変えた。

見てしまった。唸り声をあげてこちらへ襲い掛かってくるアルルを。

ボラクが恐怖でいなないた。咄嗟とっさにボラクを走らせようとしたけれど、ウィゼルを支え、さらにサクルが腕にしがみ付いているせいで身動きすらできない。


(やられる!)


 アルルが、ボラクへ飛びかかった。ルークはウィゼルに覆いかぶさるように抱きしめると、身を固くした。刹那、二人と一匹の間に、が割り込んだ。黒と青の残像が絡みあい、ウィゼルの悲鳴が響いた。ざあっと、砂が霧のように撒き上がると、もうもうとした砂煙の中で、何かが投げ飛ばされた。どすんと転がったそれへ、ウィゼルは震え、ルークが生唾を飲みこんだ。

陽光の下で、ぬらぬらと輝くものを大量に垂れ流し、口角に泡を吹いて痙攣しているそれは、アズライトが乗っていたはずの馬。獲物を仕留めたばかりのアルルが身震いし、嬉しがるように喉を鳴らす。その背後で、着地したばかりの青い影が、すっくと立ちあがる。

伸び放題の前髪を邪魔臭そうにかきあげるアズライトは、。アルルが唸り声を上げながら、アズライトを振り返っる。アルルにとっての獲物がサクルでもなく、ボラクでも、馬でもなく、アズライトへ移った瞬間だった。

獰猛どうもうたけるアルルと、直立不動のアズライトの姿にルークは青ざめた。アズライトが左手を掲げた。その掌から赤い光の、長方形の盾が現れる。


「駄目だ」


 ルークは恐ろしかった、これから起こるであろう大きな喪失が。ウィゼルを支えるので精いっぱいで、対峙する一人と一匹を止められないことが悔しかった。絶対に表へ出すまいと押し込めていた感情が、胸の中からせきを切って溢れ出す。一度溢れた言葉と感情は、止められなくなっていた。竜と、竜の民ホルフィスを滅ぼしたというアズライトの告白が、ルークに叫ばせた。


「それを殺すなっ、アズライト!」


 赤い盾へアルルが吶喊とっかんするのとルークが叫んだのは同時だった。アズライトは逃げなかった。避けようともせず、光の盾を構えたまま、アルルの頭突きを正面から受け止めようとしている。アルルもまた、光の盾など見えていないかのように、一直線にアズライトへ向かってゆく。アルルが、光の盾へ食らいついた。刹那、光がルークの視界をいた。白い闇の中で響いた金切り声を耳にしながら、ルークは白い闇の中で、深い絶望と共に目を瞑った。


(二度目を、犯してしまった)


 徐々に光が薄らいでゆくのを感じながら、祈るような気持ちで閉じていたまぶたを開いた。最初に赤紫色の残影があった。それに重なるように大小の黒い影が立っている。大きいほうの影が、どうっと倒れた。やがて、小さな影も続くようにうずくまる。赤紫色の影が消えた後、その光景はルークの前に現れた。

砂上にアルルが投げ出されていた。四肢をだらりと放り出し、ぐったりと横たわっている。アズライトが座り込んだまま、アルルを観察するように眺めていた。やがて二人へ視線を移し、変なものを見つけたかのように首を傾げた。ウィゼルの横顔に、みるみるうちに怒りがあふれた。


「おろして」


 ルークの腕をウィゼルは払いのけるように引き剥がすと、自力でボラクから飛び降りた。


「なんてことしてくれたの」


 アズライトの胸倉を紅潮した顔で、ひっつかんだ。


「なんとか言いなさいよ、ねえっ!」


 黙ったまま視線を宙に彷徨わせていたアズライトの表情に、何かがにじんだ。あまりにもとぼしくて、向けられたウィゼルには理解できなかった。刺すような沈黙の中で、ふっと、アズライトにいつも通りの無表情が戻る。そして、初めて気が付いたような素振りで、ウィゼルを見上げた。


「アルルは、極度の興奮状態であったため」


「だからって、殺さなくてもよかった!」


 血を吐くような叫びだった。共に在り続けてゆくはずだった存在を、理不尽に奪われた事への怒りと、哀しみの混ざり合った声にルークは苦い思いを抱いた。


(こんな想いを、させるつもりではなかったのに)


 腕にしがみついたままのサクルが小さく鳴いた。すがるように手を伸ばすと、ルークを慰めるようにサクルの方から身を寄せてきた。足にくくりつけられた鮮やかな青い紐が、指に絡みつく。

 

「笛であの子は大人しくなるの!」


「ならなかったから、襲われそうになったのでしょう。私とルークがいなかったらどうなっていたか。容易に想像できたことです。それから、アルルは死んでいません」


「嘘をつかないで!」


「話は最後まで聞くべきです、ウィゼル。アルルは死んでいません。強い光による刺激で、一時的な失神状態に陥っただけです」


 証拠だとでもいうように、アズライトがアルルを指さした。投げ出されたアルルの後ろ足が、ぴくりと動いた。一度だけ大きく空を蹴ると、また小刻みに震えはじめた。呼吸もしているようで、腹も上下に動いている。


「アルルは生きています」


 淡々と述べたアズライトを、ウィゼルは乱暴に突き放した。


「……いみわかんない」


 潤みを持った声が吐き捨てられた。


「一時間もあれば、起き上がれるようになるでしょう」


 最初から心配する必要は無かったのだと、アズライトが言い放った。


「それから貴女の笛の音。旋律が微妙に異なっています。あれではアルルを落ち着かせるというより、興味を別の方向へ誘導しているようなもの。根本的な解決には至りません。落ち着かせるには、もう少し低い音色の笛で、アルルの心音に合わせるように吹かなければ」


「貴女なんかに竜の何が分かるの?」


「分かりません」


 本当の竜を知るアズライトの中では、アルルは竜ではなく、ただの合成獣で、家畜なのだという事をまざまざと思い知らされる言葉に、ルークは表情を苦くした。認識が違い過ぎるがゆえの、深い溝だった。


(アズライトだけじゃない、俺もだ)


 ウィゼルの笛の音があるから、絶対に大丈夫だなんて、たかを括っていたのがそもそもの間違いだった。アルルは犬のように従順だ。けれど、本質は肉食獣であるということを、忘れていた。


(俺も、アルルのことを家畜として見ていた)


 だから、アズライトのことをルークは強く責められなかった。

 不意に、アズライトと目が合った。


「イスマイーラの馬を殺してしまいました」


「……事情は俺から話しておく」


 アズライトが、少しだけ困ったように眉をしかめた。


「説明は私からもさせてください。行動したのは、私なのですから」


 ルークは溜息を吐いた。


「二人で謝るか」


 考えるように口を閉ざし、サクルに目を止めた。黄金の瞳が、すっと、細くなった。


「……アリーの言う通り、鳥が来てしまいましたね」


「……ああ」


 ルークと、アズライトに見つめられたサクルが、首を傾げる。括りつけられた鈴が鳴った。


 ”鳥が、坊やの運命を運んでくるよ。”


 あの夜、アリーは子供に物語を聞かせるような口調で、 とつとつと、ルークへ語った。


”いいかい、よく聞きな。鳥が来たら、坊やは大きな運命に立ち向かわなきゃいけなくなる。大きな決断を強いられて、心が参ってしまうかもしれない。けれどね、絶対に目を曇らせるんじゃないよ。腹に力を込めて、しっかりと足を踏みしめて、物事をよくみるんだ。あんたのためにも、あんたを囲う人達のためにもね。”


 アリーの話を思い出しながら、ルークは厳しい表情で南カムールの方角をにらんだ。風に煽られた回転草タンルードが、乾いた大地を転がっていった。






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