竜笛の音は、かつての言葉

 泥濘化でいねいかしたオアシスのそばで、ボラクの歩みが止まった。蒼天のもと、広大な荒れ野が広がっている。うっすらと風紋を刻んだ大地の彼方に砂岩の山がしま模様の層を太陽に晒していた。三人はいま、アルルを見つけた場所にいる。茶褐色の汚らしい泥の上に人の頭ほどもある大きな蜥蜴とかげの足跡が無数に刻まれていた。足跡は行ったり来たりを繰り返したせいか、ぐちゃぐちゃに乱れたまま粘土状に固まっている。


「アルルを見たのは、いつ?」


「昨日の夕方。あの岩の下にいた」


 真正面に見える尖塔のような岩を指し示した。山々と同じしま模様の大きな岩が、足元に羽毛のような回転草タンルードをいくつもひっかけて直立している。


「まるで大きな鳥の巣ね」


回転草タンルードだ。この辺りの野生動物の寝床になるらしい。風に吹き飛ばされるくらい軽いし、飼葉のように柔らかいから一晩限りの寝床にするには丁度良かったのかもな」


 ここに来た時からずっと、胸の奥で痺れるような痛みが続いている。具体的な肉体の痛みというよりは、ずっと曖昧あいまいな。正体の分からない感覚にもやもやとしながら、ルークはボラクの腹を蹴った。

二人の前方にアズライトがいる。馬を歩かせては立ち止まり、荒れた大地を眺めては再び手綱を引いて歩きはじめた。アズライトは目に見えない足跡をたやすく見つけることが出来るらしい。時間はかかるけれど笛を吹きながら闇雲にアルルを探すよりは効率の良いやり方であるし、なにより怪我の癒えていないウィゼルの体力を消耗しなくて良い。そう提案されてしまえば、異論などあろうはずがなく。かくしてアズライトの先導でアルルを探すこととなったわけなのだが。徐々に遠くなってゆく後姿を追いながら、ルークはウィゼルへ囁いた。


「……その、悪かったと思う。アリーが魔族だと知らせていたら、こんな事にはならなかった」


「自分じゃあ、どうしようもないことに責任を感じるんじゃないの」


 俯いたルークに、ウィゼルは朗らかな声をかけた。


「アリーが魔法クオリアを使ってくるなんて誰も分からなかったことよ。視当てをしようなんて言われて、誰も魔法クオリアの方を思いつくわけないでしょう?」


 私だって遊戯の方だと思ったくらいだものと、ウィゼルは苦笑した。白い覆面ニカブの下で、ルークは苦い表情を浮かべた。


「……そんなことを気にできるほど、ルークにも余裕が無かったんでしょう」


「それは……」


「わかるわよ、聞かなくても。イスマイーラやアズライトと、何かあったんでしょ」


「何もない」


「嘘。イスマイーラと話をしている時からずっと、苦しいことを我慢しているような表情をしてた。アズライトに対してもそう。出会った頃よりぎこちないし、よそよそしいわ。だからなんとなく分かるのよ。ああ、何かあったなって。ルークって、自分の本音や感情を必死で隠そうとするよね……どうして?」


「さてな」


 はぐらかすしかなかった。自分自身の目的と役割。そして自分の最期が、くらいものでしかないことも誰にも話せない。話してしまったら、これまで抑えつけていた色々なものが、あふれてしまいそうな気がして恐ろしかった。


「ねえ、もう皇族でも何でもないじゃない。お城にだっていないんだもの、ちょっとくらい本音を吐き出しても誰も怒らないわよ。なんだか最近のルークを見ていると、一人で何もかも背負い込んでいるようで、ちょっと見ていられないわ」


 ルークは苦い表情で口を閉ざした。背負うものや、抑えつけるものが大きくなるほど吐き出せなくなっているのは自覚している。誰に話しても決して楽になれないからこそ、本心を明かしたいとは思えないのだ。

先行していたアズライトに追いついた瞬間、地面ばかりを眺めていたアズライトが弾かれたように顔を上げた。視線は岩の尖塔が乱立するその先に。


「来ます」


 猛獣同士が争うような、恐ろしげな咆哮ほうこうが荒れ野にとどろいた。赤々とした歯茎と鋭い牙をむき出しにして、砂煙の中から舞い上がった影へ、アルルがけだもののごときうなりを上げた。

砂煙から飛び出した影は、アルルの横をすり抜けると、あざ笑うように上空へ舞い上がった。牙の届かない天空へ、高く、高く。燦々さんさんと降り注ぐ太陽の下で、ばさりと、翼をはためかせる。白い布地に胡麻を散らしたような胸毛と、しま模様の羽根で堂々と空を渡るそれは。


サクル!)


 ルークは魅入られるようにサクルを、じっと見つめた。サクルが翼をはためかせるたびに、足に結わえられた紐からちりちりと鈴のような音が鳴った。ウィゼルの腹へ回した腕に、ルークは無意識に力を込める。


「アルルは随分と機嫌が悪そうだな?」


 あんな状態でぎょせるのかと、ウィゼルの耳元へ囁いた。覆面ニカブを剥ぎ取り、笛を咥えようとしていたウィゼルが、顔色を赤や青に変えながら慌てふためいていた。


「……大丈夫か?」


「だい、大丈夫!」


 顔を真っ赤に染めたウィゼルに首を傾げ、やがてアルルとサクルに視線を戻して溜息を吐いた。


(アルルがいう事をいくのなら鳥の一羽くらいくれてやっても良いと思っていたが)


 鳥がサクルであれば、話は違ってくる。どうしようかと、ルークは上空を旋回するサクルを気難しい表情で眺めた。


「餌を投げたら、アルルは大人しくなるか?」


「なるわけないでしょ。干し肉より、生肉の方がいに決まってるじゃない」


 遥かな高みへ昇った鳥へ、アルルがえた。ルークでも怖気の走る咆哮ほうこうにボラクが震えた。


「参ったな。あれは、食べ物じゃないってことを奴に教えてやれないか」


「無理」


「そこを何とか頼む。サクルは俺達にとっての貴重な手紙を携えた文鳥なんだ。食われると、ものすごく困る」


 サクルの足に結わえられた青い紐を指さして、ルークは顔色を曇らせた。


(もしかしたら、あの紐はカムールの駱駝騎兵ベドウィン達からの手紙ではないだろうか)


 絶対そうだとは言い切れない。けれど、無視できなかった。首飾りのようにぶら下がった三種類の笛をいじりながら、ウィゼルがサクルの足へ目を凝らす。やがて、嗚呼、と、呻いた。


「アル・カマルでも鳥に手紙を括りつけるのね。でも遊牧民ベドウィンって、文字の読み書きが出来ないんじゃなかった?」


「出来ないから、縄言葉キープを使っている」


 ウィゼルが問い返すような気配を感じ、ルークは言葉を続けた。


「家畜や税、氏族などの管理のために、昔から各氏族長が領主向けに使ってきた言葉でな。縄の色や、長さ、結び方、結び目同士の間隔で、自分達がどういう氏族で、どういう税を払ったかを報告するんだ。縄を受け取った側は、解読して言葉に直してパピルスに記録する。カムール地方は広いから誰かが一々領主の所に出向いて報告するより、鳥に結び付けて飛ばす方が速いんだ。それにカマル語の読み書きが出来なくても、縄言葉キープは、カムールで昔からある言葉だから、大抵は見れば直ぐに分る」


 ある意味公用語カマル語よりも馴染み深い言葉なんだと、ルークが言った。


「でも、それって相手に大事な情報を見せびらかしているようなものじゃない?」


「鳥が射落とされないかぎり縄言葉キープなんか解読できるか。しかもサクルだぞ、ウィゼルでも射落とすのは難しいだろ」


 腕の中でウィゼルが、むっとする気配を感じた。


「そりゃ、サクルは射落とした事がないけど。やってみないと分からないわよ?」


「……止めてくれ」


 サクルが威嚇するようにいた。挑発をするようにアルルの身体に触れそうなほどの距離を凄まじい速さで飛び抜ける。アルルの尻へ回り込むサクルへ、アルルの牙が追いかける。それをするりとかわし、サクルはアルルの牙の届かない大空へ舞い上がった。


(ずっとこの調子なら、サクルが地に落ちる方が早い)


 少しずつ、飛ぶ速さも、高さも落ちてきている。二匹の獣を一瞥し、ルークは迷わずボラクの腹を蹴った。ボラクが、ゆっくりと駆け出す。


「アルルの側面に回り込む。サクルが喰われる前に、アルルを止められるか?」


「私を誰だと思ってるの。竜の民ホルフィスよ」


「……期待している」


 ふひゅる。

間抜けな笛の音は、ウィゼルからの返答だった。改めて確認するまでも無かったかと、ルークは覚悟を決めたように口元を引き結ぶ。二人を乗せたボラクが、駆けだした。ウィゼルが竜笛を咥えたまま、二匹の獣へ顔を向けた。笛から、うたうような旋律が流れた。






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