炎の残滓

 崩落した壁にアルルの身体が叩きつけられた。悲痛な叫び声を耳にしながら、ルークは唇をかみしめた。


(これほど息を止めたいと思った事は、あの日以来だ)


 命の燃え尽きる凶悪な死臭が。

 焦げ臭い炎の香りが。

 死で満ちた景色が。

 イブティサームが死んだあの日の光景と同じ。


「人はもろいネ」


 化物然としたイリスの顔には、なまの、人の浮かべる情が張り付いていた。


「ボクはキミの考えを頭から否定すル気はナい。ムしろその想いだけは快いト称賛しても良いくらいでネ。キミには何の感情も無いけれド、少しだケ……本当にキミを引き留めタいと思っていル。キミが守りたいト思っている人達で作らレた 屍山血河など見たくはナイだろウ?」


「見たくないから、そうなる前に出来る限りの手段を講じるんだ」


「その手段が、キミにあル?」


「ある。だから、屋敷の奥で何も知らないふりをして過ごすのは、俺には出来ないし、したくない。そんなものは見殺しにするのと一緒だ」


 イリスが眉をしかめ、瓦礫の山を一瞥いちべつした。瓦礫の中から竜の唸り声が聞こえている。


「ッとに……大きな鳥に追いかけラれるばカりじゃあ、懲りナイんだなァキミって」


 イリスが哀しげに苦笑を漏らし、左手を掲げた。

赤い光から赤光の糸が紡がれる。それらは編み物のように絡みあい、瞬きの間にそれは完成した。先端は尖鋭化され、槍の穂先のように尖っている。それが一本、宙に浮いていた。


「泣きを見ルのはいつだって強情デ曲がることを知らなイ子ばかリだ。君ももう少シ柔軟に物事ヲ捉えてクれたらボクとしても有難カッたのだけど。まぁ、無理だヨネ……あの兄にしテこノ弟アりってヤつ?」


 イリスは高々と掲げて振り下ろす。槍が、瓦礫の山へ放たれた。

 同瞬、瓦礫から影が飛び出した。アルルだった。


「今だ、射かけろ!」


 誰かの叫びと同時に、四本の矢が影へ放たれた。三本の矢を、イスマイーラとウィゼルが叩き落す。仕損じた一本がルークの頬を掠め、背後の壁に突き立った。舞い上がる粉塵の中、ウィゼルはイリスに向けて矢を放った。放たれた矢は二本。一本は赤光の槍に飲まれて蒸発し、もう一本はイリスの額へ突き刺さった。抵抗するでもなく、倒れそうになった自身の身を庇うでもなく。イリスが頭から倒れ込んだ。そのまま死んだかと思われた彼は首を巡らせルークの方へ顔を向けた。何かを待ちわびる生者のような顔つきで。彼自身の放った赤光の槍を目で追いながら。


「間に合わない!」


 ウィゼルが悲鳴を上げる。イリスの放った赤光の槍は消えるどころか勢いを増し、竜へ、そして、その後ろ。ルークへと突き進んだ。殺意を凝縮した赤い槍が竜の鼻面で突如分裂した。放射状に展開された光が竜の身体を迂回し、頭、背、尾を赤い閃光が通り過ぎ、ルークの目の前で止まった。かとおもえば、目前で砂くずのように溶け崩れる。


「……何の冗談だ」


 霧消してしまった槍に目を奪われたまま、アスワドは呆然と呟いた。目の前で起きたものは何だったのか。理解の範疇を超えた現象にただただ、立ち尽くすしかなかった。それへ、


「活性化シたマナの分解。あーこれはマナではナクEtherイーサが働いてるな……成る程、そういう手品だっタか」


「お前はさっきから何を言っているんだ?」


「あの皇子様に怒られるこトダよ、アスワド隊長」


 大きく溜息を吐くと、イリスはぽつりと吐き捨てた。


「そろそろボクは帰る。こレはソの辺に捨てていテも構わないけど、イリスを投棄すルのはキミの倫理的に無理がありそうだナ。仕方ない。シルビアにでも押し付けテ」


 イリスの声が、不意に途切れた。アスワドの腕の中からイリスの手がすり抜け、地面へ落ちる。力なく放り出されたその手は、温もりなど最初から存在していなかったかのように冷たかった。

 

「……死んだのか?」


 それとも眠ったのか。脈は無い。やはり死んだのだ。わけもわからぬまま、ぽかんとしているアスワドの耳に、竜の唸り声が届いた。

かすり傷を無数に負った竜が、呆然と立ち竦むルシュディアークの傍で牙を剥いていた。口の周りを黒いもので汚した竜と、目が合った気がした。


「……撤収」


「しかし……」


 アスワドの呟きに、傍に居た兵士が戸惑いの声を上げた。


「死にたいか?」


 兵士が首を振る。その表情は、言葉とは裏腹な安堵が見て取れた。


「……殿下を追いかけるのも止めろ、竜を刺激する」


 遠くでマルズィエフが喚いていたが、今のアスワドには彼の言葉はどうでも良いものに成り下がっていた。未だ燃え逝く人の残骸を放心状態で眺めていたルークを、アスワドは気味の悪いものでも見るかのようにみつめていた。


               ※



「なにやってんの、あんたは……」


 ウィゼルが興奮状態で戻ってきた竜の鼻面を軽く叩いた。素直にいう事を聞いてくれたのは、幸運だった。竜笛も効かないくらい興奮していたらどうなったことか。子竜の頃と変わらない、甘えた声ですり寄るアルルの頬を軽くさすった。竜が気持ちよさそうに目を閉じ、喉を鳴らす。マルズィエフを数人の兵士が取り押さえている姿を横目に、ウィゼルがルークを振り返った。感情を何処かへ置き捨てて来たような面持ちで、虚ろな双眸を炎と、未だ燃え続けている黒い人影へ向けている。

その頬をアルルが舐め、慈しむように鳴いた。先刻までの獰猛どうもうさなど微塵も感じさせない優しい鳴き声は、まるで赤子をあやすかのようで。


「―――おいで」


 何故、突然そんなことを口走ったのか、ウィゼル自身でも分からなかった。ただなんとなく。気まぐれというには重苦しい何かが喋らせていたのかもしれない。ウィゼルは苦笑を浮かべ、ルークへ手を差し出した。虚ろな赤い眼差しが微かに揺れ、ウィゼルの手を凝視する。かすり傷と土埃に塗れた汚い手を、ウィゼルは握った。


「硝子谷までは、送ってあげる」


 微かに震えている驚くほど頼りない手を、ウィゼルは力強く握った。ほんの少しの温かみに、ルークの頬に赤みが戻った気がした。


「……さっきは助かったわ。ええと、」


 冷めた眼差しで微動だにしないイスマイーラを、ウィゼルは振り返った。


「イスマイーラと申します。こちらこそ、貴女の弓と竜が無かったら危なかった」


「私も。貴方の援護が無かったら、とっくに斬られてた」


 イスマイーラは二人と、竜を守っていた。飛んでくる弓矢を叩き落し、返す刃で斬りつけて来る兵士を躊躇ためらいもなくほふる。その剣術の凄まじさは剣術を知らないウィゼルですら、目を奪われるものだった。


「今のうちに逃げよう。向こうも逃げていくみたいだし……先行してくれるかな。今のルークじゃあ、こっちが迷子になっちゃう」


「……誰が方向音痴だ。アルルの背中で案内くらいなら出来る」


 不機嫌そうな声に、ウィゼルとイスマイーラが目を丸くした。


「まだ、走れますか」


「見くびるな。これ位で、音など上げるものか」


 仏頂面で竜に舐められた頬を拭う。その姿を、松明の光と、命の燃え滓だけが冷たく照らしていた。




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