その手は汚れるべくして

 それは一つの思い付きだった。

アルルの吼声で、タウル達を怯ませてから反撃にでる。統率のとれた集団でも混乱すれば集団は力を失う。そのきっかけを作れば、タウル達を撤退させることが出来るかもしれない。


(でも、退却させるには幾つかの障害がある)


 一つはイスハークの人達が分散して戦っていること。どんなに経験豊かでも分散していたら集団でやって来る敵には敵わない。だからルークは、どうにかしてイスハークの人らを一カ所にまとめてしまおうと考えた。そのためには、イスハーク氏族長の協力が要る。


「サラームに家族はいるんだよな?」


「いるよ。あんたもよく知っている」


 アリーが、片眉を上げて微笑んだ。


「ラビだよ。あの子はね、サラームさんの孫なんだ」


 唖然とした表情で固まってしまったルークへ、アリーは知らないのも無理はないよとでも言いたげな表情をして、続けた。


「サラームさんは、息子夫婦とは離れて暮らしていたからね」


「家族なのに、どうして離れて暮らしているんだ?」


「まぁその……色々あるのさ」


 アリーが、酷く言い辛そうな表情で濁す。その本当の意味を想像して、ルークは表情を冴えないものに変えた。そして、言った。ラビの家庭事情ではなく、今一番必要な―――生き延びるために必要なことを。


「大人達は、ラビの指示を聞いてくれるだろうか?」


「次期氏族長を子供だからといって蔑ろにするような大人達だったら、イスハークは長くないねぇ」


 アリーが堪えきれないように噴き出した。あまりにもな反応だったから、ルークの方が面食らってしまった。けれど反面、安心もしていた。

アリーなら、やってくれるかもしれないと。否定的な大人がいたとしても、「それは違う」と、はっきりと説明できるを。


「やってくれるか?」


「何度世話になったって思ってるんだい」

 

 アリーが朗らかに笑った。ルークは安心したように頷くと、すっと、真顔に戻った。


(イスハークについては、アリーとラビに任せれば良い。アルルについても、一言添えれば討たれる確率はぐんと減る―――問題は、その前)


 ウィゼルが怪我をしていなかったら、いつかのように互いに背中を預け合い、共に戦おうと思っていた。けれど今は、そうじゃない。


「アリーはウィゼルと一緒に、俺達の後ろからついてきて欲しい。俺とアズライトで敵を散らす。アズライト、二人が危険になったら俺にかまわず二人の援護に回って欲しい。それから、いま襲われている人達は戦えるような状態なら、俺達と一緒に戦ってもらう」


 本音を言えば、イスハークの人達には逃げてもらいたかった。けれど、逃げている途中でタウル達の仲間が奇襲を仕掛けるかもしれない。そうしたら、混乱は避けられないだろう。最悪の想像をして、ルークは逃げるということを真っ先に選択肢から外した。それよりも一緒に戦ってもらった方が、多くの人達が生き延びられるような気がしたのだ。


「一緒に戦える人間が一人でも多く必要なんだ。だから、その……」


「逃げろと言われて素直に逃げるような奴らじゃないから安心しな。けれど、お嬢ちゃんを守るのは、本当にあたしでいいのかい?」


 意味ありげな眼差しで、アリーがルークを伺った。ルークは、それでいいと頷いた。


「何かがあった時に誰が味方なのか、誰が敵なのかが分かりやすい方が良いだろう?」


 それに、アルルは

元々、アルルはよく知らない新参者としてアズライトを警戒していた。それが警戒から恐怖に変わったのは、空腹で見境を失くしてウィゼルに襲い掛かろうとしたところを、アズライトに失神させられてしまってからだ。それ以降、アズライトを見るとアルルは怯えたような鳴き声でウィゼルの後ろに隠れてしまう。


(緊急時だからこそ、アルルをアズライトの傍には置けない)


 ルークも誰かを守りながら戦うのは得意ではないから、結局アリーに頼むしかない。アリーの負担を増やしてしまったことへの詫びをしながら、ルークは言った。


「アルルを呼ぶための笛はイスハークの人らに猜疑心を引き起こさせやすい。敵を呼ばれているんじゃないかと思われたらそれこそ不味い事になる。だからアリーが傍に居れば、敵ではないという説明にもなるし、なにより、一目で味方だとわかるだろう?」


 アリーが、やれやれと言った表情で溜息を吐き、言った。


「あんた、人が良すぎるよ」


「世話になった恩を忘れて自分だけが逃げるのは好みじゃないんだ」


「あたしもだけどね」


 アリーが、苦笑いを深くすると、冷たい目つきで敵を睨んだ。

血まみれで子供をかき抱き、片手に剣を持って睨みつける老人を脅すのが、いまはおかしくて仕方がないという顔つきの男を。


「悪いが、寄り道をするぞ」


 言うが早いか、走るが早いか。あっという間に男の背後を取ると、ルークは剣を鞘に入れた男の背を突いた。その瞬間、男は自分の身に何が起こったのか分からなかった。気付いた時には、地面の上に倒れていた。とっさに、男は手を伸ばした。取り落としたちからへ。地面を這うようにして伸ばした手は、砂を掴む事しか出来なかった。頭に鋭い痛みがはしって、身体が言う事を聞かなくなってしまったせいだ。その昏倒した男が最後に見たのは、長い髪の女が、男の剣を拾うところ。


「残り、二人」


 無機質な女声を塗りつぶしかねないほどの怒声が起こった。男を殴り倒したばかりのルークが、アズライトへ言った。


「逃すな、倒せ」


 発したのは短い命令。だんっと、男が刃を手にして跳躍する。獣が牙を剥きたてるように、ルークへ迫った。それは先刻まで哄笑を上げていた男の内の一人。脂気の抜けた長い髪をひとまとめにした、中年の男だった。

中段から突きこまれた刃を、ルークの剣が弾いた。あまりにも鋭くて、ぱっと、火花が散る。男は弾かれた剣を手首で返し、下段からすくい上げるように刃を振るう。その瞬間、ルークは言いしれない怖気を感じて身体を強引にひねって避けた。

直後、額に鋭い痛みがはしった。かっと、頭が熱くなる。額から流れ出した生温い汗のようなものが右目を伝い、ルークの目を塞いだ。拭うことも出来ず、ルークは右目を瞑ったまま剣を避けきると、あえて前へ足を踏み出し、男の脇腹を薙いだ。けれど、剣が男に届くことはなかった。ルークの剣が弾かれたからだ。

 男は隙をついた。刃がルークの喉元に迫った。宙で三日月を描くように剣を振り、それを弾く。刃の応酬で呼気は浅くなる。むっとするような鉄臭さに、ルークはだんだん、何も考えられなくなっていった。視野が狭まり、男と剣の動きしか見えない。茫洋とする意識の中で、決着の瞬間は訪れた。

ぞぶ。

はじめに怖気の走る感触があった。手に伝うのは、あの日と同じ命を絶つ感触。気がつくと、男がルークの足元に横たわっていた。

ふーっ、ふーっと、荒立った獣のような呼吸を繰り返し、ガタガタと震えながら、ルークは堪えるように剣を握り締めた。


(おちつけ、おちつけ、おちつけ、おちつけ)


 おぞけが全身に広がる。手も足も、頭の芯もびりびりとする。口内で、がちがちと鳴り続ける音がやかま しくて指を噛んだ。返り血を浴びたせいで、吐き気のするような味がする。


(ふるえがとまらない)


 だから、指を強く噛んだ。そうすると痛みと一緒に鈍麻していた感覚が戻ってくるような気がした。痛みと共に、遠のいていた音も、徐々に鮮明になってくる。指がじんじんと痛んだけれど、ルークは構わずに噛み続けた。痛みが、恐怖で染まりそうな心を取り戻してくれるような気がして。


「敵、殲滅完了」


 遠ざかっていた意識のなかで、平坦な声が聞こえた。振り向くと、剣の柄で最後の一人を殴り倒したばかりのアズライトが、ルークをみつめていた。


「……だいじょうぶですか?」


 ルークは応えなかった。代わりに、黙ったまま噛んでいた指を口から離した。歯形のついた人差し指が、唾液と血の混合物に塗れている。それを、無造作に服の裾で拭う。ついでとばかりに右目も拭おうとすると、アズライトが自らの眉の上を、指でつついた。


「眉の上を斬られています」

 

 アズライトの手元を眺め、ルークは眉をひそめた。彼女が握っていたのは、。柄には倒したばかりの男の血がついていた。


「……お前は手が痛くないのか?」


「まったく」


 淡々と答えたアズライトに、傷とは別の痛みを感じた。服の裾を傷口にあてがいながら、ルークは気難しい表情で言い放った。


「剣の使い方を間違えている。刃は振るべきもので、柄は握るべきものだ。お前のは逆だ」


「使い方の正誤は問題ではありません。武器も私も、殺すための消耗品。壊れたら、新しいものに取り換えましょう」


 目的さえ達成できれば、自分がどうなろうが、どうでもよい。そういう態度が明け透けで、ルークは暫く口を開けたまま呆然とアズライトを見上げていた。


「……指を落としたくなかったら、柄を握れ。刃は握るな」


「それは、命令でしょうか?」


 アズライトが首を傾げた。ルークは、困ったように頷いた。


「命令ということにしておいてくれ」


 そうでもしないと、アズライトは間違った剣の使い方をし続けるような気がしてならなかった。


「まだ、やれるな?」


「壊れるまで戦えます」


 アズライトの応えに、ルークは喉奥で呻いた。

彼女は、姿だけは人だ。けれど、中身は兵器で、人形で。彼女自身も、人ではなく、人形であろうとしている。そう思った瞬間、ルークの中に形容し難い感情が芽生えた。怒りとも悲しみとも似つかぬもの。例えるなら、憐憫に近いような。胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。


「もう一つ、命令を付け加える――――壊れるまで戦うな」


 意図を図りかねるような眼差しを受けながら、ルークはつづけた。


「俺も、お前がそうならないように戦う」




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