女たちの覚悟
ルークは瓦礫の陰に隠れながら、ラビのいる天幕へ向かっていた。
誰もいない天幕の影から、そっと辺りを見渡した。武装した若い男が大きな松明のようなものを天幕に押し付けている。風に乗って、草の焼ける臭いがした。
(
天幕は動物の毛で作られた分厚い絨毯で作られている。
(……この煙で身を隠せるのは良いが、早くしないと家を失くす者が増えていくな)
熱をもった赤い闇の向こうで、黒々とした人の影達が取っ組み合いをしていた。聞こえてくる悲鳴に、ルークは身を引き裂かれそうな表情を浮かべた。
「あいつら……」
アリーの視線の先に三人の人影がある。ルークがみていた影とは反対方向に佇んでいる。炎が落とす陰影と夜闇があまりにも深すぎて、顔までは分からないけれど、いずれも堂々とした立派な体格をしていた。その影は、悲鳴の上がる方向を見て肩を揺らし、腹を抱えていた。それを見た瞬間、ルークの腹の中で、熱いものと冷たいものが混ざりあって、なんとも言えない衝動が腹からこみ上げてくるのを感じた。激情を耐えるように剣を握ったルークの肩へ、アリーが静かに手を置いた。
「囲まれちゃあ、折角の作戦が無意味になっちまうだろ」
普段とは違う、冷たい声。ルークやイスマイーラを叱る時だって絶対にこんな声を発しない。
「大丈夫。みんな鍛えているからね」
肩に置かれていたアリーの手が、震えていた。まるで自分に言い聞かせるように発した言葉に、ルークは悔しそうに歯を噛みしめた。アリーには見るに堪えない光景だろう。襲われている顔見知りの彼らを、直ぐにでも助けに行きたいだろうに。
(……俺には到底、アリーのようには出来ない)
何度も口にする五年前がアリーの心に鋼のような強さと、冷たさを与えたのかもしれない。
「……人の命が失われるのと、あとでイスハークの人達に怒られるのと、どちらが良いでしょうか?」
アズライトの不意の問いかけに、ルークは眉根を寄せた。
「そんなことは決まりきっているだろう。今更何を言う?」
「この状況、獣一匹で乱せるかもしれません」
人と家畜の命の重さについての話をしているのではなかったことに気付いたルークは、はっと息を飲んだ。そして、頭に浮かんだ心当たりに、苦い表情を浮かべた。
「おもんばかってくれないか、アズライト」
「……私に気を使わなくても、協力くらいはするわよ」
ウィゼルが不機嫌そうに囁いた。蒼白になった顔面に、何かの覚悟の色を読み取ったルークは口を閉ざした。昼間見た光景があったからこそ、ルークは言葉にするのを躊躇った。
「どうにもならなくなったら、頼む」
「どうにもならない状況よ、これ」
「アルルが死ぬかもしれない」
「私達の方が死にそうだけど?」
ウィゼルが苛立たしげにルークを睨んだ。
「アルルでもどうにでもならないかもしれないけど、まったく頼らずにいるよりは良いわ」
強い光が、ウィゼルの眼差しに込められていた。
「マルズィエフの屋敷にいた時とは状況が違うんだぞ」
あの時は、俺に刃を向けることにためらいを持つ奴らばかりだったから、アルルの怪我は擦り傷だけで済んだ。けど、今は違う。相手は多分―――組織的な行動。軍でしか使わないような言葉を発し、剣の腕も立つ。イスハークの守りを打ち破る策を知り、真っ先に各天幕を襲撃した。イスマイーラの、「野盗のやり口ではない」という言葉が導き出したのは、一つの答え。
(こいつらはアル・リド王国軍かもしれない。そんな奴にアルルを放ったら、今度こそアルルの方がやられてしまうかもしれない)
アリーが、顔をしかめた。
「獣は火に怯えるよ」
「肉を食べる竜は火を噴くの。火を噴くのに、火を怖がるのは火を噴き始めたばかりの竜しかいないわ」
「……あんた、出来るのかい」
覚悟を問われたウィゼルは、暫く俯いていた。やがて顔を上げると、はっきりとした口調で応えた。
「やれと言われなくても、やるわ」
不利な状況には変わりがないけれど、それを打開する一手となれる。ウィゼルに決意させたのは、恐らくそれ。
「……本当に出来るんだね?」
疑わしげにするアリーへ、ルークが気難しそうに頷いた。
「あの竜は雷にはとことん怯えるが、火は恐れない。そこは俺が保証する」
「ひとこと余計よ、ルーク」
胡乱気な眼差しで睨まれ、ルークは僅かに口角を緩ませ、再び頬を引き締めた。
「アルルに戦わせなくていい。代わりに、おもいっきり吠えて、営地の周りを走らせてほしい」
ウィゼルが目を丸くした。
「そんなんでいいの?」
「今は、な」
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