アリーの居候
腹に鍋を縛り付けた老人たちが、よたよたと走りながらルークのもとへ駆け寄ってきた。その中に、若い男が混じっていた。厳つい岩のような面立ちに伸び放題の髪。体格は大柄で、イスマイーラよりも頭二つ分背が高く、腕は一本だけしかない。髪が熱風に煽られて逆立っているせいで、獅子のたてがみのように見えた。なんとなく、ルークは彼に対して既視感を覚えた。何処かで会ったような、そうでないような。けれど、知り合いに隻腕の男はいない。もやもやとしながら首を傾げていると、
「あんたたち、大丈夫かね?」
男の発音を正確に聞き取れたのは、それくらいで。
隻腕の男が喋りはじめると、みな口々に話したいことを同時に喋りはじめるものだから、何を言われているのかわからなくなってしまった。戸惑う姿を誤解したのか、アズライトがルークをかばうように前へ進み出ると、
「殲滅しますか?」
沈黙が、さざ波のように広がった。隻腕の男が意味ありげな視線を周囲の老人たちに向ける。老人たちが弓矢をつがえて後退した。
(まずい……)
誤解される要素は揃っていた。その一番の理由に、ルークが他所者であるということが挙げられる。イスハークの人達にとってみれば、国同士の戦争という不安定な情勢の中で現れたルーク達は、あまり歓迎したくない相手だったはずだ。青ざめたまま、ルークは誤解をどうやって解こうかと、頭をめぐらせた。
(まず自らの身分を明かし、争う意志が無いことを証明してみせねばならない。でも、どうやって……)
端的に説明しなくてはいけない。話が長くなるほど嘘臭さを感じるし、混乱した状況では聞く方の理解力も低下する。男が剣を構えるのを目に止めたルークは意を決したように口を開き―――別の声がルークの声を遮った。
「キーア、あんた無事だったんだねぇ!」
隻腕の男がルークの背後に目を止め、見る見るうちに表情を崩した。
「天幕に強そうなのが数人張り付いていたから、こりゃあ、とうとうアリーさんも年貢の納め時だと思ったが。なんだ生きてるじゃないか!」
「頼もしい居候のお陰で、このとおり怪我も無いよ!」
あかるげに言うと、アリーは弓矢を構える老人たちを見回して、はっきりとした口調で言い放った。
「この子らは、うちの居候さ。みんな安心しておくれ!」
きっぱりと言い放ったアリーへ、老人たちは戸惑ったように顔を見合わせた。キーアと呼ばれた隻腕の男ですらも、毒気を抜かれたような表情をしている。
「あぁ、怪我をした嬢ちゃんの連れか……」
得心したように呟いたのは、先刻まで襲われていた老人だった。腰が抜けたのか、へなへなと地べたに座り込みながら安堵の息を漏らしている。その老人に抱かれていた子供の顔が、くしゃりと歪んだ。えずくような呻きを漏らし、わっと泣き始めた。アリーが、やれやれというような表情で、キーアに訊ねた。
「あんたのとこの嫁さんの姿が見えないけど?」
「あいつ等をぶったおしてやるって、弓矢担いで出てっちまったよ」
肩を竦めたキーアに、アリーが困ったように笑った。
「気の強い嫁御を貰うと大変だねぇ」
「まったくだ」
アリーにつられるように、どっと、笑いが起こる。その姿を眺めながら、ルークは波が引いてゆくように、嫌な空気が消えてゆくのを感じていた。
(アリーがラビの後ろ盾になると思っていたが、それは俺にも当てはまっていたのか……)
ルークは内心、アリーの行動に舌を巻いていた。
(アリーの客分である俺達に剣を向けるという事は、客をもてなしているアリーに剣を向けることにも繋がる。そうなったら、氏族の中で諍いが起こるだろう。襲撃されている状況下で、仲間内で諍いを起こしたくはないはずだから、半信半疑だとしても、キーア達は剣をおさめざるをえなくなる)
だからこそ、アリーはルーク達のことを居候と言ったのだ。
アリーの目論見通り、事情を知らないキーア達に居候という言葉は絶大な効果を発揮した。
(それに―――)
ルークは、アリーとラビの関係にも注目した。
アリーがラビと親しいのは、ラビの父親と、アリーの夫が親しかったからだという。ラビはイスハーク氏族長の孫という事だから、当然ラビの父親は、氏族長の子。血統が優遇される氏族内で反感を買わずに氏族長筋の者と親しい付き合いを続けるには、それなりの権力や名声が要る。そう考えると、ラビの父親と親しかったというアリーの夫は、もしかしたら、イスハークの中でも、それなりの地位にいたのかもしれない。
ルークの表情に、ゆっくりと理解の色が広がった。
(アリーがいれば、本当に大丈夫なんだ)
ゆっくりと、胸の奥から暖かいものがこみ上げてくるのを感じて、おもわず口角が緩みそうになった。我慢するように口を引き結ぶと、ルークは落ち着いた声で言った。
「敵は俺達の守り方を知り尽くしている。全員を守りたいが手が足りない。手伝ってもらえないだろうか?」
キーアが、賛同するように頷いた。
「どうにも北カムールの連中に襲われた時と似たようなやり口だと思ってたら案の定だ。ま、都合は良いさ。敵が分散して攻めてくるのなら、こちらも守り方を変えようじゃないか」
効果的な守り方は既に心得ている。任せておけとでも言うように、キーアがほほえんだ。
「ところで、一緒に居た兄ちゃんはどうした?」
「襲撃者の頭を狙いに行った」
「あいつ命知らずなのか……」
毒を吐くような呟きを耳にしながら、ルークはウィゼルを一瞥した。いまにも爆発しそうな感情を、無理やり抑え込んでいるような表情で、ウィゼルはじっと、ルークを見つめている。竜を呼ぶはずの笛は、彼女の口に咥えられてはいなかった。つまり、まだ呼んでいないということ。
ルークは苛立ちを抑えるように俯いた。アリーが、声を張り上げた。
「ほら、ほら、ぼさっとしてないで、ラビを助けに行くよ。あぁ、その前にみんな、聞いとくれ!」
アリーが、ウィゼルの背中を軽く押して、瞳を輝かせた。
「この子は
笑顔のアリーとは対照的に、それを聞いた全員の顔色が曇る。特にキーアは首まで傾げた。
「そのお嬢ちゃん、先日大怪我して担ぎ込まれたばっかりだぞ。そんな状態で戦うなんざ出来るわけがねえだろう」
「戦うのはお嬢ちゃんじゃない、お嬢ちゃんの竜さ。で、あんた達にお願いがあるんだけれどね。竜を呼ぶ間、お嬢ちゃんを守って欲しいのさ。それから、竜が来ても攻撃しないでくれね。なんたって、あたしらの大事な命綱さ。この子も竜も死んじまったら大変だ。こいつを合流した他のみんなにも伝えておいとくれ。竜は敵じゃあない。あたしらの味方なんだってね」
アリーは笑みを浮かべたまま、ルークに視線を寄越した。伝えるべきことは、これで良かったかねと言いたげにしているのを、ルークは暫く唖然とした表情で見つめ、やがて、静かにうなずいた。
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