アル・カマルの走狗

 タウルは人気のない岩の下でユベールからのサクルを受け取っていた。サクルの脚に結わえられていた結縄キープを丁寧に取り去ると、肩にサクルを乗せ、地べたに座り込んでゆっくりと目を通しはじめた。


 ”カムールの部隊は硝子谷方面へ水脈潰しを放りながら北上。現在サハル街道北端に姿在り。まもなくナルセの丘に到着。”


 急に動きが早くなったと、タウルは眉をひそめた。


 ”逃走兵無し。未だ士気高く、応戦の気配あり。騎兵の中心に、小柄な影を確認。”


 カムールの騎兵隊の多くは十六を過ぎた若者たちだ。みな体格がよく、カマル人の平均よりも背も高く大柄だ。そんな男たちの中に一人だけ小柄な人物がいるのだとすれば。タウルの目が鋭い光を帯びた。

イスハークの襲撃の際、タウルはルシュディアークを見ている。齢は十四。未だ元服を過ぎておらず、体格も細く、同年代の北カムール領主の息子ハリルよりも華奢で


「しかし、ルシュディアークは死んだという」


 ふと、タウルは腕に巻きいた硝子の蛇をみつめた。主の呼び声に従うという緑晶の蛇。生きた彫刻と呼ばれるそれは、人を繰る他に、思い望む人を見通す目を有しているという。


「使い時か」


 タウルは蛇の腕輪に手を添えると、目を瞑った。そして、イスマイーラの顔を思い浮かべ、名を呟いた。手の内で、もぞりと蛇がうごめいた。蛇が返してきたのは、砂嵐のような雑音と薄明かり。雑音は耳の奥で人の声となり、まぶたの裏の光はぼんやりとした輪郭りんかくを形づくる。声は言った。


「心当たりが?」

 

 男の声だ。カムールの民にしては随分と聞き取りやすいが、発音の仕方に南カムール特有の訛りが混じっている。タウルには、その声の主がすぐに分った。イスマイーラだ。傍に誰かいるのか、タウルの耳に他の誰かの息遣いを感じた。


「昔、これと同じものを見た事があるのです」


 誰かが蛇を覗き込んだ。瞼の裏に、見覚えのある女の顔が映った。青い髪に金色の瞳の不愛想な魔族の女。


(確か、アズライトと言っていたか)


「私の記憶が正しければ、これは本体の蛇が作成した食手しょくし


食手しょくし?」


「言葉通りの意味ですよ、イスマイーラ」


 涼しげな声色とは裏腹に、アズライトの目つきは険しかった。


「この蛇は、人の自我なかみを食べるための手なのです」


 イズマイーラが声を潜めた。


「食べる? 人をるのではなく?」


るという点に関してだけは間違いではありません。を言っていないだけで」


 アズライトはゆっくりと言葉を選びながら続けた。


「人には、生来自分が何者であるかという認識が備わっています。それを少し難しい言葉で自我というのですが、その自我を、この蛇は食べてしまうのです。食べられた人は、自分自身が何者であるかということが分からなくなる。その人だけの思い出も、記憶も、何が好きで何が嫌いだったか。どう言う性格で、どういう言動をしていたのか。そういう、その人自身を構成していたものを全て消してしまうのです」


 消した後に残るのは、中身の消えた抜け殻にくたい


「まっさらになった人の中に、奴隷スレイブの持ち主が入り込む」


 お前は今から俺のものになる。

 身体も、声も、記憶も、想いも、全て俺が支配する。

 

「乗っ取りか」


 アズライトは、頷いた。


「外的な要因で心が不安定になった時が一番乗っ取りやすい。不幸なことに、この場所には明日どうなるだろうと思う人々で満ちている。蛇にとっては格好の餌場」


 戦から逃れ、安住の地を求める人々が生み出した想いの坩堝るつぼ


「この蛇の本体は壊変性因子マナを多く含んだ特殊な流体硝子で造られた蛇の腕輪です。私達にんぎょうが造られる以前からあった奴隷スレイブというもので、その昔は名前の通り、拘束した捕虜ほりょに使用していたものでした」


 アズライトはすっと、蛇を睨んだ。


「この蛇と同じものが、そこいらじゅうにいます。それこそ、私の足元にも」


「私には見えませんが」


 口元をひきつらせたイスマイーラに、アズライトは言った。


「まだ使為です。透明な蛇として実体化させているものの正体は、奴隷スレイブが生み出した魔法クオリア魔法クオリアは使えば必ず赤い光を放つのは知っているでしょう。その赤い光は、壊変性因子マナが活性化している時にのみ見られる反応なのです」


 逆を言えば、魔法クオリアが使われていない状態では、眼に見える形で赤い光を放つことはない。


「この透明な蛇も。


 タウルは聞き入った。アズライトの語る話は、蛇を配ったテべリウスから聞いた事そのままだったのだから。


(こいつは、何者だ)


 タウルはふと、軍で囁かれている青い髪の男の話を思い出した。

名は、ルーシィ。アズライトと同じ髪と金色の目を持つ人間の形をした化け物。性別は違うが、特徴が酷似し過ぎているような気がした。物思いにふけるタウルを、アズライトの声が引き戻した。


「タウルの持つその硝子の蛇が私のいう兵器そのものなのかは、見ないと分かりません。しかし、本当に私の語るものならば、いまにとんでもないことになるでしょう。もし、アル・リド王国軍がこのようなものを所持しているとなると。そして、オアシスも……」


 イスマイーラとアズライトの視線が交わった。


「……オアシスをこのままにしておいてもらえませんか」


「何もせずこのままにしておけば、いずれアル・リド王国軍がやってきますよ」


「ええ。彼らはムトの道から硝子谷の方へ進軍してくるでしょう」


 物資にも困らず、水にも困らず。兵も消耗せずに。

 しかし、それでいいのだとイスマイーラは言った。


「王国軍の進軍経路が定まります。仮に崩れたとしても、道を迂回しなくては硝子谷に到達できませんし、アル・リド王国軍の本隊がムトの道を通っているときに崩れれば……」


「イスマイーラ、その先は」


 言うなと、アズライトが制した。


「どうしました?」


 不意に、アズライトが赤い蛇を睨んだ。すると、ふっつりとタウルが見ていた景色が消えた。イスマイーラとアズライトの表情を思い出しながら、タウルは狂犬のような形相で蛇を睨んだ。


(妙だと思っていたが。なるほど。お前、初めからアル・カマルの走狗いぬだったか!)


                ※

 


 その頃、オアシスのへりで休んでいたクムシュを訪れる者があった。


「よう、今日は朝から随分と苛ついているじゃないか」


 聞き覚えのある声に、クムシュは顔を巡らせた。

 気配は数人あった。息遣いや、まとう雰囲気はまばらだ。柔らかい気配もあれば、堅苦しいものもある。かとおもえば、子供の忙しない気配もある。


(気軽に声をかけてくるほどの顔見知りなど、多くはないが)


 はて、誰だったろうと思いめぐらせ、あっと、声を上げた。


「あの時の、あんた達か」


 オアシスが造られた瞬間、あの場にいた魔族達だった。


「覚えていたのかい」


 老人が、クムシュの前に座り込んだ。数人の気配が車座にクムシュを囲う。


「声色があの時の誰かさんだ。今日はなんの用だね。水ならもう心配要らないだろう」


「そのことでさ」


 目の前に座る老人が苦い声で言った。


「最近、と仲良くなっているじゃないか」


「行軍に使える水脈を探してほしいらしい」


「アル・リド王国軍だぞ。わかっているのか」


「分かっている」


 タウル達は上手うわてだった。自らの正体と目的を正直に述べ、まるで商人のように交渉を行い、気前よく、話も上手で、金払いも良い。初めこそ警戒していた者達は、次第に心を開いていった。それを目の当たりにしたクムシュは、上手いことやるもんだと感心した。そして、心の何処かで恐れもした。


 これが、ということか―――――と。


 一方で、あまりよく思わない者もいるのも確かで。


「気持ちは分かるが、前金を貰っているうえに命もかかっているもんでね」


「あんたが決めた商売だ、口出しするつもりはないさ。ただ、その大地の子アル・アシェラとしての意見を聞きたくてね」


 金ならあると、クムシュの手に玉貨を三つ握らせた。


「金は取らん」


 握られた玉貨を老人へ押し戻すと、クムシュは周囲を囲う者達を手招いて顔を突き合わせると、声を潜めた。


「昨日、オアシスの西側に大地の亀裂が走っているのを見つけた」


 見つけたのは、クムシュを探しに来たイスマイーラだ。


「大地の彼方まで続くようなでかい亀裂だ。オアシスから溢れる水がこのままなら、ムトの道が崩れるのはもう間もなくだろうとおもう」


 周囲が騒めく気配がした。


「あんたらが何処の水脈からここの水を引っ張ってきたかは知らんが、やるならもう少し小さなオアシスを。悪い事は言わん、今湧き出している水を止めろ」


 老人が、わずかに息をつめた。


「……出来ねえ相談だ。あそこに湧き出ている水、何処から引っ張ってきたか分かってるか。イマームとサハル街道のだぞ。水脈の枝を繋げて水をこっちにまで引っ張ってきたんだ。混ざり合っちまったもんを一本に戻せってのは無理な話だ」


 語気強く言い放つ老人の言葉に、クムシュは額を叩いた。


「だったらセーム首長国側に逃げるよう皆を誘導したらどうだ。その方がアル・リド王国軍と鉢合わせするようなこともないし、万が一の時はセーム首長国が対応してくれる」


「それも出来ん。ここにアル・リド王国軍が居るんだぞ。セームにたどり着く前に囲まれちまう」


「だからさ。奴らに気付かれねえように逃げるんだよ。ばらばらに逃げればあいつらも追ってこれんだろう。ああくそ、今日は随分と酷いな!」


 ぱんっと、クムシュが服の裾を払った。


「なんだ、虫でもたかられてるのか」


「いや、虫じゃなくて、縄みたいな長いものだ」


「蛇でしょう、それ」


 ぴた。と、少女の声にクムシュの手が止まった。老人が驚いたような声を上げた。


「蛇?」


「うん。透明な蛇がね、オアシスから沢山出てきてるの。三日前からずっと。その辺にうようよしてて気味が悪い」


 クムシュは唸った。そのとおりだったのだ。

この三日間ずっと、朝晩問わず、大量のへびがオアシスの方から湧き出してくる。まるで赤い水のようなそれを、誰も何も気にしないのが不思議で仕方なかった。はじめこそ自分の感覚がとうとうおかしくなったのかと思ったが。少女もまた同じように感じていたとは。


「蛇、ねえ……」


 不気味な沈黙のなか、一つの声があがった。


「それについて、ちょっとした考えがあるのですが」


 その場にいた一斉の目が、新たに現れた女声に向かった。

独特の金臭い匂いをまとった女の名を思い浮かべ、口を開いた瞬間、クムシュはぎょっとしたような声を上げた。


「なんでおまえさんにだけ蛇が寄ってこないんだ?」


 言ってから、クムシュに全員の視線が注がれた。

 

「やっぱり見えてるじゃねえか、おまえ」


 恐ろしく冷たい声色の老人に、クムシュは、あっと、手で口を覆った。



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