悲劇の真相
その頃、イスマイーラはタウルに呼び出されていた。オアシスの西側にある小さな岩穴の中で、二人は酒の入った瓶と食事をつまみながら話し合っていた。
「ムトの道沿いに補給物資を運ぶよう手配しておきました。また、水脈の位置については……」
地図を広げ、クムシュから聞いた水脈の位置を説明する。タウルは二、三質問したきり黙り込んだ。やがてイスマイーラが話し終わると、タウルが静かに切り出した。
「こちらもユベールから
「自分達の住む場所を脅かされては必死に抵抗したくもなるかと」
「かつての俺達のようにか」
ふっと、冷たい笑いを滲ませた。
「……あの頃は、私も貴方も元服前でしたか」
「成人の証である短剣を親父殿から賜るか、祖父殿から賜るのか。どうでもいい事で一喜一憂していた頃だったな。結局、授かるはずだった成人の証は形見になってしまったが……今でも夢に見るよ。テべリウスが騎兵をぶち込んできた日のことを。あれから二十年近くになるのか」
あの、血で真っ赤に染まった砂漠が。
炎に焼かれる天幕が。
転がる親族、友人、恋人、知人達の屍が。
共に戦った戦友たちの最期の言葉が。
今も熾火のように燻っている。
「二十年ぶりの母国に凱旋とは皮肉なもんだ」
タウルは薄笑いを浮かべたかと思うと、堪えきれなくなったのか肩を揺らして笑い始めた。
「ひとつ愉快な話をおまえにも聞かせてやろう。覚えているか、中央カムールにハマドという氏族がいたのを」
「氏族が母国から突き放されるきっかけを作ったという、あの?」
「そうだ、それだ。オルハンがアル・リド王国の貴族を酔った勢いで斬りつけたというやつだ。そいつの真相を知っている奴に出会ったよ。随分前になるか、氏族領へ出稼ぎに来ていた爺がいてな。仕事が終わると毎日酒場で飲んだくれるもんだ。たまたまその場に居合わせた俺も巻き込まれたんだ。離れようとすると服を掴んでくるので、麦酒を一杯奢ってもらう代わりに爺の話に付き合ってやったのさ。面白くもない話をするなら殴りつけてやろうと思っていたのだがな、これがなかなか……聞けば、爺はハマドの酒宴にいたという」
怪訝気にするイスマイーラの表情が、にわかに変わった。
「そいつの話によれば、あの日、いや、それよりも少し前に
元々ハマドは小さな氏族で、乾季になればオアシスの水争いにも負けるくらい力の弱い氏族だった。力づくで水を奪うことも出来ないから、細々とした財で水の所有権を買い取るという生活をしていた。そこへ、大きな実入りが約束された仕事が舞い込んだ。
「あと半月後にやってくる貴族に、酒の席を設けてやって欲しいという。盛大にやりたいので資金はこちらから出すが、その代わり薬を飲ませてやって欲しい者がいると」
イスマイーラが眉をひそめた。タウルは続けた。
「持病があるのに薬嫌いで自分からは頑として飲まない。付き人であるから道中倒れられては困るので、薬を飲み物に混ぜ込んでやってほしいと」
ハマド氏族の長は、快くこれを引き受け、テベリウスの使者から薬の包みを受け取ったという。
半月後、使者の言う通り、アル・リド王国から貴族がやってきた。
「その貴族の名は、テべリウス。付き人の名は、オルハン。ここから先は、俺達もよく知っている
ハマドの酒宴に招かれたオルハンは薬の混ざった酒に酔い、テべリウスと従者達を斬り伏せた。
「ここから先は爺の話を元に調べた事だが。テべリウスの背景に面白いものが隠れていた。当時アル・リド王国の中枢は、アル・カマル皇国を攻めようという強硬派と、同盟を組もうという穏健派で分かれていたらしい。テべリウスは強硬派の中で最も好戦的な急進派という派閥に属していた」
「急進派?」
「戦争を引き起こして、領地も領民も財も何もかもを奪ってしまおうという、そういう考えの派閥だ。戦争に勝てば財が潤うからな。何が何でも戦争をしたかろうよ」
はっと、顔を強張らせたイスマイーラが呟いた。
「……まさか」
「そのまさかだよ。何が何でも戦争をしたいテべリウスは、従者に命じてハマド氏族に酒宴を開かせた。付き人のオルハンへ強い幻覚の見える薬を飲ませ、わざと暴れさせた。想像以上に暴れてくれたせいでテべリウス自身もとばっちりを食らったがな。だが、策としては大成功だ。傷を負ったテべリウスは母国へ戻り、都合の悪い所を隠して事実を話した」
ふっと、タウルが笑った。
「はめられたのだ、俺達は」
しかし、事態はテべリウスの予期しない方向へ流れ出した。
アル・リド王国の王弟ロスタムと、穏健派に属していたダリウスが、アル・カマル皇国側の謝罪を受け入れたのだ。急進派の求める戦争は、未然に防がれてしまった。
”我が国は、戦争回避のためにお前達を売ったんだ。”
イスマイーラの中で、ルークの言葉と、タウルの語る真実が繋がってゆく。
「爺から話を聞いた後、俺達は再度集まった。事実確認を怠った上に俺達を売り払った祖国様と王国へ復讐しようと策を立ていたところに、戦争だ。しかもありがたいことに、徴兵するにあたりサルマン王子が俺達に褒美を約束してくださった」
ここまでくれば、タウル達が何を希望したのか、もう分かり切っていた。
「だからこそ、俺達はこの国を滅ぼさねばならん」
肌を刺すような敵意をまとい、肝の冷えるような声色でタウルはイスマイーラへ訊ねた。
「第二皇子が生きているらしいな。皇子の首を切ったのではなかったのか?」
タウルの顔面に彩るものの正体を理解した瞬間、イスマイーラは目を細めた。利き手はすでに、地図から離れ、剣の柄を握っている。
「……斬りましたよ」
タウルが短剣の柄を握った。指は白く、手は怒りに震えている。
「ならばなぜ生きているのかな?」
「さて。風聞では、かの第二皇子は魔に魅入られているという。
タウルが、おかしげに喉を鳴らした。
「は、は、は。魔に魅入られたときたか。確かに風聞では死の病で魔族になっただのと囁かれもしていたが。それが真実ならば魔に魅入られているに違いないな。ならば、あれはもう皇子ではない。
次の瞬間、タウルとイスマイーラの剣が閃いていた。白刃を短剣で受け止めたタウルは不愉快そうに顔を歪ませた。
「俺達を捨てた国だぞ、どうして肩を持つ!」
柄を握る手に剣の震えが伝わった。刃同士が鍔ぜる震えとは少し違う。タウルの怒りと悲しみが混じっていた。
「……捨てられたもなにも、もう、祖国にも、王国にも捨てられているのですよ、我々は」
イスマイーラはタウルの剣を弾くと、飛び退くように離れた。
「よく考えてほしいのは貴方の方だ、タウル。サルマン王子が自治を認める代わりに
はじめてタウルに再会し、テべリウスからシリルに出兵して欲しいと頼み込まれたという話を聞いた時、イスマイーラの脳裏に浮かんだのは、厄介払いという文字だった。
「解放という甘い餌で我々を集めた本当の目的は王国にとって目の上の瘤でしかない皇国と、厄介な氏族を潰すため。王国に都合よく利用されているのだということがどうして分からない!」
「それがどうした。俺達に再び自由と平穏が戻ってくるのなら、血を流すことくらいどうとでもない。祖国が滅亡するのならすればいい。それが俺達の復讐だ!」
タウルは信じているのだ、アル・リド王国を。王国が約束を守ってくれるのだと頑なに信じ込んでいる。王国からの褒美でしか故郷は救われないと思い込んでいる。それに気が付いた途端、イスマイーラは脱力するような後悔に胸を押しつぶされた。望みは、人の心をこうも頑なに縫い留めてしまうのかと。
イスマイーラはタウルの短剣を弾き飛ばすと、即座に岩穴から外へ飛び出した。仲間を呼ぶ口笛が甲高く鳴り響くのと、足音が殺到してくるのを背後に聞きながら。
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