山羊と、竜と、襲撃者
周囲がにわかに騒々しくなった。家畜の鳴き声に混じって、竜の雄叫びが聞こえる。頼もしいその声に内心で沸き立つものを感じながら、ルークは
「どういうことだ……なにが、起こっている?」
「聞いての通りだ、逃げるならいまだぞ」
ファランが、ルークを睨んだ。
「生ける財産が逃げ出しているというのに随分と余裕がありますね」
「死ぬよりは貧乏人になった方がましだからな」
ルークは口角をつり上げた。
「これ以上戦いたくないのなら、剣を引け。それとも、無駄に怪我人を増やしてみるか?」
ファランの目的が、本当に
(それに気が付くかどうか……)
冷静な頭を持っていれば、退却を選ぶはずだ。しかし、そうでなかったら。もう一押し必要だ。退却せねば不利だと悟って貰うための、一言が。
「イスハークには竜がいる。竜使いもいる。このまま襲撃を続ければ、竜を相手にすることになるぞ?」
「なるほど。竜なら、人を斬るより
吐き捨てると、ファランは走り出した。
「そうやって、いままで何人殺しました?」
「何人も」
ルークの目に昏い光が揺らめいた。ファランの表情が、侮蔑から憐れみに変わる。
「守りたいものを守れずに悔しい想いをするくらいなら、俺は何人でも殺す」
ファランが何事かを囁いた。けれど、小さすぎてアルルの吼声に塗りつぶされてしまった。アルルは食べ終わった仔山羊を放り出し、二人に向かって突進してきた。それを、ファランとルークは互いに別々の方向へ飛び退るようにして避ける。アルルがルークの前に止まると、くるりと半身を転じてファランへ吼えた。尻尾だけは、可愛らしく後ろ足の下に丸まっている。見上げるようなアルルの背中に、ルークは胸の中から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。それが、じわりと全身に広がる。冷たく縮こまっていた自分自身を奮い立たせるように、ルークは剣を手にファランへ迫った。
「ああああああああああああああああああああああああああっ!」
竜の咆哮と、ルークの絶叫が混ざり合う。ファランに剣を弾かれた。態勢が崩れそうになったルークの脇から、アルルがファランに噛みつこうとする。それを軽々と避けると、ファランは短剣でアルルの頬を斬りつけた。ぎゃっと、悲鳴を上げて怯んだアルルの首へ、ファランの剣が迫る。
ルークは全身をぶつけるようにして、ファランの体を突き飛ばした。もんどりうって倒れ込んだファランに覆いかぶさり、剣を逆手に持ちかえて振りかぶる。そのとき、右足に激しい痛みがはしった。ルークの右足に、短剣が突き刺さっていた。耐えがたい痛みに、ファランを押さえていた手が緩む。跳ね起きたファランがルークの上に覆いかぶさり、両手でルークの首を絞めはじめた。息苦しさと痛みにもがきながら、ファランの腕を引き剥がそうとした。けれど、子供のような細腕の癖に、びくともしない。
だんだん視界がにじんで、自分が何を呻いているのか、何から暴れているのかもわからなくなってきた。
(まだ、死ねない)
ルークとして何かを為そうとして何も成せないまま終わるのは嫌だった。兄の命令を無視してまでルークの意志を尊重してくれたイスマイーラにも、ウィゼルにも申し訳ない気持ちになる。死んでも死にきれない。悔やみきれない。そういう想いが、遠ざかってゆくルークの意識を繋ぎとめていた。不意に、ファランの手が緩んだ。ルークの上で屈みこんだまま、脇腹を押さえて震えている。その手には、槍の石突きが握られていた。
「こんな時期に随分豪胆な夜盗かと思えば、偵察兵でしたか」
ぼろぼろの服を着た男が、槍を手にしてファランを見下ろしていた。
歳若い男だった。険しい目つきで二人を睨み、覆面の下で男が乾いた舌打ちを漏らした。
「余計な手間、増やさないでもらえませんかねぇ」
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