疑惑の会食

 青い顔をしたマルズィエフが用意した食事は、ルークにとって馴染み深いものばかりだった。

 羊の丸焼きに、タブーリという青菜をめいいっぱい使った生野菜の盛り合わせ。香辛料を効かせた白身魚のスープに、シャクシュカと呼ばれる玉葱と鳥肉、果実を長時間煮込んだ料理。揚げたてのサンブーサが大皿の上で湯気を立て、食用花が料理にいろどりを添えている。各人に配された小皿には、砂糖をまぶしたデーツと瑞々しげな葡萄ぶどうが供され、甘い芳香を漂わせていた。

奥の席でかしこまったように座っているウィゼルには全く見たことの無い料理だったらしく、特に砂糖をまぶしたデーツを物珍しげに眺めていた。それを、マルズィエフが見下すように一瞥いちべつした。


「イダーフ様がアル・リド王国へ使者をお送りになられたというお話は、私達の耳に届いてございます。しかしながらその使者が、まさか殿下だとは……イダーフ様も御人おひとが悪うございますなぁ」


 マルズィエフの従者が、こんがりと焼かれた羊の頭を運んできた。

祝いの席や宴の席などで供される羊の頭は大抵、位の高い者へ配される。この場合はルークではなく一番位の高いマルズィエフに配されるべきもののはずだった。しかし、どういうわけか廃嫡されたはずのルークに配られた。なにかの間違いではないかと従者を一瞥いちべつしたが、間違って配膳したと慌てる様子が見られなかった。どうやら屋敷の主は、未だにルークを皇族として見ているらしい。なんとも言えない居心地の悪さを感じながら、そっと溜息を吐いた。


「先ずは祝杯と致しましょう。ご無事であらせられた殿下と、再会を果たせた我々に」


 マルズィエフが果実酒で満たされた杯を高々と挙げる。次々と遠慮がちに掲げられた杯に、マルズィエフが苦笑した。


「まあ、宴の雰囲気では無いかもしれませんな。しかしながらお互いにとって良い話し合いをするには美味い料理を食してこそだと私は考える。些か場違いには違いありませんが、ご容赦頂きたい。さ、殿下、遠慮はなさらず。殿下のお好きなものを用意したのです。好きなだけ召し上がれるとよい」


 宴の席で供される羊の、それも頭が盛り付けられた皿を示して、マルズィエフがにこりとした。羊の頭を凝視したまま微動だにしないルークを、マルズィエフが心配そうに伺った。


「あのターリクめに何をされたのか私共には存じ上げませぬが、安心めされよ。毒は盛っておりませぬ」


 丸焼きにされた羊の頭が、ウルという酸味のある黄色い果物をくわえ、皿の上で濁った眼窩がんかを奇抜な天井へ向けている。脂で照り映えた肉の色味と、香辛料の香りが食欲をそそるはずだった。


(気持ちが悪い)


 香辛料の香りに混じった微かな焦げ臭さと、唇の上を僅かに湿らせる程度の脂が。髪が焼け肉が燃え命が燃え落ちた、あの時の、とそっくりで。


「殿下は肉がお嫌いでしたかな?」


「いや、頂こう」


 意を決し、ごく僅かな肉をむしった。途端に拒絶本能が奥底からせりあがってくる。怖気がはしるその肉を、口に入れるをした。

むしったのは僅かな量でしかない。とっさに手の中に隠す芸当ならば難なく出来る。幸いなことに、マルズィエフもジャーファルも気が付いていないようだった。


「御加減が優れないのであれば、そう仰ってくだされば」


「大丈夫だ。ときにマルズィエフ、未だに俺を皇族として扱ってくれるのはありがたいが、あまり仰々ぎょうぎょうしいのは困る」


「そうは参りません。廃嫡はいちゃくされようとも、殿下は殿下です」


 マルズィエフ、きっぱりと言い放った。

 黙々とサンブーサを頬張っていたジャーファルが顔を上げた。


「そろそろ本題に移りませんか。殿下がイダーフ様から何を聞かされたのか、詳しくお聞かせ願いたい」


 マルズィエフがジャーファルを睨んだ。


「ジャーファル、その前に殿下にお伝えせねばならぬことがあるのではないか」


「まず、イダーフ様の話が先です。貴方の話はその後でだ」


 きっぱりと否定するジャーファルに、マルズィエフが渋面を作って黙り込んだ。


「何の話だ?」


「いえ、こちらの事です。殿下がどこまでご存じなのか、私共にお聞かせ願いたい」


「改まってそう言われても、お前達が耳にしているのと変わらないと思うぞ。アル・リド王国とエル・ヴィエーラ聖王国の両国が我が国の鉄女神マルドゥークを欲している。このままでは両国と戦争になりかねぬゆえ、どちらか一方の国と同盟を組み庇護を求め、片一方の国を牽制したい。ゆえに」


 聞いている通りだという顔つきで、ジャーファルは言継ぐように繋げた。


「エル・ヴィエーラ聖王国は先史の文明に詳しく、かえって我が国の鉄女神マルドゥークが利用されてしまう恐れがあるゆえ、何も知らぬアル・リド王国に庇護を求めよ、と?」


 ルークはうっすらと笑いながら頷いた。


「丁度、廃嫡はいちゃくされたばかりの俺がいたからな、人質としては申し分ない。厄介者の始末にもなるだろう」


「本来は、イブティサーム様の役割でしたが、まさか巡りにめぐって殿下がおやりになることになろうとは」


「本人は死んでいる。やりようがない」


 血を分けた女兄弟を他国へ差し出すのは、政治の取引としてはよくやる手だった。


「イブティサーム様は確か……」


「ああ。アル・リド王国第一王子サルマンの下へ嫁ぐ予定だった」


 サルマンは若いながらも武勇を馳せる猛将と名高く、内乱の鎮圧から蛮族の制圧にも大きく貢献した傑物けつぶつだ。王族にしては珍しく自ら積極的に戦場へ駆り出し、馬を巧みに操り次々と敵兵を屠る姿は勇ましく、国内は勿論のこと、国外にもその名を馳せている。もちろん、アル・カマル皇国でもサルマンの武功は有名で、彼の熱烈な支持者までいた。


「父上とアル・リド王ガリエヌスは、互いに面識があった。そして、サルマンとの婚姻が決まっていたのは皆が知っている通りだ。今も昔も変わらず、婚姻とは政略結婚の事をいうものだったが……そういえば、イブティサームとサルマンの場合は、少し毛色が違っていたか」


 あれは何時だっただろうか。今となってはすっかり曖昧あいまいになってしまった記憶を手繰り寄せるように、ルークは目を瞑った。


(確かあれは、イブティサームが十六になり、成人として認められた日のことだったか)


 国内での盛大な祝賀の後、近隣諸国からの来賓と共に、つつましやかな夜会を開いたことがあった。その来賓の中に、アル・リドの王子サルマンがいた。イダーフと同じ歳とは思えない程の偉丈夫で、武骨な面立ちと、衣服の上からでも分かる筋肉質な体つきは、王族というよりは軍人か、戦士のような印象を抱いたものだ。ルークはサルマンと挨拶を交わした折、彼の瞳に秘められた闘志に戦慄おののいた。王族の器ではない。彼は生まれながらのだと。

 そのサルマン、招かれた夜会で義姉イブティサームに惚れ込んでしまった。いわゆる、一目惚れというやつである。


「王族同士が恋をなさったのは、珍しいものでございましたな」


 皇族や王族の婚姻は大概が政治的側面を有し、個人の感情を無視して行われることが多い。そんな中で恋愛によって結ばれようとしているのだから、珍しいどころの騒ぎではなかった。当時は両国の王侯貴族は勿論、侍従達ですら目を剥いたものだ。


「しかし、イブティサーム様は亡くなられた」


「ああ、俺が殺した」


 反論するでもないルークの返答へ、ジャーファルが長く深い溜息を吐いた。


「イブティサーム様の死と同時に、我が国とアル・リド王国との婚姻に基づいた同盟の話は立ち消えてしまいました。その上イブティサーム様が元殿下に殺されたとなっては、我が国にとっての一大事。まぁ、我が国では腹の内で安堵する者が多くおりましたが……アル・リド王国ではそうではありませんでした。特にサルマン様の悲嘆は、隣国の我々にですら耳に入るような有様でしたから」


 ルークはマルズィエフの従者に空になった杯を差し出し、水のお代わりを求めた。


「もし、イブティサームの死の真相を知った場合、サルマンはどう出るだろうか」


 不意に、ジャーファルと視線が合った。


「俺は同盟の為の捕虜……というだけではないのだろう?」


 ルークの胸の内を、暗闇が覆った。同じように、ジャーファルの黒瞳もまた、何かを確信したような光を宿していた。


「本気で恋した人間ほど、失ったときの行動など分らないもの。可能性としてはあり得ると、お答えした方が宜しいでしょうか。国境付近にアル・リド軍が駐留しているという異常性を鑑みれば、そう考えてしまうのも頷けますが」


「そんな話、私は知らぬぞ!」


 ルークが驚くよりも早く、マルズィエフが怒りの声をあげた。空の杯が音を立てて転がり、僅かに残っていた酒が卓の上に染みを作る。


「貴様は何故それを早く言わんのだ、イダーフ様は御存じなのか!?」


 ジャーファルが口を閉ざしたのへ、ルークは渋面を作った。それが彼なりの否定であるという事は過去の付き合いでわかっていた。


「いま、ようやく報告が上がった頃かと。まさか、ご存じなかったか」


「当たり前だ、ばかもの! 私も、殿下もそういう話を直ぐに耳に出来る状態ではないのを知っているだろう!」


 マルズィエフの喚きを聞きながら、ルークは呻いた。

 アル・リドとの国境付近まで一番脚の早いボラクを一昼夜走らせても、最低二ヶ月はかかる。


「一報があってから、ここに来るまで時間が経ち過ぎたな」


 その間、アル・リド王国軍からの行動があってもおかしくない。ジャーファルは室内を見回し、四人だけしかいない事を再度確認すると、やおら声を潜め、言った。


「よりによって何故今なのか。殿下は御存じないとは存じますが、いま城内では、イダーフ様による大規模な改革が行われてようとしています。どうにも、隣国に買収された者どもがいるようで」


「この状況でか?」


 全てを同時進行でしてのけるのは、官吏が優秀でも無理がある。通常なら平時にやるべきことだ。平時であったとしても有事が予想されるのならば、城内の改革などやるべきではない。まとまらなければならない時に限って離反者や裏切者が現れ、内部は想像するよりも多くの綻びが生ずるからだ。


「兄上らしくないな」


 イダーフが行動を起こすのは、必ず動けるだけの状況証拠や、考えうる全ての不測の事態を解決するだけの方法を考え出してからだ。


「信頼できる味方を集めてから有事に取りかかるという考えそのものは良い。国の命運が掛っているのだから、万全を期して挑むべきだ。でも、


 何故見誤ったと考えてから、思い浮かんだ事実にルークは頭を抱えたくなった。


(俺のせいか!)


 ルークの身柄と引き換えに、アル・リド王国が同盟の話を引き受けたから、焦る必要が無いと判断し、城内の改革に手を出したと思えば納得がゆく。あくまでも可能性。けれど、ありうると思った。


「で、内通者の炙り出しは誰がやるんだ?」


「カダーシュ様です。ご自分から、イダーフ様へ協力を申し出ました。その一手として、皇位継承問題に名乗りを上げられた」


 その名を聞いた瞬間、ルークは文字通り頭を抱えた。妾腹の皇子と謗られ続けたあのカダーシュが、まさか自身をにして皇位継承問題に突っ込むなどとは。


(分かり易すぎる餌だぞ、カダーシュ!)


 無知蒙昧むちもうまいな輩ほど見下しきっている者のそばに群がる。その集まったところを芋蔓いもづる式に探っていけば、粗方あらかたの連中は掘り当てることが出来るだろう。きっと、カダーシュはそう考えたに違いない。だが、カダーシュの狙い通りになるかどうか。


僭越せんえつながら私がカダーシュ様の後見人として、殿下を擁立しております。表向きは殿下の御用聞きでしかありませんが」


「貴様がだと!?」


 ルークがついに叫んだ。声が裏返っていた。


「貴様はイダーフの派閥にいたのではなかったか。それが何故、カダーシュに肩入れをするんだ!?」


「そのイダーフ様より仰せつかったのです。何分、カダーシュ様も殿下同様、城内では敵の多い方ですので」


「俺の敵と、カダーシュの敵は種類が違う!」


 畏怖と侮蔑では天と地ほどの差がある。

 時には大人ですら怯む程の胆力を持ち、子供らしくないと囁かれているルークとは違い、義弟カダーシュは妾腹の皇子だの、城にいるべき人間ではないだのと散々な物言いをされ、周囲から一方的に見下されている。そんな事を物心ついた時から知り尽くし、歯噛みするような思いで生きてきた彼が、買収された者どもをあぶりだすなどと言えるはずがない。いや―――、


「カダーシュ自身が望んでしたというよりは、イダーフがさせたな?」


「事の仔細は、分りかねます」


 知らないものは逆立ちしても知らないといったそぶりで、ジャーファルが汁物に口をつけた。熱そうに顔をしかめ、直ぐに水を飲んだ。


「……イダーフ様も焦っておられるのです」


 マルズィエフが辛そうに顔を歪め、押し黙った。いたたまれなくなるほどの、長い沈黙だった。やがて意を決したように深呼吸をし、言った。


「殿下、父君が身罷みまかられたのをご存知でしょうか」




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