疑念の館
ジャーファルがいるという屋敷の一角に通されたばかりのルークは、思わず目を細めた。
(奇抜過ぎる)
ルークとウィゼルが通された部屋は、優美というよりはひたすらに華美で、優雅さや品の良さとはかけ離れていた。室内の壁は赤地に金色の
(こいつの色彩感覚はどうなっているのか)
肥満男性五人分が楽に足を広げて座れるほどの巨大な長椅子に身を沈めながら不機嫌そうに腕を組み、前を睨んだ。いい具合に肥えた初老の男がこれまた同じような巨大な長椅子の上でふんぞり返っている。マルズィエフだ。記憶にある彼の姿は、もう少し若かった。身体は一回り小さかったはずだし、髪も黒々と生えそろっていたのに。今では見る影もない。髪の残りかすのような産毛が、つるりとした頭皮に僅かながら乗っかっている。
「お久しぶりでございますな、殿下」
マルズィエフが柔和な笑みを浮かべた。子供のように表情をころころと変える彼は、城内では珍しく裏表のない人物だと評されていた。有り体に言えば、考えていることが表情に全て出てしまう。
「久しいな、マルズィエフ。人質を取ってまで俺を呼び出すとは、ずいぶん穏やかではないが。犯罪者に鞍替えでもしたか。それともエル・ヴィエーラに魂を売り渡したか……元老の肩書きが泣くぞ?」
「殿下も御冗談をおっしゃられるくらいにお元気そうでなによりでございます。嫌味の言い方は流石、イダーフ様の弟君にあらせられますな」
「敬愛する兄上とそっくりだと褒められるとは、反吐が出るくらい光栄だな。取り立てて用がないなら帰らせてもらおう」
「お待ちください」
マルズィエフの隣で、うんざりするくらいの男前がルークを制止した。
「確かに強引に殿下をお呼びだてしたのはこちらの責。お怒りはごもっともでございます。ですが、今一度、我らの話に耳を傾けて戴きたい」
「ならば俺だけでいいはずだ、ジャーファル」
静かな怒りのこもった紅い瞳が、青年を射すくめる。この場に居た誰もが表情を青くしたそれを、彼だけは、真っ直ぐ受け止めた。
二十歳程の青年が持つ若々しい褐色の肌と、力強い黒色の瞳。上背の有る引き締まった体つきは、隣のマルズィエフとは対照的だ。その彼の名は、ジャーファルと言った。彼はまるで美の神々が
そのジャーファル、わずか十歳で
「将来的に宰相の位にでも収まるかもしれぬ」
と、唸らせたほどだ。
しかしルークにとってジャーファルは気の良くなる相手ではなかった。
温厚と評判のジャーファルは、言うときは、はっきりとものを言う人間だった。そしてルークもまた、はっきりとものを言う。この二人が論争という名で幾度となく衝突を繰り返すようになったのは、自然な流れだろう。とはいえ、ルークとしては何を考えているか分からない城の連中の中では、ジャーファルは話が分かるだけマシな部類だという認識であったし、ジャーファルもまた頭の固い皇族にしては、ルークはまともな部類だという認識を持っていたのだろう。
その彼が、第一皇女イブティサームを殺した咎でルークが幽閉されたととたん、イダーフのもとへ下ったのはルークにとって青天の
「そこの少女も殿下に巻き込まれておりますればなおのこと、この屋敷から出す訳には参りません」
ルークの頬が
マルズィエフの顔が青くなった。
ウィゼルに至っては目が泳いでいる。部屋の外へ救いを求める視線を幾度となく扉の方へ向けているのだが、彼女の希望を叶えようとする勇者は今のところ現れていない。
「俺の想像通りなら、ウィゼルを解放する必要があると思う。知った後では、人の口など神でも塞げんぞ。それとも、知られた後で殺すか?」
怒気のこもった視線を、ジャーファルは涼やかに流した。返事をするのは今ではないとでも言うような態度に、ルークの心は荒立った。
「そもそも巻き込んだのは、お前達だろう!」
「
「確かに俺は魔族で、イブティサームを殺し、挙句に脱走した。問題の塊だな」
何を今更持ち出すことがあろうかと、ルークは
「殿下、アル・リド王国へは
「……どういうことだ?」
困惑も露に首を傾げた。
「お前達はイダーフと繋がっているのだろう。なら、俺がアル・リド王国へ赴く理由も知っているはずだ。なのに何故俺を止める。いや、そもそもお前達は聖王国と手を組んでいるのではなかったのか?」
それが何故、エル・ヴィエーラ聖王国に関わるなというのか。
困惑も露にするルークへ、ジャーファルはゆっくりと首を振った。
「殿下はイダーフ様から何もお聞き及びではないのですね」
「貴様は何を知っている?」
俄かに気色ばむルークを止めたのは、意外な人物だった。
「で、殿下、長いお話になりますゆえ、どうでしょう。食事でもしながらというのは……娘、そ、そなたも皇族と食を共にできるという栄誉に浴すがよい!」
今にも倒れんばかりに血色を失せさせたマルズィエフが、上ずった声をあげた。
当サイトに掲載されている写真、イラスト、文章の著作権は早瀬史啓に帰属します。無断での複製・製造・使用を全面的に禁止します。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます