疑念の館

 ジャーファルがいるという屋敷の一角に通されたばかりのルークは、思わず目を細めた。


(奇抜過ぎる)


 ルークとウィゼルが通された部屋は、優美というよりはひたすらに華美で、優雅さや品の良さとはかけ離れていた。室内の壁は赤地に金色のつた模様で彩られ、天井は植物の彫刻がびっしりと彫られている。こんな奇抜な色彩の室内は、生まれ育った城や貴族達の屋敷でも見たことが無い。


(こいつの色彩感覚はどうなっているのか)


 肥満男性五人分が楽に足を広げて座れるほどの巨大な長椅子に身を沈めながら不機嫌そうに腕を組み、前を睨んだ。いい具合に肥えた初老の男がこれまた同じような巨大な長椅子の上でふんぞり返っている。マルズィエフだ。記憶にある彼の姿は、もう少し若かった。身体は一回り小さかったはずだし、髪も黒々と生えそろっていたのに。今では見る影もない。髪の残りかすのような産毛が、つるりとした頭皮に僅かながら乗っかっている。


「お久しぶりでございますな、殿下」


 マルズィエフが柔和な笑みを浮かべた。子供のように表情をころころと変える彼は、城内では珍しく裏表のない人物だと評されていた。有り体に言えば、考えていることが表情に全て出てしまう。まつりごとを司るには難のある人物とも評されていたが、見識が広く、人にものを教えるのは誰よりも上手かった。交渉術もずば抜けており、彼の右に出る者はいなかった。ルークが父の後をついて歩いていた頃は、彼から様々な雑学を教えてもらったこともある。貿易の仕組み、交渉術、船上での生活。彼の話は機知に富んでいて飽きないどころか、興味をそそられるものばかりで、よく話をせがんだものだが。老いが、彼を変えてしまったらしい。


「久しいな、マルズィエフ。人質を取ってまで俺を呼び出すとは、ずいぶん穏やかではないが。犯罪者に鞍替えでもしたか。それともエル・ヴィエーラに魂を売り渡したか……元老の肩書きが泣くぞ?」


「殿下も御冗談をおっしゃられるくらいにお元気そうでなによりでございます。嫌味の言い方は流石、イダーフ様の弟君にあらせられますな」


「敬愛する兄上とそっくりだと褒められるとは、反吐が出るくらい光栄だな。取り立てて用がないなら帰らせてもらおう」


「お待ちください」


 マルズィエフの隣で、うんざりするくらいの男前がルークを制止した。


「確かに強引に殿下をお呼びだてしたのはこちらの責。お怒りはごもっともでございます。ですが、今一度、我らの話に耳を傾けて戴きたい」


「ならば俺だけでいいはずだ、ジャーファル」


 静かな怒りのこもった紅い瞳が、青年を射すくめる。この場に居た誰もが表情を青くしたそれを、彼だけは、真っ直ぐ受け止めた。

二十歳程の青年が持つ若々しい褐色の肌と、力強い黒色の瞳。上背の有る引き締まった体つきは、隣のマルズィエフとは対照的だ。その彼の名は、ジャーファルと言った。彼はまるで美の神々が 彫琢ちょうたくしたかのような美形だった。加えて頭も回り、人望もあるというのだから、まさに天が二物も三物も与えた最たる例だろう。当然ながら彼の周りの者は同じ男としての嫉妬を覚えた。ルークですらも、ジャーファルのようであったらよかったと思うほどに。


 そのジャーファル、わずか十歳で科挙ムクーストに合格し、史上最年少で城仕えに至った神童だった。それも、ただの天才ではない。難解な問題が定期的に発生する東守の職務を涼しい顔で難なくやり遂げるのだから、東守の長ばかりか、イダーフをも、


「将来的に宰相の位にでも収まるかもしれぬ」


 と、唸らせたほどだ。


 しかしルークにとってジャーファルは気の良くなる相手ではなかった。

温厚と評判のジャーファルは、言うときは、はっきりとものを言う人間だった。そしてルークもまた、はっきりとものを言う。この二人が論争という名で幾度となく衝突を繰り返すようになったのは、自然な流れだろう。とはいえ、ルークとしては何を考えているか分からない城の連中の中では、ジャーファルは話が分かるだけマシな部類だという認識であったし、ジャーファルもまた頭の固い皇族にしては、ルークはまともな部類だという認識を持っていたのだろう。たもとを分かつまではルークと肩を並べて小難しい話から、とるに足らない日常を何事もなく語り合う、そういう仲でもあった。


 その彼が、第一皇女イブティサームを殺した咎でルークが幽閉されたととたん、イダーフのもとへ下ったのはルークにとって青天の霹靂へきれきだった。他の者達同様、ジャーファルが掌を返したさまに、ルークは大いに落胆した。その彼が、今更自分の前に現れて一体何の話をするというのだろう。


「そこの少女も殿下に巻き込まれておりますればなおのこと、この屋敷から出す訳には参りません」


 ルークの頬が痙攣けいれんした。

 マルズィエフの顔が青くなった。

 ウィゼルに至っては目が泳いでいる。部屋の外へ救いを求める視線を幾度となく扉の方へ向けているのだが、彼女の希望を叶えようとする勇者は今のところ現れていない。


「俺の想像通りなら、ウィゼルを解放する必要があると思う。知った後では、人の口など神でも塞げんぞ。それとも、知られた後で殺すか?」


 怒気のこもった視線を、ジャーファルは涼やかに流した。返事をするのは今ではないとでも言うような態度に、ルークの心は荒立った。


「そもそも巻き込んだのは、お前達だろう!」


廃嫡はいちゃくされた御身のこと、そして殿下の事情をある程度知られてはなおのこと。そちらの少女を解放する訳には参りません。なにせ、一国を揺るがす情報を握られているのですから。しかし、現在最も問題なのは殿下、貴方だ」


「確かに俺は魔族で、イブティサームを殺し、挙句に脱走した。問題の塊だな」


 何を今更持ち出すことがあろうかと、ルークは憮然ぶぜんとした面持ちで応じた。ジャーファルは居住まいを正し、静かに言い放った。


「殿下、アル・リド王国へはかれますな。エル・ヴィエーラ聖王国とも関わりを持ってはなりません。シルビアなる女の言葉なども、耳を傾けなさいますな」


「……どういうことだ?」


 困惑も露に首を傾げた。


「お前達はイダーフと繋がっているのだろう。なら、俺がアル・リド王国へ赴く理由も知っているはずだ。なのに何故俺を止める。いや、そもそもお前達は聖王国と手を組んでいるのではなかったのか?」


 それが何故、エル・ヴィエーラ聖王国に関わるなというのか。

 困惑も露にするルークへ、ジャーファルはゆっくりと首を振った。


「殿下はイダーフ様から何もお聞き及びではないのですね」


「貴様は何を知っている?」


 俄かに気色ばむルークを止めたのは、意外な人物だった。


「で、殿下、長いお話になりますゆえ、どうでしょう。食事でもしながらというのは……娘、そ、そなたも皇族と食を共にできるという栄誉に浴すがよい!」


 今にも倒れんばかりに血色を失せさせたマルズィエフが、上ずった声をあげた。





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