偵察支援隊イブリース

 薄墨を流したような暗闇の中を無数の影が駆ける。静寂の中で風を切って走る馬の足音と呼気だけがしていた。先頭で馬を駆る男が、不意に振り返った。沢山の馬影ばえいが、黒々とした大蛇のように大地の彼方まで繋がっている。


「みな、ついて来たか」


「五十人ほどついてきています。ですが、落伍した者が十名出たようで……」


 応じたのは小さな影だった。図体のでかい馬の上に、ちょこんと座っている。この小男の名はファラン。アル・リド王国軍ダリウス隷下れいか剣奴ムンタキムだ。声変わりのしていないおさない声に、男は呆れ交じりの吐息を漏らした。


落伍らくご、ねぇ」


 男が、うたぐるような顔つきで後続の影を睨んだ。彼らはみな、明りとなる一切を持たぬまま視界の悪い中を行儀よく隊列を組んで走っている。墨でべた塗りしたような濃い闇の中を月のか弱い光だけを頼りに走るのは薄布で目隠しをしながら夜道を歩いているようなものだ。そんな中で頼れるものといえば、馬と自身の聴覚だけ。一人や二人くらいはぐれてしまう者がいるのは仕方ないように思われるが、男はふっと、薄ら笑いを浮かべた。


「逃げたのも混じっているんじゃないのか?」


「可能性は有ります。しかし十名もとなると、故意に逃亡させたのではと疑われてしまうかも」


「そんなものはダリウス様もとっくに見越していらっしゃる。夜間に物資補給路の開拓と兵站へいたんの確保をせよなどという、基地外じみた命令を下した時点でな」


 ファランが首を傾げた。


「わざと、であったと?」


「いいや、逃亡を見越したうえでの信頼だよ、ファラン」


 それはアル・リド王国軍と南北カムールの駱駝らくだ騎兵達が国境付近で戦った時のこと。


 ファランを初めとするダリウス隷下れいかの偵察支援隊イブリースは、アル・リド王国軍本隊が国境に到着する前に南北カムールの駱駝らくだ騎兵達の情報を仕入れていた。彼らの集う場所、部隊、戦場となる南カムールの地形。王国軍の本隊が国境付近に集結し終わった頃には、全ての情報をダリウスに与えることが出来た。それもアル・カマル皇国軍と、南北カムールの遊牧民ベドウィン達が気づく前にだ。

通常は調査に一月もかかることを、ものの数週間に短縮できたのは男達が独自に持っている情報網を駆使したおかげだ。とんでもない速さで、とんでもなく正確な情報を集めたお陰で、アル・リド王国軍は緒戦で南カムールの領主であり、アル・カマル皇国軍の将軍アクタルを討ち取り、駱駝らくだ騎兵達を潰走させた。

士気の上がったアル・リド王国軍は追撃をかけながら南カムール北部まで侵攻。散発的に奇襲や待ち伏せを受けてはいるものの、中央カムールの南部まで大した損害も無く進軍出来ている。この功績を可能とさせたのは偵察支援隊イブリースの構成員の多くがアル・カマル皇国の民であったためだ。


「それは、よく考えすぎている気がします」


 意外なほど冷えた声で返してきたファランに、男は顔を曇らせた。


「なにか、お前はダリウス様が俺達に敵前逃亡の罪を着せようとしていると思っているのか?」


「そんなことは思っていません、ただ、その……」


 俯いたファランに、男は溜息をついた。


「なんだ」


「本当に、信じても良いのかと」


「不安か」


 少しだけ。と、ファランが頷いた。


「タウル様。僕達は簡単に人を信じられるほど真面まともな生き方をしてきていません。普段の生活ですら他人の善意の裏にあるものを必死になって嗅ぎ分けながら生きているのに、どうして簡単に信じられるでしょうか。ましてやここは戦場。こんな場所で他人を簡単に信頼しても良いことはありません」


 もっと警戒心を抱くべきだと睨むファランに、タウルは苦笑を浮かべた。


「ファラン、お前の言っている信頼は根拠が無いものごとに関してだ。しかしこの場合は信頼に値する根拠がある」


 タウルの双眸がかげった。


「俺達はこの国が憎い。この国の皇族共を殺したい。この国の民に苦しんで欲しい。そう願う程のことを、俺達はされている。そしてダリウス様は俺達の、このどうしようもない憎悪にこの国との戦争という機会を与え、俺達の憎しみに応えてくださった。これが根拠だ」


「しかし、ダリウス様は我らに対しても同じことを思うでしょうか」


「思わんだろう」


 あっさりと否定したことに、ファランは目を見開いた。


「だったら!」


「だったら何だというんだ。思惑は違えど目的が一緒ならば問題はない」

 

 嗤い混じりの声に、恨みが滲む。


「天は、我らに味方した」


 卑賤ひせんの民としての謗りを受け、人畜にも劣る行いを二十年もの間行使され、絶望を味わい尽くした俺達シリルが。かつて若き日の貴族テべリウスの道案内をし、怪我をさせたとがで国から捨てられた俺達が。今では復讐のための道案内役を引き受けている。男は嘲るような笑みを闇へ向けた。


「俺は、この国が崩壊するさまがみたい。その為だったら、何でもする」


「我々の目的はあくまでも兵站へいたんと物資補給路の確保。無関係な民の虐殺ではありません」


 ファランの物言いに、男は苦々しい表情を浮かべた。


「可能な限り穏便に、だろう。言いたいことは分かる。困ったことに我が軍は行軍を速やかに行うため、必要最低限の食料と物資しか持ち合わせていない。つまるところ、カムール砂漠を越えるだけの兵站へいたんが無い。食料と物資、いずれも不足すればアル・カマル皇国への侵攻を中断しなければならない事態に陥ってしまう。では、どうするのか。戦場での定番。略奪あるいは金銭による買収を行い食料と物資の補給を行う。分かってるさ、そんなことはな。俺だって殺すのは好きじゃない。皇族以外は、なるべく丁寧にかつ、穏やかに接したいと思う。抵抗されたら仕方がないがね」


 ぎらついた眼差しに、ファランが微かな戸惑いを滲ませる。ややあって頷いた。なにかしらの葛藤があったらしい。ファランの表情は硬かった。





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