あたたかなどく

 気が付くと、二人の男がルシュディアークの前に立っていた。いずれも黒くゆったりとした服をまとい、同色の覆面ふくめんで顔の下半分を覆い隠している。その中の一人がひざまずき、深々とこうべれた。


「夜分、お休みのところ申し訳ございません。私は西守の長、ターリクと申します。急ぎの件がございましたので、失礼とは存じましたがこちらに」


「法務の長が血相を変えてやってくるほどの急ぎの件とはなんだ」


「お父上から、殿下へのお言葉をたまわっております」


「……父上が!?」


 二年前より死の病に倒れ、今も意識が戻らないはずの皇主ちちの名が出た途端、ルシュディアークの心にわずかばかりの生彩せいさいが灯った。


(もしかしたら)


 イブティサームを殺した疑いが晴れたのかもしれない。ターリクの言葉が待ち遠しくてたまらない。ターリクが、すっと、息を吸った。


「アル・カマル皇国第二皇子ルシュディアーク・アブドゥル・スレイマン=シャリーア・アル・カマルへ。血族殺害および、皇国に厄災をもたらす魔族となり果てた貴殿の皇籍こうせき剥奪はくだつ。更生の余地無き残虐ざんぎゃく性は生かす余地よちなしと判断。よって、死刑にしょす」 


 淡々と言継ぐターリクの、その言葉の意味にルシュディアークは絶望した。


「……それは本当に、父上が述べた言葉か」


 ターリクの、死んだ魚のような目が笑みの形に歪んだ。


「陛下のご意向でございますゆえ、殿下にはどうかご理解いただきたく」


「理解など、出来るか……」


 そう言い返すので精いっぱいだった。哀しさで溢れだしそうな心を、歯を食いしばって必死に押し殺した。


皇主ちちすらも、俺を信じてはくれなかった)


 皇主ちちだけは味方で居てくれると思っていたのに。


「……それで、なんだ」


「刑の時期を知らさぬのも刑のうち。殿下であらせられようともお教えする事は出来かねます」


 しかしながらと、ターリクはあやすような口調で続けた。


「殿下のお気持ちは分かるつもりでございます。心の準備もございましょう。そうですね、最期の言葉くらいは長として特別に許可いたしましょうか」


「……お前にしては珍しいこともあるものだな?」


「殿下の御心を踏みにじるほど、私は非道ではございませんよ」


 ターリクの口調はどこまでも丁寧ていねいで優しげだった。本心までは見透かせなかったけれども。その心遣いだけは嬉しかった。


「なら、書く物と明かりが欲しい」


「どなた宛てに?」


「カダーシュに」


 ターリクが、何故カダーシュなどに言葉を残すのかと首を傾げた。そんな彼の意図を察して、睨んだ。


「あれは俺の義弟おとうとだ。文句があれば今この場でべろ」


「いえ、失礼致しました」

 

 ルシュディアークの怒りを、ターリクは冷静に受け止めた。粛々と硝子がらすの筆と紙を差し出すと、卓の上の鉱石光サナへ水を差した。ぼんやりと青白く鉱石光サナに照らされながら、ルシュディアークは渡された紙を机の上に広げた。

 

(……とはいえ、何から書けば良いのかわからんな)


 カダーシュは腹違いの弟だ。ルシュディアークとは二つ分歳が離れている。彼はアル・カマル皇国の第三皇子であるが、城内の口さがない大人達には妾腹めかけばらの皇子とそしられている。皇主ちち侍女はべらめに手を出して生まれた不義ふぎの子だからだ。

カダーシュの母は、カダーシュが物心つく前に姿を消し、行方は今も知れない。それをあわれに思ったルシュディアークの母は、ルシュディアークを育てていた乳母をカダーシュにつけて育てた。

同じ乳母に育てられたルシュディアークにとっては、カダーシュは、兄のイダーフよりも身近な存在だった。おはようからおやすみまで。暇があれば共に遊び、雑談に興じ、共に学んだ。十余年という間に積み重なったカダーシュとの思い出が、まるで走馬灯のように思い起こされる。

それが、何よりも辛くてたまらなかった。

けれど残される義弟カダーシュの身に起こるだろう想像するだにしかない不幸と苦労が、ルシュディアークの心を悲しみから不安に塗り替えていった。

 

 不安の一つに、皇位継承問題がある。


 二年前に皇主カリフが死の病に倒れ、今は第一皇子のイダーフが代理として国のまつりごとを任されている。長子継承ちょうしけいしょうがこの国の習わしであるから、通常で考えれば長子であるイダーフが次の皇主カリフとなる。


 しかし、ここに異を唱えた者がいた。

第一皇妃でありルシュディアークにとっての義母ナディヤとその娘、第一皇女イブティサームを筆頭とした者達だ。彼女達はイダーフが皇主カリフになることを快く思っていなかった。

理由はイダーフ自身の気質的な問題だった。今にして思えばほとんど当てこすりのような話ばかりだったように思う。

例えば、問題に取り組む姿勢の悪さと決断力の無さとか。

大雑把かと思えば実は細かすぎたりとか。

特に軍事を司る東守ひがしもりの者達からの嫌われっぷりは相当だった。なにせ軍事に口を出してくるのだから、東守の者達からしてみればたまらなかったのだろう。イダーフを嫌う東守の者達は、イブティサームと手を組み、イダーフとは対照的な性質を持つルシュディアークを次期皇主カリフ候補に持ち上げることにした。


その矢先の出来事だったのだ、この事件が起こったのは。


 いま、イブティサームは亡くなり、ルシュディアークもまた魔族として処刑されようとしている。二分されていた城内は第一皇子派が力を取り戻しつつあった。しかし、何が何でもイダーフに皇主カリフになって欲しくない人間は、いまだ城内に多く存在している。


(俺がいなくなれば、きっとあの手この手で再び派閥はばつを作り上げ、俺にした時と同じように、カダーシュを担ぎ上げるに違いない)


 城内で妾腹めかけばらの皇子だのと陰口を言われているカダーシュが、城の大人達にどんな扱いを受けるか、あまり想像しなくてもわかる。胸糞の悪さを覚えながら息をつくと、遊んでいた筆先を紙の上に滑らせた。書き始めを迷ってはいたものの、いったん書き始めてしまえば楽だった。


 カダーシュへの心配から始まった手紙は、瞬く間に彼の今後のことや、カダーシュの周囲がどう動くか。それに対して注意しなければならないこと。迷ったら信頼できる誰かに相談すること。カダーシュ自身がなさなければならないことで埋め尽くされていった。

最後の一文字をつづり終わった後で顔を上げると、渋い表情をしたターリクが待ち構えていた。それへ、ばつが悪そうに笑んだ。謝罪のつもりだった。


「最期の手紙ことばだ。中身は見てくれるなよ?」


「誰がいたしましょう」


 穏やかに言い放つターリクに、ルシュディアークは途端とたんに笑みを引っ込めた。彼の心遣いに感謝できても、信じる気にはなれなかった。


「お疲れでしょう。もしよろしければ、お茶でもいかがですか」


 いつの間に持ってこさせたのか。ターリクはもう一人の男から木杯の乗せられた盆を受け取ると、ルシュディアークへ差し出した。


「珍しいことをするんだな」


「殿下がご存じないだけで、私は虜囚りょうしゅうと接しておりますれば。お嫌ならばお下げいたしますが」


 ターリクといえば、城中の者が恐れる人物だ。罪人を裁くという仕事柄、冷血漢だの断頭台の主だのと物騒極まりない渾名あだなで呼ばれている。けれど実際は彼の優しさが表立って見えないだけだったのだとしたら。そう思った途端、ターリクを疑いの目で見ていた自分自身が恥ずかしくなった。


「……いや、有難くいただこう」


 渡された器を手にとった。てのひらに伝わるほんのりとした暖かみに、自然とため息を漏らした。そっと、それを口に含む。とろりとして甘い。香料が多すぎるせいか、微かに舌がしびれた。


「少しからいな」


「その方が、身体もぬくまりましょう」


 それを半分ほど口を付けたところで眠気を覚えた。頭が、ぼうっとする。視界もにじむようにかすんできた。手から器が滑り落ちた。

体が、ぐらりと傾ぐ。気付けば床の上に横たわっていた。


「……なに………?」


 口の端から唾液だえきが漏れた。床が波のようにれて、くるりと回転しだすから立つことも目を開けていることもままならない。


「少々妙な感覚がありますが、そのうち楽になりましょう。手紙は大切に保管いたしますので、ご安心ください」


 手紙をするとはどういうことか。

 それよりもこの飲み物は一体何なのか。


 五感が鈍くなりつつあるなかで、ルシュディアークはターリクを仰ぎ見た。先刻とは全く違った、寒気を覚えるほどの目つきでルシュディアークを見下ろしている。鈍くなった頭が、残酷な結論を導き出した。


「きさま……」


 を盛ったのか。

 ターリクは悪意の笑みを浮かべた。


「死の間際くらい良い表情かおをなさいませ」


 そう吐き捨てたターリクを睨みながら、ルシュディアークは腹から込み上げるものを吐き散らしながら意識を手放した。




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