第四章 届かない手紙

最後の竜

 夜のとばりが下りてもアズライトは戻ってこなかった。ルークは天幕の外へ出ると、アズライトの姿を探すようにぐるりと周囲を見渡した。

濃い藍色の空には銀砂のような星々が瞬いている。月の青白い光が、小山のような天幕をうっすらと照らしていた。その中を、ルークはそろそろと進んだ。通り過ぎる天幕から夕餉ゆうげの匂いがする。家人達がお喋りに興じているのもよく聞こえた。温んだ砂を踏みしめて歩いてゆくうちに、昼間にイスマイーラと腰をかけていた場所にたどり着いた。そこに人影があった。アズライトだ。夜風に髪を遊ばれながら、ぼうっと、星空を見上げている。


「随分探したぞ」


 不機嫌そうな声に、アズライトは空を眺めたまま呟いた。


「……合成獣キマイラが見当たりません」


合成獣キマイラ?」


「アルルのことです」


 合成獣キマイラというのは、異なる動物をかけ合わせた生き物だ。足代わりに使っているボラクがいい例だろう。ボラクには三つの獣が混じりあっている。竜と、馬と、駱駝らくだだ。ルーク達は異なる動物の特徴を併せ持つ生き物のことを合成獣キマイラと呼んでいた。アルルはボラクと同じ合成獣キマイラだろうかと考えて、ルークは首を傾げた。


「アルルは竜だぞ?」


「いいえ、竜と蜥蜴とかげ、鳥類の遺伝子を組み込んで再生させた合成獣キマイラです。本来の意味での純粋な竜は既に絶滅しています」


 ルークが眉をひそめた。初めてアズライトに出逢った時に、ウィゼルを怒らせることとなった一言を思い出したからだ。


(確か、竜も竜の民ホルフィスも滅びたと)


 アルルという絶滅したはずの竜を見てもなお、絶滅したと言い張るアズライトの胸中がよく分からない。


「どういうことだ?」


「我々が滅ぼしたからです」


 アズライトは信じられないような面持ちのルークから背を向けた。


「ここにカッシートという国があった頃、私達は、竜の民ホルフィスと、竜達と戦争を起こしたことがありました。その切っ掛けは私達が竜と、竜の民ホルフィスに怖れを抱いたからと聞いています。本当の竜は人語を介し、どんな生き物よりも賢く長く生き、超常の力を意のままに操る世界最大級の生き物。アルルのようなではありませんでした。文化も言語も生態も、思考形態も我々とは全く違う。でも、それのせいで人は竜を恐れたのです」


「お前も戦ったのか」


「はい。汎戦術高次機能型戦略兵器、ATTSA-L411と共に」


 ルークは眉根を寄せた。


「ATTSA-L411?」


「ATTSAは人類側の主力兵器であり、私と同じような姿の人形です。L411は、ATTSAシリーズの中でも優秀な兵器でした」


「同じような……」


 アズライトの口から、懺悔ざんげのような声が漏れた。


「私は彼と共に、最後の竜を殺めました」


 かつての文明が風化するほどの歳月が経ってもアズライトの中にある記録は消えずに残されている。いまやアズライトだけが呼び起せるかつての竜の姿。そして、人類が犯した。映像記録を共有できないのは不便だと、アズライトは嘆息した。


「あれはBITA- Az-01アズライトと、ATTSA-L411として互いに組むようになってから何度目かの任務でした。今のエル・ヴィエーラ聖王国の近くにはかつて、竜達の聖域があったのです」


 水と緑に満ち溢れた、豊かな森の中。そこで、アズライトはL411と共に最後の竜にいどんだ。


 アズライトの脳内に残された映像記録は、戦闘の余波で赤々と燃えている聖域の景色があった。人工表皮が焦げ付いてしまいそうな熱気の中で、アズライトは折り重なる仲間達の残骸から身を起こした。宙識を搭載した兜が周囲と自身の損壊状況と、敵の規模を素早く知らせてくれる。


 ”損壊軽微。残存兵力―――2。”


 アズライトとL411を除いた味方は全滅。

 アズライトの展開した防壁が竜の攻撃に耐え切れず消失したせいだった。


 ”敵性体α、未だ健在。”


 赤い闇の向こうで山のような巨躯が残骸達を睥睨へいげいしていた。苔や草、 つたなどで身体を覆われた竜は、まるで川面をたゆたう水草のようにしなやかだった。全身に絡みついたつたが熱風に煽られて馬のたてがみのようになびき、炙られた身体は香木を焚きつけたような香りを放っている。植物で作られた衣の下には、竜らしい暗緑色の堅い鱗が見え隠れしていた。頭には竜の象徴である六対の巨大な角。そこに刻まれた幾何学模様が、赤い燐光を発している。


 かの竜こそ、竜の民ホルフィス達が【芽吹くものホルシード】と呼びし


 汚濁おだくとは無縁の神のごとき威容。滅びの最中さなかでも決して失われることのない神性が宿っていた。見る者を自然にひれ伏させるほどのを放つこの竜こそ、最期に残された純血の竜であり、アズライトが最後に目にしたのすがた。その竜から、澄んだ水が流れていた。岩肌を清水が伝うように、苔むした鱗から流れ出る透明な水が、竜の足元に巨大な水溜まりを作っている。その水こそ、竜の命であり、血であった。


『……交戦直後に高周波兵器ハーピィを破壊されたのが不味かったな。無事だったのは僕らだけだ』


 残骸の山から、むくりと、L411が起き上がった。L411の恰好かっこうは、酷い有様だった。装備していた外部兵装の大半を失い、黒い戦闘服は擦り切れていた。両手足に拘束具のように刻まれた紋様が壊れたように明滅している。ひしゃげた兜を放り捨てると、主力兵器にしては随分と優しげな容貌が現れた。


『言い残すことがあれば聞こうか』


『余計な話をしている暇はありません、L411』


『本物の竜とゆっくり話の出来る最初での貴重な機会なのに?』


『傷口が塞がりかけています』


『でも、竜にはもう戦える力は殆ど残っていない……だろう?』


 宙識が表わす竜の生体反応は、L411の言った通りだった。脈拍も心拍も弱い。死期が近い事を示していた。


『幸い残ったのは僕らだけだ。迎えが来るまで存分に話すといい。懇願か、哀願か、命乞いか。それとも、怒りか憎しみの言葉か……君はどんな言葉を遺す?』


 不意に、竜が巨大な口を開いた。あらゆるものが燃え、混じり合う臭いの中で清涼な樹木の香りが漂う。

 竜がいた。讃美歌のような荘厳な歌声で。

 聞くものを魅了するそれは、人には発音不能な竜の言語。

 哀しみに満ちた歌声を、二人の聴覚が人類式の言語に変換しはじめる。


 ”みな、死んだ――――。”


 哀しみに満ちた感情の波が、聴覚を通して伝わる。

 L411は惜しむような表情で最後の竜を見上げていた。


 ”招いた我々が間違っていた。殺しておくべきだった。住処を失くしたを、哀れに思うべきではなかった。世界ナ・バードで生き抜く術を教えるべきでは無かった。星空の迷い子らに、我らの英知を授けるべきではなかった。慈悲を向けるべき相手を、我々は誤った……。”





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