禁忌の血筋

 あれから幾日も経った。盗まれた遺体の行方は知れず、いまも西守が血眼で探している。城内は暇を失くした大臣や高官達がカダーシュそっちのけで慌ただしく軍備を進めていた。もはや彼らの頭の中から、皇位継承問題などとうに忘れ去られているに違いない。毎日引っ切り無しにやって来たご機嫌伺いの大臣や貴族達も、ぱったりとカダーシュの前から消えてしまった。


 朝から暇を持て余していたカダーシュは、城の東側の回廊を歩いていた。柱の影が石の床に落ちて規則的な紋様を描いている。人通りが無いせいで、自身の足音だけが大きく聞こえる。かつ、かつ、かつ。靴音の中に鳥のさえずりが混じる。回廊を大きく左に曲がると、カダーシュは足を止めた。


(ここは、義兄上の……)


 回廊の向こうに、見覚えのある扉があった。幾何学模様アラベスクの彫刻された木製の大扉。把手の部分に施された車輪を抱えた翼の意匠は、第二皇子ルシュディアークのもの。カダーシュは通路に誰もいない事を確認すると、扉をゆっくり押し開いた。


 冷たい部屋があった。ルシュディアークの愛用していた座卓や、調度類を置いていた棚も、衣装棚もない。寝台だけがぽつんと取り残されているだけの部屋。中央に一人立って、カダーシュは深く息を吸った。埃を吸って咳き込んだ。微かに残る香りに懐かしさがこみ上げる。暖かで、乾いた砂の匂い。はっきりと香るほど濃くはなく、むしろ薄いその香りに、涙があふれた。


(僕なんかが生きて、義兄上が亡くなられてしまった。逆だったらよかったのに)


 喪失が、胸に痛かった。ルシュディアークの残り香は、認めたくない死を否応にも認めさせようとしてくる。認めたくない一方で、認めなければならないと感じている自分がいる。それがたまらなく苦しくて、悲しかった。


(いっそ、僕も死んでしまったら良かった)


 いや―――――駄目だなと、カダーシュは目元を拭った。


(死んだら義兄上との思い出まで消えてしまう)


 鼻をすすると、カダーシュは寝台の下へしゃがみ込んだ。

 ただ泣きに来たわけではないし、ここで死にに来たわけでもない。周囲の誰もがカダーシュから目を逸らしたでしかできないことがあった。


 カダーシュは部屋の中に誰もいないのを確認すると、寝台の下に敷いてある藍色の絨毯じゅうたんをめくった。白木の床があった。継ぎ接ぎされた床の隙間に目を凝らし、一カ所だけ不自然に盛り上がった場所をみつけると、そこへ短剣の先を突き刺した。木の軋む不快な音と一緒に、床板がゆっくり通しあがってくる。指を引っかけられるまでになると、短剣を放って床板をいだ。き出しになった地面に、四角い穴がぽっかりと口を開いていた。その中に片手を突っ込み、中のものを引っ張り出す。


 銀製の小箱があった。カダーシュはもう一度部屋の中を見渡してから箱の鍵穴に鍵を差し込んだ。鍵の開く小さな音が異様に大きく聞こえて、どきりとした。心臓が飛び出しそうなくらい早鐘を打っている。何度か深呼吸を繰り返し、落ち着いてから箱を開いた。中には、小さく折り畳まれた紙が数枚入っていた。それぞれに名前と月日と、誰がどういう行動をしていたかが書かれている。


(これは……僕の派閥にいる人達の名前?)


 カダーシュが皇位継承問題に名乗りを上げた瞬間、すり寄るように集まってきた人物の名が連ねられていた。読み進めてゆくうちに、名前も性別も年齢も違っているけれど、一つだけ共通点がある事に気が付いた。


(全員、税を定める組織にいた者達だ。マルズィエフの名前もあるとなると、これは貿易について書かれた文書か)


 アル・カマル皇国では、他国との貿易を行う際、特定の品物に税を課すことがある。塩、砂糖、絹織物に金や銀の宝飾に対するものがそうで、これらは国の財産でもあるため、過度な流出を防ぐ目的が含まれている。マルズィエフはこの制度を巧く利用して富を築いた。いま、カダーシュが読んでいる文書には、それについての事柄が詳細に書かれていた。


「あれ、なんでイブティサームの名前もあるんだ……?」


 そこにはマルズィエフの行った貿易にイブティサームが関わっていたことが書かれていた。


(イブティサームがマルズィエフの貿易にかかる税を減らし、減らした分だけの金をマルズィエフに渡した。金を受け取ったマルズィエフは、イブティサームにわれて発掘した古代王国の遺物をエル・ヴィエーラ聖王国の遺跡遺産保護協会にしていた!?)


 おもわず取り落とした紙の束の中に、税金が誤魔化されていた証拠と、遺跡を発掘していた学者から出土品が何者かに盗まれているという手紙が入っていた。そして、最後の一枚に目を通したカダーシュは、息を止めた。


 イダーフが、アル・リド王国側と手紙のやり取りを行っていたという記録が残されていた。


(ひょっとして、イブティサームとイダーフの義兄上の対立は、ここから来ていたのか?)


 義兄と義姉の対立といえば、皇位継承問題だ。初めは、イブティサームと、イダーフが対立していた。ここに、貴族や高官、大臣たちが加担し、城内が二分され、やがてイブティサームは、ルシュディアークを


 ルシュディアークといえば、鉄女神マルドゥークだ。

 彼は鉄女神マルドゥークを受けている。


(確か、ルークの義兄上は神殿で儀式を行われたさい、鉄女神マルドゥークと対面を果たしたとか言っていたっけ)


 曰く、鉄女神マルドゥークの神殿には、赤い光をまとった鳥の精霊が出るという。


「その鳥はな、神の使いなんだそうだ。鉄女神マルドゥークの姿を見る資格のある者だけが見える鳥で、それの後ろを追いかけていくと、鉄女神マルドゥークとお会いすることが出来るらしい。俺は儀式の最中に、それを見た事がある」


 ルシュディアークは内緒だぞと笑った。


「神の御姿は、見たのですか」


「いいや、後日追いかけてみたが、神の声しか聞こえなかったよ」


「どんなお声だったのですか。凛々しくあらせられたのですか? それとも、可愛らしい?」


 まくし立てるように訊ねるカダーシュに、ルシュディアークは気圧され、苦笑した。


「あんまり可愛くない声だった。暖かみの欠片も無い冷たい声っていうのかな。神だから、きっと人間なんかには興味が無いんだろう。そういう気持ちにさせる声だった。あ、これも内緒だぞ」


「凄いことなのに……」


「母上がな、父上に知らせないほうが良いと言っていたんだ。俺や兄上や、母上の血筋は少し、他と違うのはカダーシュも知っているだろう?」


「たしか、鉄女神マルドゥークを起こす力がある、とか」


「うん、母上の先祖は、大昔鉄女神マルドゥークを作ったのだそうだ。けど、当時の王様はそれを使って大きな罪を犯してしまった。ほら、お前も知っているだろう。鉄女神マルドゥークの災禍だ。それに手を貸したのが母上の先祖なんだそうだ。そのおかげで戦争は終わった。でも、文明は崩壊して、数百年にも及ぶ混迷の時代を招いた。その様を見ていた俺達の先祖は、二度とこういう事を繰り返さないよう、王と自分に三つの決まりごとを設けたという」


 一つ、二度と互いに交わらぬこと。

 一つ、女神の眠りを妨げることがなきよう、役割を全うすること。

 一つ、もし女神が起きたのならば、早急にこれを封じ、あるいは破壊すること。


「互いに交わらぬようにというのは、血の中に封印の呪いを施したからだそうだ。交わった時に女神が起きてしまうからこれを分けさせたらしい。父上の先祖と母上の先祖は遠い地に移り住み、互いに交わらぬように暮らした。そうすれば、望まぬ限り子孫同士が交わる事なんかないだろう。封印も解かれずに済む。でも……」


「でも?」


「封印が解かれてしまった。というか、父上が破ってしまったんだ。元々父上の家系は、鉄女神マルドゥークが起こされぬよう見張る役割を持っていた。いわば、鉄女神マルドゥークの守護者だな。母上の血筋は、神を目覚めさせる血を外に出さないという役割を持っていた。でも、それが交わってしまって俺とイダーフが生まれてしまったんだ」


 ルシュディアークは困ったように笑った。


「父上が禁忌を忘れるほどに母上のことを愛してしまったんだ。カダーシュ、人はな感情の生き物なんだそうだ。どうしようもなく感情を突き動かされる相手が出来ると、一心に求めてしまうらしい。守らなくちゃいけない決まり事なんか頭から抜けてしまう。いいや、抜け落ちるというより、否定してしまうらしいんだ。そんなものはない。いいや、自分達ならたとえそれが禁忌でも乗り越えられると錯覚してしまう。そうなってしまうのは、人が傲慢で強欲でどうしようもない愚かだからだと、母上がいっていた。ああ、すまん。お前には嫌な話だったな」


 青褪めたまま震えるカダーシュに毛布を掛け、安心させるように乱雑に頭を撫でた。


「此度の儀式の折にな、母上が、を犯したゆえ、鉄女神マルドゥークに俺と兄上の存在を認めさせて、互いに意志疎通ができるようにしなさいと仰られた。話が通じ合えば、鉄女神マルドゥークも分かってくれるだろう。鉄女神マルドゥークに何かあっても、俺が女神に話をつければ、は起きないんだ」


 その事を思い出したカダーシュは、頭を叩かれたような衝撃を感じた。

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