死体泥棒と銀の箱
もし、
(イブティサームがエル・ヴィエーラ聖王国の使者と関わりを持ち、アル・カマル皇国が出土したものをエル・ヴィエーラ聖王国に横流ししていたのも納得がゆく。そして
しかし、イブティサームは亡くなり、イブティサームが
(なのに、胸騒ぎがする)
ふと、カダーシュは誰かに見られているような気配を感じた。
(……気のせいか?)
急いで箱の中身をしまうと、それを大事そうに抱え、早足で部屋を出た。相変わらず誰もいない回廊を一人歩く。あんなものを見てしまったせいか、心臓がどくどくと
早く部屋に戻りたいカダーシュの耳に、別の足音が聞こえた。誰だろう。もしかしてルシュディアークの部屋に入ったのを見られたかもしれない。振り返ったカダーシュの目に映ったのは、柱の影に急いで身を隠した何者かの影。それを見たカダーシュは箱を抱え直すと、一気に走り出した。その後ろを、足音が追いかける。後ろを振り返る余裕はなかった。箱を守らなければと言う一心で走り続けた。足音がだんだんと大きくなってゆく。何者かの息遣いが、自分の呼吸の合間に聞こえる。気配が、すぐ後ろに、
(追いつかれる……っ!)
刹那、肩を掴まれた。固く、太い腕だった。引きずられるように転んだ瞬間、それの顔を見た。そして、それがカダーシュの手から離れた箱を手に取った。
「まてっ!」
箱を持ち去る男の背中へ叫ぶ。打ち付けた体の痛みよりも、箱を持ち去られることの方が痛かった。痛みを堪えながらカダーシュはその後姿へ追いすがる。けれども走っても、走っても追いつけない。だから、叫ぶしかなかった。それの名を。
「止まれ、ダルウィーシュ!」
後ろ姿は止まらない。長い回廊の向こう側から、近衛兵が二人歩いてきた。それへ、カダーシュは叫んだ。
「それを捕まえろ!」
歩いてきた近衛兵はカダーシュをみると、視線を逸らした。その真横をダルウィーシュが通り過ぎる。カダーシュは歯噛みした。一瞬合った近衛兵の白い眼差しが忘れられなかった。どす黒いものが胸の内から込みあがってきて、腰にぶら下げていた短剣の柄に手を伸ばした。固く、冷たいそれをしっかりと握り、
(あの背中が悪いんだ。あの背中のせいで、義兄上も、僕も……!)
曲がり角に差し掛かった時、不意にダルウィーシュの前に白い影が躍り出た。まろびいでるように出たそれは、悲鳴ともつかぬ声を上げてダルウィーシュとともに床に転がった。いまだ。そう確信したカダーシュは、床に転がった箱と中身を無視してダルウィーシュに飛びかかった。手にした銀色を振りかぶり、
「やめてください!」
視線の先に、彼女がいた。
「もう、やめてください。これ以上、殿下を貶めないで……!」
叫んだのは、白い法衣の神官。
「―――――――――――はっ、ははは」
誰かの笑い声が聞こえた。誰だ。僕を笑うのは。彼女を睨んだ。シーリーンは泣いていた。では、こいつか。刃を突きつけられたダルウィーシュが、青ざめた顔で自分を見上げている。笑っていない。とすると僕か。頬に生ぬるい水が伝う感覚がある。それだけだ。悲しくはなかった。ただ、おかしくもないのに笑いが込み上げてくる。
「ははは、ははははははは」
「カダーシュ様」
それが言葉を発した途端、発作のように沸き起こっていた笑いが嘘のように引いていった。
「……
ダルウィーシュに押さえ込まれた剣の切っ先が震えた。
「証言が矛盾していることを誤魔化し、迷信を作り上げて遺体まで消すつもりだったんだ。相手が僕だから、証拠を簡単に隠せると思ったんだろう!」
「……違います」
「違わない!」
「殿下、私は」
「これ以上言い訳を重ねるのか!」
冷たい刃を押し付ける。ダルウィーシュは胸に向けられた切っ先を震えながら押し戻す。刹那で終わるはずの
「どれだけ僕と義兄上を
自分がどれだけ
「臣下の皮をかぶった愚者は死ぬべきだ!」
殺しても構わない。
いいや、殺そう。
殺すんだ。
こいつだけは許せない。
たとえ自分が罪で裁かれようとも後悔はしない。
「義兄上の代わりに、僕がそなたを
「お願いです、もうおやめください!」
シーリーンが叫んだ。
「ダルウィーシュ様、ごめんなさい。でも、真実を嘘で誤魔化すなんてやっぱり出来ません。いえ、しちゃいけないんです。嘘を嘘で塗り固めたって誰も喜ばない。現に殿下は哀しまれている。なら、どれだけ哀しい真実であっても、本当の事を話さなくちゃならない。今がその時なのではありませんか!」
青褪めた表情でカダーシュを見つめ、
「殿下の御遺体を隠したのは、私とダルウィーシュなのです」
一瞬、カダーシュはその言葉を飲み込めなかった。ダルウィーシュとシーリーンが共謀したとはどういう事か。
「ついてきてください。きちんとお話をします。お話ししますから、その剣を仕舞ってください」
西の塔の地下に招かれたカダーシュは、充満する匂いに鼻を覆った。何かが腐ったような匂いがあった。程なくしてたどり着いた一室をダルウィーシュが指差した。薄暗い石室の中に、何かが横たわっていた。黒々とした長くて、少し厚みのある布にくるまれた何か。暗闇の中に目を凝らし、やがて、それがなんなのか理解した。
(ここに、おられたのですね)
カダーシュはそっと、それに触れた。むっと、腐敗の匂いがする。カダーシュは顔をしかめることなく手を伸ばした。記憶にあるよりも幾分か大きくなったその身体に触れる。外側に巻かれていた蘇りを防ぐ呪いが描かれた包帯は何かの液で濡れていた。その遺体の手に触れ、それがルシュディアークのものだと確かめる。形は少し変わっていたが、葬儀の日に見た手があった。傷一つない、どす黒い綺麗な手が。顔を覆っている木製の面に目をやった。冥府の神であり、大地の母神である
「どうかそれ以上は。心に差し障りましょう」
それでも、
(一度でいい。もう一度、義兄上の顔を見たい)
心の内にわだかまる疑問を晴らしたくて、ルシュディアークの面を手に取った。その手を、ダルウィーシュが止めた。
「どうか、それ以上はおやめください」
「触れるな」
ダルウィーシュの手を、ぴしゃりと払いのけ、仮面に手をかける。
(こんな場所に待たせてごめんなさい、義兄上。さあ、帰りましょう。こんな仮面なんか取り外して。もう一度、僕に顔を見せてください)
僕に、お別れを言わせてください。
僕に。
僕に?
無理やり剥がした死者の面。剥かれた素顔はカダーシュの知らない者の顔をしていた。腐敗してぶくぶくに膨れた浅黒い顔。その両目にあったのは濁った赤い瞳ではなく、黒の瞳。
「これは、誰だ?」
「……ファドルという、流民の子供です」
がば。と、頭を床にこすりつけたダルウィーシュの口から、
「私が、彼を殺しました」
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