千里眼

 一方、ウィゼルはアリーのテントを辞してからというもの、アルルから目を離せなくなってしまっていた。というのも、アルルが駱駝らくだにちょっかいをかけて追いかけるのだ。


駱駝らくだがそんなに珍しいかなぁ」


 それともお腹が空いたのか。アルルは相変わらずふごふごと鼻息荒くせわしない。通常、竜の空腹は仕草に現れる。鼻先を頻繁に地面にこすりつけ、低い声で唸るように鳴く。地面の匂いを嗅ぐのは、これから狩りを行うという予備動作。唸るように鳴くのは、集団で狩りを行う竜種のみにみられる意思疎通行為だ。

空腹であれば、餌だ。野鳥や小動物の肉とカヤックの塊茎かいけいを混ぜ合わせた、ガラという干した肉団子を与え、あとからたっぷりの水をやる。足りない分は鳥などの獲物をウィゼルが捕らえ、アルルへやる。

竜は一度食べれば五日は飲まず食わずで活動し続けられる動物でもあるから、連れて歩くのは容易だ。しかし、空腹になると竜は一変する。竜の民ホルフィスですら近寄りたくなくなるほど暴れまわるし、際限なく何かに噛みつき、腹を満たそうとする。食べ物は言うに及ばず、布や木の枝すらも食べようとするのだから、その悪食あくじきは相当なもの。


 ウィゼルの見立てでは、アルルに空腹の兆候はなかった。

 移動し続けたせいで疲れているのか、はたまた慣れない環境に興奮しているのかとも思ったが、そのどれにも当てはまらないように思えた。頭を傾げるばかりのウィゼルは、原因の分からないアルルの行動を機嫌と結び付けた。機嫌がよい時も、同じようにはしゃぎまわるからだ。


「随分ご機嫌だねぇ、あんたの相棒は」


 困り果てたウィゼルに声をかけたのは、先刻までラダを振る舞ってくれたアリーだった。男物の服の上から更にぶかぶかの外套を羽織り、顔をすっぽりと覆面ニカブで覆っているものだから、ウィゼルは一瞬誰だかわからなかった。そのアリーの尻の下で、馬のように大きな山羊が不満そうに、べーと鳴いた。


「さっきは悪かったね、お連れさんが気を悪くしてなきゃいいけど」


 先刻、天幕内で交わされた会話のことだった。


「繊細な人じゃないから大丈夫よ」


 一瞬、あっという表情を浮かべ、ウィゼルは小声で多分と付け足した。

あれからというもの、ルークとイスマイーラは真剣に何事かを相談し合っていた。詳しいわけは知らない。他を寄せ付けないほど真剣に交わされている会話に割って入る勇気は無かったし、首を突っ込んだところで「ウィゼルには関係ない」と言われるのが読めている。


(なのに。どうしてあの子は二人の間に入っていっちゃうんだろう)


 ウィゼルは横目でアズライトの後ろ姿を睨んだ。時折、明るげなアズライトの声が耳に入った。ルークとイスマイーラ、そしてアズライトの正体を知っているからこそ、ウィゼルは微かな孤独を感じていた。彼ら三人はアル・カマル皇国という一つの共通項で繋がっている。それに対してウィゼルには何もない。


(ここまで導いたのは私なのに)


 孤独感と嫉妬から逃れるようにウィゼルは彼らから目を逸らし、気を持ち直すように明るい声でアリーへ訊ねた。


「ところで、お出かけ?」


「そういうあんたもお出かけかい?」


 手綱を握ってる。出かける準備万端じゃないかと、アリーが言う。

 ウィゼルは困ったように首を振った。


「さっきからアルルがはしゃいじゃって困ってるの。ご飯食べさせたんだけど」


「おや、食が合わないのかい?」


「それはないわ。ずっと同じようなご飯だもの」


 ほら。と、ガラの入った小袋を示した。ちょっと良いかいと、アリーがそれを手にし、中を改めて鼻をつまんだ。


「鶏肉と野鼠の肉と、カヤックの塊茎を加えて肉団子にしたの」


「竜の餌にしては量が少ないんだね」


「ううん、これだけじゃなくて、他に生の肉と、草もちょっとだけ与えてるわ。いつも、ユッカを食べさせてるの」


 肉食の竜でも、少量の草を食べる。普段なら、竜の里に生えているような柔らかい草を食べるのだが、生憎アル・カマル皇国にはそんなものは無い。環境が異なるせいだ。ウィゼルは代用になる草を探し、アルルが興味を持った草を与えた。それがユッカという、ソテツのような草の葉だった。


「うんちには問題はないかい?」


 糞尿を看るのは、動物の健康状態を確認する上で重要な意味合いを含んでいた。食べた内容物の中に異物が混じっていないか。胃や腸の調子や病気、寄生虫の有無などがあるか。人語を解すことの出来ない動物にとっては死活問題になるから、糞尿の確認は飼い主の務めでもある。それも変わりは無いと頷くウィゼルに、アリーは納得したように言い切った。


「なら、竜が落ち着かないのはユッカのせいだね」


 決めつけと言ってもいいくらいの小気味よい調子で言い切ったものだ。


「ユッカってのは精のつく草でね、あたしらも駱駝らくだの出産時期になると、雌の駱駝らくだに食わせるのさ。そうすると、お産の時に踏ん張ってくれるからね。けど、食べさせる量や時期を間違えてしまうと大変なことになるんだよ」


「大変って?」


「ユッカはね、興奮作用があるんだ。落ち着きがないのはきっと、そのせいだよ」


 竜に当てはまるかどうかは分からないけど、ユッカを食べ過ぎた駱駝らくだはそうなるんだと、アリーは付け加えるように言った。


「散歩でもしたら、少しは大人しくなるかもしれないねぇ」


「犬じゃないわよ、竜は」


 半眼で睨まれたアリーが朗らかな笑い声をあげながら、良かったらついておいでと手招きした。


 アリーに連れてこられたそこは、人気のない小さなオアシスだった。オアシスに水は無く、粘性の黒々とした泥が陽の下に晒されている。アルルがひび割れた大地を珍しげに前足でほじくり返しているのを眺めながら、アリーは明るい声でウィゼルへ訊ねた。


「ちょっとは竜の気もまぎれたかねぇ?」


 気が紛れたというよりは、アルルの興味が土の方へ移ったようにウィゼルには思えていた。駱駝らくだにちょっかいを出すよりはいいかと口元を綻ばせたさまを、アリーは肯定と受け取ったのだろう。嬉しげに目を細めて、連れてきた甲斐があったよと微笑んだ。


「そういやあんた、故郷はエル・ヴィエーラなんだっけ?」


「そう、山の中なの」


 ここに来るまでの間、ウィゼルはアリーへ幾つもの話をしていた。

 ウィゼルがエル・ヴィエーラ聖王国の出身であること。竜の民ホルフィスであること。荷運びチャスキで生計を立てていること。ルークとイスマイーラ、アズライトの三人についても明かしている。

ただし出会ったいきさつと、正体についてはもっともらしい嘘を混ぜた。

そのお陰で四人に対するアリーの認識は、慣れない砂漠で荷運びチャスキをしているウィゼルと、その護衛兼案内人ということになっている。アズライトについては、行き倒れた挙句、野盗の類に身包みをはがされた哀れな旅人という事にしていた。発想が酷いことはウィゼル自身自覚している。しかし、砂漠の真ん中で荷物も持たずにいるアズライトの姿は、誰が見ても異様でしかないわけで。必死に無難な言い訳を考えた結果、考えついたのが先程の話というわけだ。こんなことをあの三人に知られたらどう思うだろうか。イスマイーラやアズライトは何も言わないかもしれないけれど、ルークはきっと文句を言うに違いない。


「……驚いたろ」


 アリーが、彼方を見つめながら言った。何処か茫洋ぼうようとした声の響きに、ウィゼルは虚しさのようなものを感じていた。


「最初はね。でも、砂漠の国だってことは知ってたから、仰天する程でもなかったかな」


 いいや、そういう意味じゃないと、アリーが真剣な表情で首を振った。


「戦争さ。こんなことが起こらなきゃあ、南カムールまでの近道を教えてやれたんだけどね」


「……やっぱり、酷い状況なの?」


 暑そうに覆面を取り払ったアリーが、やれやれと言いたそうな表情で言った。


「死体で埋まってるよ、国境は。南カムールの連中と駱駝らくだの死骸、それにアル・リド王国の奴らや、馬も混じってる。それから、羽虫の大軍も酷いね。まるで虫の闇みたいになってるよ。後退したカムールの連中は、揉めて大変だ。南カムールの男連中が泡食ってるんだよ、アクタル様の姿が見えないから。代わりに北カムールのハリルが取りなしてるみたいだけど、あの様子じゃあ難しいかね……どっちにしろ、あんな場所で生活できる奴なんていやしないよ。仕事なんかほっぽって、あんたはエル・ヴィエーラに帰りな」


 惨状をあまりにも詳しく口にするアリーに、ウィゼルは唖然とした。


「まるで、見て来たような言い方ね」


「視えるのさ―――あたしの目はちょいと特別でね」


 アリーが、悪戯小僧のように、にやりとした。


「視当てをしてやろうか?」


 ウィゼルは、じろっとアリーの顔を見つめた。


「人の好みを言い当てる謎かけ遊び?」


 視当ては遊びだ。ウィゼルも子供の頃に遊んだことがあった。

主に女の子たちの間で行われる遊戯で、謎かけをした人の好きなものを言い当てるという言葉遊びだ。遊び方は簡単。まず輪になって、かけ声とともに手を叩く。一番遅く手を叩いた人が謎かけをする。自分の好きな人や、好物など、みんなが分かりそうなものであれば何でもよかった。謎かけされる子達は、謎かけする人へ二つ質問できる。その後、分かった子から答えを言う。答えを言うのは一度きり。全員から言い当てられなければ勝ち。言い当てられたら負け。負けたら罰として、言い当てた人のお願いを聞くというものだ。

 ウィゼルも幼馴染と何度か遊んだことがあったけれど、あまりにも単純すぎてすぐに遊ばなくなった。常日頃から遊んでいる相手だから、大抵のことは普段の行いを見ていれば分かってしまうし、なにより幼馴染は思ったことが顔に出やすい子だった。直感や単純な洞察力さえあれば、容易に解き明かせる謎かけしか出されないとくれば。ウィゼルはすぐに飽きた。

それよりも、追いかけっこやアルルと遊んでる方が楽しかった。


「そういう遊びじゃなくてね。例えるなら、占いや呪術に近いかねぇ。相手の目を見るとわかるのさ。あたしの目はね、相手の過去や、未来が視えるんだ」


 ウィゼルが、胡散臭いと鼻を鳴らした。


「嘘だと思うなら、試してみるかい?」


「じゃあ当ててみてよ。たとえばそうね、私の渾名あだなとか」


「声は無理だよ、あたしが視られるのは目から入ってきた光景だけなんだからさ」


 凄そうに聞こえるけど、融通が効かないんだよと、アリーが苦笑した。


「じゃあ、私が子供の頃によく遊んでいた場所でいいわ。当ててみせて」


「いいよ、やってやろうじゃないか。睨めっこするけど、笑うんじゃないよ?」


 半信半疑のウィゼルの顔を、アリーが覗き込んだ。その瞬間、一瞬だけウィゼルは視界の端で、小さな気がした。

アリーの黒い瞳が、ウィゼルの瞳を覗き込む。真剣なアリーの表情に笑いだしそうになって、ウィゼルは慌てて頬を引き締めた。黒々とした穴のような瞳がウィゼルの目を捉えていた。黒みの中に微かな赤みを帯びている。もう少し赤みが強ければ、ルークのように目が赤いんだろうかと思いながら、ウィゼルは無表情でいる事に集中した。不意に、アリーが口を開いた。


「へぇ、竜の民ホルフィスの里って意外と大きいんだね。里っていうから、あたしはもう少し小さいもんかと思ってたけど……」


 アリーの瞳が揺れる。まるでウィゼルの瞳を通して、竜の民ホルフィスの里の景色を覗き見ているような目つきだった。そのしぐさに、ウィゼルは胡散臭さを感じながら適当に相槌あいづちを打つ。ふいに、アリーの顔が曇った。


「……変だね」


「何か視える?」


「……視えるには、視えるんだけどね」


 それっきり、黙ってしまった。ウィゼルの瞳の中を凝視し、視えるものの正体を懸命に探っているような仕草をする。まるで、病気の原因を探る医術士のような面構えで、じっとウィゼルの瞳を覗き込んでいるものだから、ウィゼルの方が不安になってきた。


「質問なら答えるわよ」


 本当に視えているのならと、ウィゼルは胸中で付け加えた。アリーは応えない。顔が僅かに緊張し、唇が震えていた。


「あんた、小さい頃に住処を変えたりしたことは無いかい?」


「あるわよ。それがどうかしたの?」


「いや……うん、大きな生き物が視えるんだよ。こんなのあたしは見たことないんだけどもね。エル・ヴィエーラには居るのかねぇ」


 ふいに、アリーが息を飲んだ。それはまるで演技というより、本当にウィゼルの中の何かを覗き見ていているようだった。そのアリーへ、ウィゼルもまた、表情を曇らせた。


(アリーが息を飲むほどの光景って、一体なんだろう)


 記憶にある竜の民ホルフィスの里は、そんなにも息を飲むほど凄いものだっただろうか。砂漠しか知らないアリーには、緑多い竜の民ホルフィスの里は驚くような光景かもしれないけれど。第一声で、と言われてしまったからには、アリーの目には普通ではないものが映っているに違いない。


「いや……いや、うん。子供の頃の記憶だしねぇ」


 に落ちないことへ、強引に納得するように頷いた。そのアリーの周囲で、赤い、見覚えのある光をウィゼルははっきりと見てしまった。そして同時に、黒く巨大な影が、二人の上に伸びていたのにも気づいてしまった。

低音の、警戒するような獣の唸り声。ウィゼルの身体は、とっさに動いていた。黒くなる視界と、両手が重い物を弾き飛ばした感覚。襲い掛かってくるような激痛が右肩にはしった。


「魔族だったの、ね」


「……あんた、」


「だい、じょう、ぶ」


 アルルに右肩を噛まれた。呼吸しているのも辛いほどの痛みが、全身に広がる。ウィゼルはアルルの頭に手をやった。ほのかに暖かい、硬い鱗の感触。そっと手を這わすと、びくりと震えた。その拍子に、ウィゼルの肩に牙が食い込む。痛みに耐え切れず、小さな悲鳴を漏らした。右肩から生暖かいものが広がってゆく感覚へ気持ち悪さを覚えながら、ウィゼルは後悔していた。


(アルルに落ち着きがなかったのは、機嫌がよかったからじゃない)


 


「アルル……」


 興奮したアルルの鼻息が頬にかかった。生臭さの中に、鉄臭さを感じた。関節のあたりを噛まれたのは、不幸中の幸いだった。首の近くを噛まれたら、死んでいたかもしれない。ウィゼルはアルルの頭を、左手でそっと撫で続けた。アルルが震えている。ほのかに暖かい首をさすると、弱々しく唸った。さするたびにアルルが震えた。叱られた子供のようにアルルが鳴いた。そのたびに、肩からどっと、血が溢れる。服が、じっとりと濡れてゆく気持ち悪さと、気の遠くなるような痛みの中で、ふっと、ルークの顔が浮かんだ。


「怒る、かな……」


 何も言わずに、勝手に出歩いてしまったことを。馬鹿じゃないのかというルークの声が、聞こえた気がした。

アルルが身じろぎした。強張ったあごから、力が抜けてゆくのを感じながら、ウィゼルはアルルの頭を撫で続けた。安心させるように、ゆっくりと、優しく。どれくらいそうしていただろう。アルルが鼻を、ぴすぴすと鳴らし、やがてあごから力を抜いた。ぶふーっと大きく息を吐いた後、ようやくアルルがウィゼルを放した。傷口を舐めようとするのをやんわりと制しながら、ウィゼルは放心状態のアリーへ振り返った。


「アリー、布、もって、ないかな……」


 硬直したままのアリーと目が合った。瞬間、アリーは弾かれるように覆面を取り去ると、それを裂き始めた。


「傷口に当てればいいんだろう!?」


「それから、」


「いいからあんた、喋るんじゃないよ!」


 アリーが顔を真っ青にしながら、ウィゼルの右肩に布をあてがう。あっという間に、どす黒い赤色が布と、アリーの手を染めた。あまりにも酷い形相のアリーを眺め、ウィゼルは薄く笑った。やがて、薄れゆく意識の中でウィゼルは思った。もう少し、ルークと一緒にいられるかもしれないと。





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