その瞳に映るものは

 時代の流れと、それを形作る力が大きすぎた。気が付けば決して抗えない急流にいつの間にか翻弄されて、自力で抗う力すらなく、支えてくれるものも無く、一人でも出来ると闇雲に信じ続けてしまった。


「錯覚していたんだ、俺には戦争を止めるだけの力があると」


 皇族だから。

 皇子であったから。

 他には無い力と血統があるからこそ、戦争を止められると

 

ふたを開けてみれば、このざまだ。あと少し開戦が遅ければ、なにかしらの手立てを講じる事が出来ただろうが―――いや、それでも駄目だな」


 アル・リド王国軍が国境付近にやってきた時点で同盟の話は既に終わっている。あれは返答であり、問いかけなのだ。二千年以上も昔の遺物を抱え込む旧態依然としたアル・カマル皇国と、過去の遺物への。


「敵が同じなだけに、悔しいな」


 軋るような声を、イスマイーラは酷く傷ついた子供のような表情で聞いていた。


「貴方は背負い込み過ぎる」


「……そうだろうか」


「常々思っていました。何故こんな時ですら自分自身の事よりも、国の方を気にするのかと」


「俺はこの国の皇子だからな」


「ええ、貴方は皇子です。しかし、ルークではなかった。今度はルークとして、生きてはいかがですか?」


 ルークは自然と苦笑いしていた。ウィゼルにも同じようなことを言われたのを思い出したからだった。


「逃げろとも聞こえるぞ、それは」


「逃げたらよろしい」


 あまりにもらしくない冗談を笑おうとして、ルークは上手く笑えないことに気付いた。口元がゆがみ、ひりついたような音が喉から洩れる。何度か笑みを作ろうとして、やがて笑うのをあきらめた。


「……俺を逃したらお前も国から追われる」


「すでに手配を受けています。ターリクの配下を殺し、マルズィエフの屋敷で何人もの同胞を葬り、あげく魔族である貴方と共にいるのですから」


 事実関係はどうであれ、用向きを知らない他者から見れば自分も犯罪者に変わりないのだとイスマイーラは顔色も変えずに言った。


「貴方を殺してイダーフ様へ報告を上げたら、私は魔族の逃亡ほう助と、敵国と密約をかわそうとした売国奴として、全ての責任をなすりつけられるでしょう。罪に問われなくても、今までのように兵士として国に仕えることは難しくなる。たとえイダーフ様が私を庇って下さったとしても、難しいでしょう。どちらにせよ、私があの城へ帰ることでイダーフ様の足を引っ張ることになる。だとしたら、何が一番手っ取り早いのか。城におられた貴方ならばお分かりのはずだ」


 結局、私と貴方の行き着く先は同じなのだと、諧謔味かいぎゃくみのある笑みを浮かべた。


「今ならうっかり出来るかもしれません」


「兵士らしからぬ言葉がお前の口から出るとは思わなかったよ」


 こみ上げてくる様々な想いを内側へ再び押し込め、ルークはなんとか冗談の形にまとめて言葉を吐き出した。感情が邪魔だった。溢れそうになる目元をこすると、指先が僅かに塗れていた。


「明日はきっと、槍が降るな」


 誤魔化すように冗談を言いながら、ルークは逃げた後の自分の生活について考えていた。


(もし、国を捨ててこのまま逃げたら、自分はどう生きてゆくのだろう)


 国を忘れてルークという一人の人間として生きてゆくのだろうか。

例えば、アサドのような流浪の民として。ウィゼルのように荷運びチャスキとして新たな人生を始めるという選択肢もあるのかもしれない。やがて各地を放浪するなかで大人になり、小さな幸せでも見つけるのだろうか。


(いいや、きっと後悔する日がくるに違いない)


 不意に、アサドやカミラ、そしてここに来るまでの中で知り合った多くの者の顔を思い出した。皆それぞれの立場や身分で生活し、それぞれの意志で生きている。どんなに貧しくても日々を懸命に生きようとする彼らの姿を、俺は知っている。そんな彼らへ背を向けて、俺だけ幸せになるのは――――。


「出来ない」


 目元から零れた滴を誤魔化すように拭うと、気を取り直すように大きく息を吐いた。


「お前と一緒だ、イスマイーラ。俺もこの国の皇子としての誇りがある。お前は逃げたらいいと言ってくれた。でも、俺には逃げるなんて出来そうにない。いや、逃げたくないんだ。お前にとっては実に身勝手な想いだと思う。けど、俺にとっては違うんだ。皇子という立場も、国を背負うことも……全てを放り投げてまで生きたいと思わない」


 今の自分が伝えられる精一杯の言葉を口にしながら、ふと、ルークは黒い本音の方を語っていることに気がついた。冥府まで持ってゆかねばなるまいと思っていた本音が、綺麗な言葉に変換されてゆくのを他人事のように眺めながら、ルークは自身への嫌悪を募らせた。


「俺はまだ、アル・カマル皇国の第二皇子ルシュディアークで居たいんだ」


「……ご自身が死ぬと分かっていても、ですか?」


 ルークは首肯する。取り消す気にはならなかった。


「皇子という立場も、役割も、全部含めて俺なんだ。今それを全て捨てたら俺はきっと、後悔で廃人になってしまう。俺には、その方が怖い。逃げて苦しみを背負うくらいなら、俺は最後までルシュディアークとして死にたい。だから―――逃げない代わりに、もう少し待って貰いたい」


 死ぬ前に会いたい奴がいるんだと、ルークは弱々しく笑った。


「その後でならこの首、いつでもくれてやる」


 微かに胸をしめつけてくる痛みの正体に、ルークは敢えて気付かないふりをした。悟ってしまえば押さえつけていた感情が堰を切って溢れ出してしまいそうで。


「待ってくれるか」


 何とも言いようのない表情を浮かべたイスマイーラが、やがて重々しく頷いた。


「―――待ちましょう。その時が来るまで」


 その二人を、静かな気配が見下ろしていた。硝子細工を思わせる玲瓏な美が、人ならざる金色の瞳を眠たげに細めている。


「泣いていたんですか?」


 抑揚のない声であった。感情というものを極限まで排斥し、発音のみに重点を置いたそれは、アズライトのものだった。


「泣いてない」


「目が赤いです」


からだ」


 無機質な問いかけと、感情の交わらない率直な返答。二人の応酬は非常に淡泊だった。先程交わしたイスマイーラとの会話よりも固い態度は、アズライトの出自が関係していた。


「二人とも難しい顔をしていましたから、てっきりイスマイーラに怒られているのかと思いました」


 よもや人形らしからぬ言葉が、彼女の口から吐き出されるとは。

微かな驚きと共に、ルークはその言動に目をみはる。ルークの知る人形は、アズライトのように話もしなければ動きもしない。愛玩用の置物や幼子の玩具というのが、一般的な人形というもの。しかし、アズライトは違った。彼女と関わることは、ルークの知る玩具の人形の既成概念を取り払う必要がある。だが、ルークはいつもそこでつまづいてしまう。既成概念を取り払う事を苦手としていたからだ。


「ウィゼルそっくりな事を言うな。まるで二人に増えたみたいで気味が悪い」


「彼女の言動を模倣していますから、似るのは当然です」


 ルークが眉根を寄せる。模倣―――反芻はんすうし、首を傾げた。


「意思疎通能力は、貴方がた三人の中ではウィゼルが秀でていると判断しました」


「俺やイスマイーラは意思疎通能力が低いとも聞こえるな?」


「ルークは偉そうです。イスマイーラは言葉が足りません。よって、ウィゼルが適当であると判断しました」


 イスマイーラが額に手を当てたまま俯いてしまった。どうやら痛いところを突かれたらしい。


「この時代の社会構造を把握するには意思疎通能力の習得は不可欠。習得に関しては、自身の身近にいる者であり、かつ秀でていると思われる対象を手本にしろと……確かルーク、貴方が言ったはずです」


「確かに言ったが……今度は人の気持ちも推し量って意思疎通を試みたらどうだ。更に円滑な関係を築けるかもしれないぞ―――ところで、お前はどうするつもりだ?」


「どうする、とは?」


「身の振り方だ。この旅はもうすぐ終わる」


 言ってしまってから、ルークはばつが悪そうに顔を歪めた。

アズライトが存在していた時代は、とうに過ぎてしまった。ここに遺されているのは過去の栄華とその残滓。アズライトにとっては身の振り方以前の問題だ。


「ああ、いや……」


 人情の機微に疎いのは俺もだなと、自分の愚かさへ溜息を吐いた。

アズライトは気を害した様子はない。むしろ、珍しいものでも見るかのように辺りを見回し、感慨深げにつぶやいた。


「何一つのこらなかったのは、本当だったようですね。想定の範囲内ではありますが、ここまで何もないとは思いませんでした」


「何やら、ような言い方だな?」


 後悔の中で、僅かに興味が湧いた。


「……ここに、街がありました」


 取り繕うようにアズライトが言う。その様子があまりにも人間らしい仕草だったものだから、ルークもイスマイーラもそれ以上を突っ込んで訊ねられなかった。


「今よりもずっと背の高い建物が沢山あって、あの地平線まで続いていました」


 白く細い指先が示した方角には、荒れ果てた地平線が広がっていた。そこには人家も無ければ、横切る動物の類も無い。疎らに生えた枯れ草と、ひたすらに乾いた大地が続いている。


「昔は金属や石の道が広がっていて、もっと緑がありました。丁度私達が立っているこの場所に広場があったんです。泉が湧き出て、それを花壇が囲っていました」


 アズライトが懐かしげに口元をほころばせる。

 

(こんな表情で話せる奴だったか)


 ルークはおろか、イスマイーラすらも唖然としたような表情でアズライトを見上げていた。


「思い出の場所だったのか」


「かも、しれません」


「そうか」


「ですが、未だに人類が遺伝子改変反応に苦しめられているという事実は想定の範囲外でした。アリーという女性、壊変性因子マナによる高濃度の汚染反応が出ています」


 その言葉を耳にした瞬間、ルークの表情が強張った。

 お前も気づいていたか――――と。




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