捨てる者あれば、拾う者あり

「……誰にも言わない?」


 顔色を伺うウィゼルへ、アサドは気を悪くするどころか、真剣に頷いた。


「言わねえよ。なんだったら竜の里の誓いでも立ててやろうか。なんつったっけ、ホルシードの宣誓せんせいだったか。光のある所に影を持ち込まず、なんたらかんたら……わりぃ、覚えてねえわ」


宣誓せんせい文句なんか覚えてなくていいわよ。第一、あんたホルシードの信徒じゃないじゃない」


 ふっと、笑う。アサドもつられて微笑んだ。


「で、お前さんが必死こいて守ろうとする坊主は、一体何者だ」


「……ルシュディアーク・アブドゥル・スレイマン=シャリーア・アル・カマルっていえば、分かる?」


「スレイマンとシャリーアの子であり、アル・カマル皇国のぼくであるアブドゥル氏族の大鳥ルシュディアーク……第二皇子じゃねえか」


 アサドは、ルークの名前の意味を噛みしめるように呟いた。それから羊肉のスープを一口飲んだ。それから黙ったままケバブにかぶりつく。ウィゼルも大皿に盛られたピタに、トマティナと豆に香辛料をたっぷりと効かせたソースをのっけて食べた。ぴりりとした辛さのなかに、トマティナの甘酸っぱさが混じる。それを食べ終わると、次は辛い羊肉のスープに口をつけた。一口飲んで、二口目によく煮込まれた肉を食べる。香辛料の効いた肉に大蒜にんにくの香りがする。臭みは無く、もたれるような脂っぽさもない。程よい味は、もっとお食べと勧めてくる。止まらなかった。身体が求めるままに口へ運ぶ。それをじっと見つめていたアサドが、ようやく口を開いた。


「あの兵士の前で坊主の名前を出さなかったのは正解だったな。今後も黙ってることをお勧めするぜ」


「……そんなわけにはいかないでしょう。そのご本人様のお名前が入った文を預かっているんだから。嘘をつきとおすのはちょっと難しいわ」


「その嘘でイダーフ様にお会いしようとしてた奴はどこの誰なんだかな」


 ぐーっと、喉が鳴った。空気と一緒にスープを飲み込んで咳き込んだ。苦笑しながら渡された手拭で、口元を拭う。


「本当のことを話したら自分の身がどうなるか分かってたくせによ」


「いいの。覚悟してたことだもの」


 残りのスープを食べ終わると、そっと、器を置いた。まっすぐとこちらを見据えてくるアサドは、歯にものが挟まったような顔つきをして、


「坊主も酷なことしやがる……」


 と、呟いた。


「自分のをお前さんに預けるってのはちょいとばかりやりすぎじゃねえのかな」


「どういう意味?」


「お前さんは坊主に、坊主の命か国か、どっちを取るかをんだよ。坊主は他人に選択を強制するような強引な奴じゃねえ。むしろ悩んで迷って立ち止まって、散々考えてから進む野郎だってことは付き合いの短い俺でも分かる。口ではカムールの奴らを取りまとめるって言っても、本心では迷ってたんだ。魔族に成り下がっちまった自分にはもう何もねえから逃げちまってもいいのか、それともカムールの連中の命を背負った方がいいのか。なあウィゼル、俺はどっちを選んだら良いんだろう、ってな」


「そんなの」


 分かってたわよ。言いたかった言葉が吐息に混ざる。


(でもね、アサド。貴方のいう事は少し違うわ。あいつはね、もう、のよ。最初から、迷ってなんかいなかったの)


 そう言いたかったけれど、喉が震えて上手く声が出せなかった。羊肉のスープが辛かったせいじゃない。これは、ここに来るまでずっと見ないふりをしていた気持ちのせい。耐えて震えるウィゼルの心に、アサドの言葉は容赦がない。


「お前さんの選択は間違ってねえと思う。坊主の意思を尊重し、この国の連中の想いも汲み取った。坊主も本望だろうさ」


「今更言われなくても、分かってるわよ。あいつの想いを叶えるって、あいつの命を犠牲にしなきゃならない事だって分かってた。分かってたからザハグリムに着くまでずっと悩んでたのよ!」


 そして、決めたんだ。ルークが命をにしてでも、この国がというのなら、私はそれを叶える。

こみあげてくる思いにふたをするように水をあおった。涙の味がした。しょうがねえっていう表情のアサドなんか見たくもなかった。いや、今は誰の顔も見たくない。見れない。見たらきっと、私が出てきてしまう。それだけはどうしても隠しておきたかった。


「……あんたの方はどうなのよ」


「ちょっと前にアル・リド王国から宣戦布告状をたずさえた使者が来た。イダーフ様はそいつに文を預けて走らせた。つまりこの国とアル・リド王国は正式に戦争状態になったってわけだ。んで、このてんてこ舞いよ。見ろよ食堂にゃあ旅装の連中ばっかりだろう。あいつらは皆、国を捨てて出ていこうとするやつらだ。そんな中で坊主の名を明かしたり、この国の第一皇子様のお名前を言うってのは賢い判断じゃねえのは分かるだろう」


 平和を享受し続けてきた民衆が思うのは、戦争を招いた為政者への怒りだ。その為政者との関係が明るみになれば、怒りはこっちにしてくる。


「お前さんはから手を引いたほうがいいように俺は思う。坊主だってで皇族が文を受け取る際のを黙ってお前さんに文を託したんだろうがな。どうだ、文は俺が渡しとくから、お前は」


「嫌よ。そんなことしたら、あいつが私に託してくれたはどうなるの!」


 顔が熱かった。視界が滲んでる。我慢できなかった。暴風のような感情が口を吐いて出た。


「あいつは国から全部奪われたけど、それでもこの国が好きなのよ。敵がすぐそばまで迫ってて怖いはずなのに、逃げたいはずなのに平気なふりして戦ってるの。自分の命なんかあいつ、ごみ同然としか考えてないのよ。残された人の気持なんか全然考えてないくせして、自分の全部でこの国を守ろうとしてるの。馬鹿なのよ。特大の馬鹿なの。そんな馬鹿の思いを汲んで、一番聞いて欲しい人に届けてやらなかったら、あたしは荷運びチャスキじゃない!」


 今なら解る。

 ルークの孤独と、必死な願いが。

 祈りと想いが。

 全部を込めてしたためた文に込められたが。

 どんなに大きなものなのか、いまなら理解できる。


「あいつの想いを、あたしは裏切れない!」


「じゃあ、どうする。坊主の名前はおおやけに出せねえ。しかも嘘を吐いてイダーフ様に会おうもんならお前さんが捕まる。そいつは坊主も考えてねえわけじゃねえ。多分。城門の兵士に文を託して、あとは手前が逃げろって腹積はらづもりだったろうが、それはお前さん自身が否定した」


「分かってるわよ。あいつの気遣いを私の我儘わがままが踏みにじってるってことはよーっくわかってる!」


 穏便なやり方を選んだら、それこそ手遅れになってしまう。

 そうなる前に私は。いいえ、私も―――――。


「私も命を懸ける。命を懸けてイダーフに軍を動かしてもらう」


 アサドが、今まで見たこともない表情を浮かべていた。やがて、直ぐに真顔に戻った。


「坊主が悲しむかもしれねえぞ」


「泣くようなら次は殴るわ」


「次はって、一回やっちまったような口ぶりだな」


「やったわよ。あんまりにも人の気持ちを考えてないから張り手をかましてやったわ」


 ぷっと、アサドが噴き出した。声もなく肩を震わせてひとしきり笑った後に、


「良いぜ、協力してやるよ」


 嘘みたいなことを言った。


「あんたに何が出来るのよ」


「出来るさ。お前さん、俺が元御使いスフグリムだってこと忘れちゃいねえか?」


「御同輩を殴って牢にぶち込まれた大馬鹿者だってことは知ってるわよ。でも、それとこれとは関係ないでしょ。アサドまで巻き込みたくないし」


「もう巻き込まれてるぜ。それにしてもお前さんは状況判断が出来てねえなあ。冷静になれや。門前払いを食らった荷運びチャスキがもう一度行ったってもう一回門前払いを食らうだけだぜ。だとするなら、だ」


 自信に満ちた目の輝きに、なんとなく嫌な予感がした。


「……何を考えてるの」


 アサドが嫌な笑みを浮かべた。


「なに、とっ捕まるようなヘマはしねえ。とっ捕まったとしても今の西守の長ならまぁ、俺が土下座でもすりゃ許してくれるだろうが」


 訳が分からなくて首をかしげた。


「……もしかして、知り合いなの?」


「おうとも。昔、俺が殴った相手ばかの息子だよ」


「あんたまさか、西守の長を殴ったの?」


「いいや。殴った相手の息子が、西守の長になってるのさ」


 しーはーと、小指の爪で歯に引っかかった食べ物をほじくりながらアサドは言う。


「親父と違って出来た息子なんだ。ちょっと変わりもんだけどな。親父を殴った俺に礼を言ったんだぜ、あいつ。馬鹿親父の愚行を改めてくれてどうもありがとうってな。んで、牢から俺を解放してくれたのもあいつだったってわけだ……ま、昔話なんざしてもしょうがねえやな。俺も西守には用事がある。食うもん食ったら今日は休んで、それから一緒に野郎のところへ行こうぜ」


 なっ。と笑って見せた。その笑顔を、ウィゼルはただただ茫然ぼうぜんと眺めていた。





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