第六章 青い鳥と鼠

青の迷鳥

 草がまだらに生えた荒れ野を、幾つもの騎影が駆け抜けている。一番足の速い栗毛の馬を駆るのはユベールだった。その後ろを数人の男達とイスマイーラの乗った馬がついて走った。


(私も、腹を据えてやらねばなるまい)


 イスマイーラを励ますように、協力者サクルいた。ハリル達に使われていたものの一羽だ。すでに指示に従うように慣れさせている。そのサクルを見上げ、また、黙々と馬を走らせた。


 サハル街道から南西にある荒野を走ること半日。砂岩渓谷の近くにある岩窟の前で、イスマイーラ達は馬を降りた。長年の風雨によって造り出された縞状の波模様が広がる岩窟には、大小の横穴があった。そこに馬を引きつれた男達が何人もいた。その中の一人がイスマイーラ達の姿を見つけると、速足で歩み寄ってきた。


「待っていたぞ、わが友よ!」


 砂埃で汚れきった戦装束の男が喜びの声を上げた。タウルだ。彼にしてはあまりにも白々しすぎる喜びようにイスマイーラは冷めた表情でそれを迎え入れた。タウルはひげだらけの顔で少しばかり喜び過ぎたかと笑った。そして背後にいたユベールの顔を見た途端、冴えない顔つきを浮かべた。


「良くないことがあったようだな?」


「最悪ですよ」


 ユベールは頭を掻き毟ると、吐き捨てた。


「こいつ、ルシュディアークを殺しました」


 束の間、タウルは言葉を失った。呆然とイスマイーラを見つめ、信じられないような顔つきで囁いた。


「本当なのか」


「手土産が欲しいと言うものですから」


「首はどうした。持ってこなかったのか」


生憎あいにく、邪魔が」


 タウルが、大きなため息を吐いた。


「手柄を主張できなくなるのは悔しいが仕方ない。だがカムールの騎兵共の鼻を明かしてやれただけでも良しとしよう」


 僅かばかり顔を歪めると、タウルはイスマイーラの腕に目をとめた。


「その怪我は」


「ルシュディアークと斬り合った時に」


「早速手当てをしよう。おい、お前は引き続き騎兵共を見張れ」


 何かを言いたげにしているユベールを煩げに追い払うと、タウルはイスマイーラへ繕うように微笑んだ。

促されるまま岩窟の傍を歩いていると、吹きさらしの野の上で休む人々の会話が嫌でも耳に入ってきた。南カムールの主要街道をアル・リド王国軍が占領していることや、サルマン王子が中央カムールにいること。占領した土地を巡ってカムールの遊牧民ベドウィンや、そこに定住している人々の間で混乱が起きていることを口々に噂している。自然と顔が強張ってゆくイスマイーラを見咎めたタウルは苦笑した。


「お前、元々はあっちに居たのだものな。機嫌も悪くはなるか」


「全く思い入れが無いわけでもありませんからね」


「胸中は複雑か。お前は一旦機嫌を悪くすると、ぐだぐだと後を引きずるからなあ」


 どうしたものかと顎に手をやり、何か面白いことを思いついたような顔を浮かべた。


「丁度いい、あれで手を打つか」


「あれ、とは」


「女だよ。そこの岩窟に繋いである」


 タウルは、傍にあった岩窟を顎先あごさきで指し示した。そこは深い横穴になっているらしく、入口からは穴の中まで見通すことが出来なかった。


「私に女の相手をしろと?」


 じろりと睨むと、タウルは目を泳がせた。


「相手は、相手だが」


 言い淀むタウルに、イスマイーラは眉をひそめた。


「何か、あるのですか」


「ん、何かあると言えばあるんだが。そうだな、うん、お前の気分転換にもなるだろうし、お前に任せた方が良いのかもしれん。女から事情を聞き出して欲しい。部隊の周囲でうろついていたのを捕まえてみたはいいものの、ずっとだんまりでな。アル・カマル側の密偵かと疑ってみたが、殴っても脅しても何も答えん。聾唖ろうあか異国人か。もしかしたらお前の知っている言葉なら意思の疎通が出来るかもしれん」


「試したのは」


のカマル語。後は北方と東部の少数言語を試した。いずれも反応しなかったがな。お前、皇国のカマル語は話せるか?」


「多少は」


「なら、お前に頼もう。お前も着いて早々疲れていると思うが、女の相手を頼む。密偵であれば殺さねばならんし、そうでなければ、まあ、お前の好みなら抱いても構わんが。人払いくらいはしてやるぞ?」


「相変わらずだな、貴方は」


 憮然とするイスマイーラを、タウルは鼻で笑った。


「事情を聴きがてら、女に傷の手当てもしてもらえ」


 そういって放るように包帯を手渡すと、タウルはイスマイーラに背を向けた。


 女が捕らわれているという岩窟に近づくと、中から人の気配がした。そっと耳をそばだてると、何人もの吐息も聞こえている。嫌な予感を覚えながら岩窟に踏み入ると、何者かの影が横たわっていた。もしかしたら、凌辱の限りを尽くされているのかと身構えたが。横たわっていたのは女ではなく、男達のほうだった。三人の男達が岩窟の天井を仰いだまま仲良く寝息を立てている。ゆるゆると視線を岩屋の奥へ向けると、そこに、いた。


「何故貴女がここにいるのか」


 松明の炎で暴かれたのは、青の髪と黄金の瞳。


「久しいですね、イスマイーラ」


 アズライトがいた。白い頬は強く殴られたせいか、ほんりと腫れてみえた。絹糸のような青く長い髪は乱れ、千々に地面に散らばっている。あまりにも痛々しい光景に、顔をそむけた。


「気が立っているようですね。顔までそむけるほど気分が悪いとは思いませんでした」


「その状態を見て気分良くいられると思いますか?」


 ぼろぼろの外套がいとうの隙間から、アズライトの肢体したいが見え隠れしていた。あまりにじろじろと眺めるのも気が咎めて、視線を外した。


「ご自身がどういう状況にいるか、おわかりか」


「もちろん」


 アズライトの足元で寝息を立てている男達を、イスマイーラはごみでも見るような目つきで睨んだ。よほどに良い夢でも見ているのか、だらしなく開いた口元から涎が出ていた。


「彼らは」


「黙って危害を加えられるのを待つのは性分ではありませんでしたので、この場に立ち入ってきた者達には魔法クオリアで寝てもらいました。でもあまりにも暇なので、彼らの頭の中を覗いていました。自我がある分、加減をしてあげないといけないのが面倒ですが。お陰でこの時代への理解が深まりました」


 金色の人ならざる瞳を細め、にこりとする。生唾を飲みこんだイスマイーラに、アズライトはいつもの調子で応じた。


「安心してください。イスマイーラは別です。貴方には危害を加えるつもりはありません」


 そういって、指をぱちんと鳴らした。イスマイーラの足元で、赤い光がぱっと舞う。一瞬だけはじけた光は、すぐに闇の中に消えていった。


「いま罠を解除しました。どうぞこちらへ」


 アズライトはイスマイーラを手招くと、正面に座らせた。痛々しい顔を正視出来ないでいるイスマイーラに、アズライトは困ったような顔を浮かべた。


「大丈夫、殴られただけです」


「……何故、逃げなかったのですか!」


「逃げましたよ、命じられたとおりに。ですが捕まってしまいました。ですが、また貴方に会えるとは思いませんでした。それから、すみません。外套がいとうをこんなにしてしまって」


「謝罪はいりません。貴女に渡した外套がいとうは元々捨てるつもりでお渡ししたものですし、それを貴女がどう使うかは貴方の自由ですから」


 どうにも謝罪されると弱い。自然とため息が出た。


「まず服や私のことなどよりもご自分の体のことを考えてください」


「それは貴方にも言えることですよ」 


 そういって、アズライトはイスマイーラの怪我をしている方の手をみつめた。


「手当てをしてもらいに来たのでしょう。表の会話は聞こえていました」


 治療具を下さいと、アズライトは左手を差し出した。


「包帯くらいは自分で巻けます」


「ええ、貴方なら巻けるでしょう。ですが、今は手当てをしてもらっていた方が良いように感じます。お互いの状況を確認する上でも」


 アズライトの意図を読み取ったイスマイーラは、そっと、彼女の手に包帯を手渡した。


「互いに、長い話になりそうですね」




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