竜の娘は地を駆ける
その足音にウィゼルは苦い表情を浮かべた。流れるような景色の向こうで、八人の騎兵がこちらへ狙いを定めている。敵だ。ルークと別れた後、追手は何処からともなく現れた。混戦状態の戦場からすぐに離れたウィゼルを狙いに来るのは至難の業。ともすれば、伏兵か。
(……このままアリー達と合流したら、巻き込んでしまうわね)
ウィゼルは前方に
「そのまま真っ直ぐ走りなさい」
いつもの甘えるような返事の代わりに、アルルの姿勢が変わった。ほんの少しだけ首を低くし、尻尾を大地に並行にして、飛ぶように駆ける。いつもの激しい揺れは、少しだけ小さくなった。
(……大丈夫。ルークもイスマイーラも居なくても、私はやれる)
ウィゼルは半身を後ろへ向け、矢の狙いを先頭の男に定めると、浅く息を吸い込んだ。意識が先鋭化されて、男と馬以外の景色がぼんやりとする。先頭で馬を駆る兵士は、若い男だった。くっきりとした面立ちには、哀しみのような感情が張り付いている。男は矢の狙いを真上に向けると、意を決したように矢を放った。放たれたのは、たった一度きり。他の男達は矢をつがえたまま一定の速度で馬を駆っている。
まるで返答でも待っているかのように、つかず、離れずの距離を保ったままウィゼルの様子を伺っていた。そのさまに微かな違和感を覚え、暫くしてから男達の意図をぼんやりと察した。
”受けて立つなら矢を射かけろ。”
彼らの意図するところに、ウィゼルは眉をしかめた。矢を放てば男達と戦うことになるだろう。アリー達との合流も、ルークから預かっている手紙も、戦いが長引くほど届けるのが遅れる。
このまま矢を放たなければ。いいや、見逃してくれるとは思えない。
ウィゼルは、ぐっと
(怪我さえなかったら……!)
奇しくもそれは、開戦の合図となってしまった。
四人の男達が矢を放つ。黒い鳥のように空を舞い、狙い違わずウィゼルとアルルの傍に落ちてきた。それらを避けながらウィゼルも矢を放つ。
そのどれもが地面に刺さり、あるいは男達の傍を通り抜ける。一矢放つごとに五、六本の矢が返ってきた。激しい矢の応酬にアルルは怯えなかった。気が弱ることも無く、常に一定の速さで走り続けている。それが、ウィゼルには頼もしかった。だからこそ、痛みも、恐怖も堪えることが出来た。けれど。矢筒から引き抜く矢羽根の感触が心もとない。手元を見ると、矢は残り九本になっていた。
(これは、駄目かもしれない)
相手は馬を巧みに操ってウィゼルの矢を避けている。放った矢は全て外れていた。悔し気に顔を歪めると、足でアルルの腹を軽く叩いた。
「もっと走って、もっと、速く!」
矢が無くなれば逃げるしかない。幸い、敵は竜の足には敵わない。そこを上手く利用すれば逃げられる。ぐんぐんと通り過ぎてゆく景色と、耳元で唸る風の中、不意にウィゼルの右側から影が現れた。その影はアルルの方へ真っ直ぐに近づくと、並走するように馬を寄せ、がなり声を上げた。
「心配してきてみたら、こんなこったろうと思ったよ!」
「アリー!」
ぱっと、笑顔を浮かべると、アリーは朗らかな声を上げた。
「まだやれるかい?」
「矢数が無いの」
大丈夫だと、アリーは安心させるように微笑んだ。
「お嬢ちゃんは私の左にいるやつを頼むよ。あたしはお嬢ちゃんの右にいる奴を射る」
言い終えるやいなや、アリーは後ろ向きに矢を放った。それが先頭の男の頬をかすった。続けざまに二本、まとめて射る。一本は大きく外れて地面に突き刺さり、もう一本は男の馬に当たった。悲鳴を上げて騎手を振り落とし、どうっと腹から倒れ込む。隣りの馬を巻き込んで。騎手は地面に投げ出され、あっという間に流れ去る景色の向こうへ消えた。
残り六人。それぞれがわっと散ると、再び集団になって矢を射かける。
矢が雨のように降りそそいだ。それを縫うようにして避けると、アリーは続けざまに矢を放った。
「あと少しだ、がんばりな!」
がなり声を上げた瞬間、流れる景色の中に馬とアリーが地面を転がってゆくのが見えた。咄嗟に、アルルの手綱を引いた。アルルが跳ぶような速さで引き返す。空の青も、黄土の大地も全てが流れてゆく。ウィゼルの全身を風が唸りをあげて通り過ぎた。
そこには、アリーの駆っていた馬が横たわっていた。口角から泡を吹き、痛ましい鳴き声を上げながら、あらぬ方向に折れ曲がった足をばたつかせている。その傍らにアリーが倒れていた。ウィゼルはさっと、アリーの 傍そばへ駆け寄った。
「……アリー、ねえアリー、返事をして」
青白い顔には、びっしりと珠のような脂汗が浮かんでいる。苦痛に喘ぎながらうっすらと瞼を開け、アリーはほんの少し驚いたような顔をした。
「あたしのことはいいから、逃げるんだ」
「駄目。そんなことできない」
必死に抱え起こそうとするウィゼルに、アリーが手を伸ばした。その手は見当違いの方を向き、空を掻いている。ウィゼルに手を差し伸べているのだと気付いた瞬間、アリーの目が見えていないことに気が付いた。
「アリー、貴女、目が……」
アリーが、弱々しく微笑んだ。
「ちょっと片目の調子が悪いだけさ……それよかさっさとお行き。あんたも殺されちまう」
「いやよ」
馬の足音が迫っていた。矢が、男達の槍が、ウィゼルとアリーに迫っていた。近付いてくるそれへ、ウィゼルはきっと睨み据えると、叫んだ。
「……やれっ、アルルっ!」
ウィゼルでさえも怯えるほどの咆哮が轟いた。アルルが、馬と一人の男を宙へ放り投げる。どす赤く、柔らかな肉片たちが大地に散らかった。それが馬のものなのか、或いは人のものなのか。誰にも判別出来ないまま一人と一匹が血の海に沈んだ。その瞬間、ウィゼルもまた動き出していた。
馬を噛み砕いたアルルに別の男が矢を放つ。その間にウィゼルが割って入った。弓の先端に釘のような形の短剣を括りつけたそれを、槍のように振るう。キィンと、鋭い音色と共に小枝のようなものが弾かれた。槍のような形の弓をくるりと回転させ、もう一本の矢を叩き落す。
アルルが短槍を構えた男へ向き直った。そこへ、矢が降り注いだ。素早く飛び退ったアルルの後ろに、ウィゼルがいた。
(やられる!)
その
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