月下の誓い

 その様子をイスマイーラに渡した耳飾り越しに聴いていたアズライトは、地図に視線を戻すと先程の会話を全員へ伝えた。


「明日の夕刻にテベリウス率いるアル・リド王国軍騎馬兵がナルセの小道にやってきます。道を通り過ぎるのは翌明朝。良い機会です、こちらからも仕掛けましょう」


 アズライトの言葉を聞いていたモハメドが、考え込むように腕を組んだ。その瞳には疑りの色が混じっている。葛藤があったに違いない顔つきで、モハメドは言った。


「仕掛けるとすれば、この岩山と細い野道を活用するしかあるまい」


 黒山のような景色を振り仰ぐ。誰しもがその視線の先に目をやった。

満天の星々の下で黒い尖塔のような岩山が乱立している。今は暗闇で見えないが、朝になればそこに岩柱の林と、縫い目のような道が彼方まで続いているのが見えるだろう。それへ目を向けていたハリルが、呻くような声で言った。


「お言葉を返すようですが、テベリウスを泣かせるような大がかりな罠を仕掛ける人員も時間もありませんよ。仕掛けるなんてとても」


「なら、待ち伏せか」


駱駝らくだを置いてですか。相手は馬に乗ってるんですよ」


「なら岩の林の中からではなく、その後ろで待機し、敵が小道の中にやって来た時に弓矢を放つのはどうか」


「道に逃げ込まれます。持久戦になったら、こっちが持ちません」


 お手上げだとでもいうように、モハメドも両腕を組んだままうつむいてしまった。


「じゃあ……」


 バラクの眠たげな顔が、何かを閃いたような顔つきを浮かべ、やがてまた難しい表情に戻った。それは否定の顔つきだった。


「なにかありそうだな?」


 楽しげな声で俯いたバラクを覗き込むと、面食らったような顔があった。


「い、いえ、殿下にお聞かせできるような大層なものでは……」


「言ってみろ」


 従うばかりのバラクの思い付きには興味があった。どのようなことを考え、どのような策を練ったのか。指揮を執る者以外の話というのは貴重な別の視点を運んでくる。期待に目を輝かせて話の続きを催促すると、バラクは視線を彷徨わせながらおずおずと話し始めた。


「モハメド様の案に付け加えるような形になるのですが……小道に穴を掘って、そこに敵を誘ってみたらどうかなと。敵が足元に気を取られているうちに、俺達が岩陰から矢を放てば、敵は容易に応戦してこれません。もしかしたら、連中のうまも潰せるかも」


「だから、穴を掘る時間が無いんですってば」


 放るようなハリルの声に、


魔法クオリアを使って、穴を掘りましょう」


 アズライトの声が重なった。


「まて、アズライト。それは……!」


 不味いと腰を浮かせた。けれども言葉を撤回するには遅すぎた。

ハリル、バラク、ジア、そして聞き耳を立てていた数人の男達と、その中に居たソマが、アズライトの方を見て驚きの表情を浮かべている。始終冷静だったモハメドさえも、はっとしたように顔を向けていた。


魔法クオリアで罠を仕掛ければ、物資の不足も手間も時間も取られずに済みますが」


 アズライトは問題でもあるのかと言いたげな顔つきで、腰を浮かせた男達を見渡した。そのアズライトを隠すように前に出る。


「そういう問題じゃない!」


「では、どのような問題が?」


 舌打ちしたい気分だった。


(硝子谷から今まであまり人と接することもなく来てしまった弊害へいがいがここで現れるとは)


 アズライトは魔族が世間一般的にどういう風に思われているかなんて分からない。だから平然と自分は魔族なんだと言えてしまうんだと気づいた頃にはもう、後の祭りで。


(参ったな……)


 全員に対する言い訳を必死に考える。いや、言い訳なんてもう無駄だ。言い訳した端からアズライトが否定してくるし、逆もやっぱり無理だ。

これまでハリル達との間に結ばれつつあった信頼が崩れてしまう。

やはり真実を話してしまった方が良いのかもしれない。


(でも、そうすれば国の禁忌に触れる)


 それだけは、絶対に駄目だと心が叫んでいる。


「魔族、だったのですか」


 沈黙の中、声がはっきりと聞こえた。恐る恐る顔を上げると、モハメドが静かにこちらをみつめていた。


「魔族というか、その……」


「広義の意味では。貴方たちの言う魔族なのでしょう」


 眉一つ動かさないアズライトにモハメドは、


「はっきりと仰っていただきたい。なに、魔族だからと言って、殺しはしませぬし、スフグリム共に言いつけることもしませぬ。安心して訳を話されるがよい」


 そう言って微笑むと、一瞬だけハリルに厳しい眼差しをやった。ハリルが、蛇に睨まれた蛙のような顔つきで居住まいを正した。


「そ、そうですよ。それにほら、殿下だって。前に俺に言ってくれましたよね。彼女については後で話すって。それ、いま聞かせてもらえませんか。絶対怒りませんから!」


「それは……」


 絶対怒らないという言葉ほど、信じてはいけない気がした。けれども言い訳を考えたところで何も思い浮かばない。


「その、彼女は」


「ええ、魔族です」


 そう宣言すると、アズライトはその場に集まった全員に見せつけるように両手の内から赤い光を零れさせた。


「ルーク、いえ、ルシュディアーク殿下にはを拾ってくださった御恩がありますので、こうしてお傍に置いて頂いているのです」


 アズライトは身体ごとルークを振り返り、ひざまずいた。月明かりに照らされた長い髪が、ふわりと風に揺れる。かしづき、閉じた金色の瞳を開くとルークをみつめ、囁くような声で宣言した。


「今ここで宣誓を。忠義は貴方と共に。私は貴方の剣となり、盾となる」


 ここに誓いの誓約を。

 すっと、目を細めて見上げてきた。


「どういうだ」


「そのままの意味ですよ、殿


「お前を臣下にした覚えはない」


「覚えがないのなら、これから覚えてください」


「ばかな」


 共に戦っているカムールの騎兵達ならば兎も角、アズライトに臣下の礼をされるとは思ってもいなかった。唖然あぜんとするのに、アズライトは追い打ちをかけるように溜息をついた。


「馬鹿は貴方です」


「なんだと?」


 何かを言いたそうに、じっと、みつめてくる。何かの考えがあるらしい。一呼吸置くと、何事もなかったように立ち上がった。待っているのだ、臣下として扱うという言葉を。生唾を飲み込み、一拍置いて言紡いでやった。


「……今一度我が剣となり、盾となることを許す」


 アズライトを見上げる。相変わらず無表情で判別しにくいのに、微かに、表情が動いた気がした。


(いま、笑ったのか?)


 目が合ったのは一瞬で。


「彼女は殿下の隠し種だったってわけですか?」


 怪訝そうにするハリルへ、アズライトが頷いた。


「して、貴女の考えとは如何に」


「彼女が害悪があるかどうかを審議するのは二の次ですか、モハメドさん」


然様さよう


 思うよりも寛大であることへ、不安が募ったらしい。ハリルが困惑している。


「なんでですか」


「臣下の誓いを我々の前で示し、殿下へ私を使えと言い切り、殿下はそれを許した。その彼女を同じ臣である我々が否定するわけに参らぬだろう?」


「親父殿、それは甘すぎる!」


 ソマが、集団を分け入ってモハメドの前に立った。


「魔族は死病をばら撒くんだぞ。この女のそばにいれば誰かが死の病に侵される。命を見逃すのはいいが、一緒に行動するのは危険すぎる」


「甘くは無かろうよ、ソマ。魔族は確かに死病をもたらすと言われているが、そやつらの使う力が我々の剣や弓などよりも強大であるのは、お前も分かるだろう」


「だが!」


「ここは戦場だ。死病で長く患い死ぬのと、戦場で矢と刃を受けて死ぬかなど、方法は違えど同じこと。まして我々には時間も、罠を仕掛けるための物も無い。しかし、彼女はそれを瞬時に作り出せる。なら、賭けてみるのも悪くは無い」


「運を天に任せるなど、どうにかしている!」


「どうにかせねばならぬほど、我々は追い詰められているのだよ。ソマ、彼女に策を弄する機会をくれてやってはどうか。大丈夫とは私も言い切れぬが、今よりも悪いことにはならぬ気がするのだ」


 されど、と、モハメドは一転して厳しい眼差しをアズライトに向けた。


「策を失すれば臣としての罰は受けていただきますぞ」


「それはもちろん、承知しています」


 アズライトは何の気負いもなく胸を張る。彼女の返答に妙な安心感を覚えてしまうのは、成功させてしまえるほどの力があると信じているせいだ。出来るのだ、実際に。彼女は。


「……要求を聞こう。言え、何が要る」


「まず、人員。これから名を呼ぶ者を私のそばへ」


「誰だ」


「アラド、ウトゥ、カルシプタル。スルワラ、ジェフ、セージュ……それから、ソマ」


「なんで俺なんだ!」


 他にも適任は要るだろうとでも言いたげにするのへ、アズライトはそっと、目を伏せた。


「隠していることがあるでしょう?」


 さっと、ソマの顔色が変わった。名を呼ばれた数名の男達も恐怖と困惑を張りつけて硬直している。それが、少し引っかかった。


「何が言いたい」


 全くの同意見を放つソマに、アズライトは「ここでは言えない」と、首を振った。ソマは何かをあきらめるような顔つきを一瞬浮かべた後、アクタルやハリル達へ顔を向けた。


「……ちょっと行ってくる」


「……大丈夫なんです?」


「私に任せてください。決して、悪いようにはしませんので」


 伺う周囲へ、はっきりと言い放った。

 アクタルとハリルは互いに顔を見合わせると、深刻な表情で頷いた。


「それでは日の出とともに、岩柱の下で会いましょう」


 そういうと、さっさと自身だけで小道の方へ歩いて行ってしまった。その背中を、ソマ達が囁きあいながらついて行った。




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