アルベルト・シュタイナーの血脈

『どういう意味?』


『君達の概念から語られる魔法クオリアと、彼の力は違う。もはや別物だったってこと』


 別物。言葉そのものを反芻はんすうし、シルビアは首を傾げた。


『第二皇子の力が魔法クオリアでなかったら何かしら』


Etherイーサだ』


Etherイーサ? 魔法クオリアの元は、マナという物質だったわよね?』


『それと多少、関係はしているけど、そのものじゃないなぁ』


『分からないわ。説明して頂戴』


 シルビアの双眸が、真っ直ぐルーシィを見据える。その瞳は何処か興味の色を湛えていた。


『前提知識の無い君に、僕はどこから説明したらいいのかな?』


Etherイーサの事だけで結構よ』


 諦観と共に吐き出されたルーシィの呻きは、夜気を僅かに震わせた。


『長くなる。それに僕は専門家じゃないから、専門性を問われるような質問をされても答えられない』


 それでも良ければと前置きし、シルビアが神妙な面持ちで頷いたのを見るや、ルーシィは何度目かの溜息を堪え、続けた。


Etherイーサってのは、古代人が惑星規模でばら撒いただよ』


 微かな驚愕が、シルビアの表情かおを埋め尽くしていた。それを眺めながら、ルーシィが事もなげに天井を指さした。


『空の彼方、対流圏上層に位置する強い風の流れを使って、当時は、いや、今も毒物であるマナを無害化しようとしていた』


『大胆にも程があるわ。頭がどうにかしているのではない?』


『大胆というよりは、合理的だったのさ。死の病は先人達にとっても悩みの種だったからね』


 シルビアが躊躇うように口を閉ざした。やがて、ぽつりとつぶやいた。


『私達よりも高度な文明を誇っていたくせに。病の大本を消す術がそれしかなかっただなんて、随分間抜けなのね』


『まさか。鉄女神マルドゥークを創り出した人間がたったそれだけのことをしようとしていただけだったなんて本気で思っているのだったら、それは間違いだよ』


 その見解は現在を生きる者の傲慢だと、ルーシィが面白くなさそうな表情で吐き捨てた。


『古代人は死の病をもたらすマナを制御しようとしていたんだよ。脅威だったからね。なにせ


『だった?』


『昔は死の病と言えば、人間だけが患う死病だったのさ。嘘だと思うなら協会の書庫にでも行くと良い。鍵はメルブリックが所持している。僕の紹介と言えば、彼は快く君を書庫へ案内してくれるだろう』


 もっとも、君が直接資料を手にすることは出来ないだろうと、ルーシィは胸中で舌を出した。


『死病に悩まされ続けた挙句、足掻いて完成したのが、マナの対物質、Etherイーサという物質なのさ。こいつはマナの発する毒を無害化してしまうんだ。開発した古代人は大層喜んだらしい。これなら死の病を克服できるかもしれないってね―――病についての結果は、君が知っての通りになってしまったけど』


 ルーシィが苦笑した。


『これに加えてEtherイーサの開発で思わぬものが出来た。本来の効果とは別の、Etherイーサの開発者すら与り知らない副次効果、魔法クオリアだよ。最初は誰も気づかないほどの小さな異変だったらしい。でも、流石に何例も報告が挙げられてくると誰も見過ごせなくなってしまった。名のある研究者達が莫大な資産を投資して本格的に調査をした結果、原因不明の事象が、マナとEtherイーサによって引き起こされたものであると解明してしまった』


 そこからは、実に速かったという。瞬く間に病とマナとの因果関係とマナ自体の構造を解明し、魔法クオリアという現象を編み出してしまった。


『元は医療用だった技術だったんだけど、いつの間にか軍事に転用され始めてしまった』


 誰もが人智を超えた技術へ期待と希望を膨らませた夢のような時代。人は不治の病どころか、飽和状態だった科学技術をも克服し、魔法クオリアという新たな付加価値をつけて更に繁栄する――――はずだった。


『マナを抑制できた時点で、制御できると気づいたところまでは良かったんだけどね。争い合う事を我慢しきれなかったらしい。お陰様で詳しい資料は戦争と、戦後長らく続いた混迷期に大半が失われてしまった。今では誰も分からない』


『貴方は知っていそうだけれど?』


 シルビアは冷めた表情を浮かべていたが、一つだけ普段の彼女とは別の光が双眸に込められていたのに、ルーシィは気付いた。好奇心だ。

明らかな瞳の輝きは、彼が最も避けるべきもの。ルーシィは敢えて、シルビアの深奥で沸き起こっているだろう、無数の疑問符の込められた言葉の一切を無視した。


『さて、ここからが本題だ。メルブリックの見解と、僕が見てきた事実を合わせて結論を出せば、ルシュディアークは鉄女神マルドゥークからの支援を何らかの形で受け取っているものと見て間違いない』


 それはルーシィの目から見てもはっきりとわかるものだった。空気中にごく微量に混じっているEtherイーサが、ルシュディアークへ魔法クオリアを放った瞬間、周囲に漂っていたEtherイーサの濃度が異常な数値を叩き出した。


『人がEtherイーサのみを媒体無しで操るのは至難の業だ。というか、ほぼ不可能なんだけどね』


 ルーシィは人間を見たことがない。


『彼は無意識下でみたいなんだ』


『出来ないことが出来るから、鉄女神マルドゥークの支援を受けているのじゃないかってこと?』


『そういう事。あ、その目は僕を馬鹿にしているね?』


 シルビアは溜息を吐いた。


『馬鹿にしてないわよ、信用できないってだけで。だって貴方の話は納得のいく根拠では無いのだもの。魔法クオリアを無効化できるからと言って、実際に鉄女神マルドゥークの支援を受けているとは言えないわ』


『でも、彼は城から出されている。しかもアル・リド王国へ行けと命じられて』


『命じられたから怪しいとでも言いたいのかしら。あれでも一応、元第二皇子よ。鉄女神マルドゥークが関係なくても外交には利用できるでしょう』


『どうかなぁ。まがりなにも大国の王が、何の旨味もない小国の皇子を人質に取りたいなんて思うかい? 僕はこれこそが証左だと思ってるんだけどね』


『……ああ言えばこう言うのね、貴方って』


『君もね。もう少し素直になった方が可愛げがあるというものだよ』


 余計なお世話だと言いたげにシルビアが睨むと、ルーシィは肩をすくめた。


『それは兎も角として、ルシュディアークをアル・リド王国へ行かせてはならない』


『……その心配は要らないかもしれないわ』


『というと?』

 

『アル・リド王国が、アル・カマル皇国へ侵攻を開始したの。同盟の為の人質なんて、もう意味をなさないわ』


 ルーシィの顔色が、微かな驚きに染まった。





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