訣別

「それは貴方自身が分かっておいでのはずだ」


 その言葉は、多くの想いを内包していた。皇子として兵を率いることの意味。ルークに率いられたカムールの騎兵達が、どのような結末を辿ることになるのか。騎兵達の未来も、この戦の行く先も。全て、背負う覚悟があるのかという問いかけだった。


「貴方の答えをもう一度聞きたい。もう一度、後悔しないために問わせて欲しい。貴方の覚悟は、今でも変わりがないか」


「もちろん」


 口元が、自嘲するように歪んだ。


「不安になったか、イスマイーラ」


「なりもしましょう。貴方が行おうとしている事は、自殺にも等しい」


 イブティサームを殺した魔族が、兵を率いて国を守ることの異常性。アル・カマル皇国軍と合流してしまえば、他人に知られては不都合な部分が明るみになる。その時、ルークの身に何が起こるのか。


 イスマイーラの胸にあったのは、シリルの一人として氏族を解放するために戦っていた頃のことだった。氏族の為に戦っていたというのに、仲間から投げつけられたのは期待ではなく、罵声と石。


 ”お前達のせいで家族が死んだ。自由と解放をうたって立ち上がった癖に、お前達がもたらしてくれたものは自由でも安息でもない。破壊と死だ!”


 ”家族を返せ。友を返せ。仲間を返せ!”


 敵から向けられる敵意よりも、守るべき者達から向けられる怨嗟えんさがイスマイーラの心を疲弊させていった。掲げていた大義が腐り堕ちてゆく感覚は今でもよく覚えている。多くの仲間達が昏い気持ちを抱えながら剣を鞘におさめ、背中を震わせながら敵の元へ下った。そこに、かつてルークへ語ったような矜持きょうじは微塵も無い。あったのは後悔と憎しみ。こみ上げてくる苦い想いを堪えながら、イスマイーラは言い放った。


「いずれ、国中から背中を刺されます」


「お前は俺を愚弄しているのか。いままで俺の何を見て、何を聞いてきた。おまえの言葉は、俺と、俺に命を預けてくれるカムールの民を侮辱する言葉だ。撤回しろ」


 憐れむような視線と、強い光を湛えた眼差しが交錯する。しばらくじっと見つめ合っていたが、やがてどちらかが剣の柄に手を伸ばした。背筋の凍るような気配を発しながら、ルークとイスマイーラは互いに距離を取った。黙って状況を見守っていたハリルもまた、いつの間にか剣を抜いていた。三人の視線は、ルークが隠れていた天幕の向こう。円陣を組むように建てられた天幕の影に。


「イスマイーラ、貴方は顔に似合わず派手なことをする」


 無数の気配と共に現れた男は苦笑した。その男を見た瞬間、ルークとハリルの表情が強張った。


「私一人で良いと言ったはずですが」


「心配だったもので。余計なお世話でしたか?」


 冷たい眼差しでユベールを見つめ、イスマイーラは嘆息した。いつもの、彼なりの許容を含んだ溜息というよりは不満を押し込めたような溜息。そんなイスマイーラが、ルークにはどこか身も知らぬ誰かのように映っていた。


「改めて初めまして、ルシュディアーク殿下。アル・リド王国軍偵察支援隊イブリース所属、ユベールと申します」


「敵ながら大した根性ですね。自分から正体を明かすなんて」


 慇懃無礼いんぎんぶれいにするユベールの前に、ハリルが進み出た。剣を構え、低く唸るような声は、既に彼の中でユベールを敵と見做みなしている証拠だった。しかし、ベールはハリルを一切見ていない。まるで敵ですらないとでもいうように視線を真っ直ぐルークに向けている。


「アル・リド王国第一王子、サルマン殿下より、ルシュディアーク殿下へ面通り願いたいというお話があり。つきましては我々にご同行願いたく」


「証拠を出してもらえませんかね。親書くらい持っているでしょう」


「返答はいかに」


「ちゃんとした親書を見せてもらわないと応じられません!」


 怒声を張り上げたハリルを、ユベールは初めて視界にいれるとわずかに片眉を上げた。


「私が話しているのはルシュディアーク殿下だ。貴方ではない」


「皇族と直接お話をするのは不敬に値します。間に臣下を通してもらわないと」


 ユベールが、鼻で笑った。それを、ハリルは睨んだ。


「よせ、二人とも」


 言い募ろうとするハリルを手で制すると、ルークはハリルの隣に立ち、ユベールをしっかりと見上げた。


「返答に対する時間が欲しい。少し待てるか」


「……待ちましょう」


 頷いたユベールに、ルークもまた応じた。そして、ハリルの服の裾を引っ張りながらユベール達から離れると、小声で囁いた。


「あまり血の気を上げるな、刺激する」


「あのね……自ら剣を抜いておいて俺に冷静になれって、あんたよく俺のことが言えますね。こういう状況を招いたのは殿下にも一因があるんですからね―――サルマンのとこに行く気ですか?」


「まさか。軍を寄こしている以上、話し合いなどするものか。それに、今さら俺が出向いて出来る事もない」


 これは罠だとルークは囁いた。そして、横目でイスマイーラを伺った。彼は表情が無い。意識して無表情を装っているのか、それとも本心からなのか。そこも分からないとルークは想う。そして、先刻のイスマイーラの言もまた。


(俺が戦う理由なんて、いまさらのはずだが)


 彼に何度となく話した。ルークの決意も、決起することも。その場に居合わせ、時が来るまで配下として待つとも言った癖に、今更どうして手のひらを返すようなことを言うのか。不安になったというけれど、不安を抱いたのなら敵と手を結ぶようなややこしい真似はしない。何かあった時にいつでも助けられるように傍にいるはず。


(なにか、思惑があるような)


 そもそもイスマイーラは、意思を簡単に曲げるような男ではないことをルークは知っている。だからこそ、違和感を覚えるのだ。イスマイーラの言動に。


「天幕の影に数名、ユベールの手下が隠れています。知らない間に包囲したんでしょう。うちの奴らは、それに全く気が付かなかったみたいです」


 今でも気がついていないのか、助けにやって来る気配がない。


「二人で切り抜けるのは骨が折れますよ、これ」


「ユベールと他は兎も角、イスマイーラが厄介だな」


 味方であった頃は頼りになる剣だったけれど、敵になったというのなら、二人で戦っても勝てるかどうかわからない。けれど――――ルークは一つの可能性に賭けた。


「イスマイーラは、俺に任せてくれないか?」


「本気ですか?」


「仮に捕虜ならば、殺しはしないだろう」


 ルークはユベールに向き直ると、あっさりとした声で叫んだ。


「お前達にはついていかない!」


 そういって、ルークとハリルは互いの敵に斬りかかった。

 ルークはイスマイーラへ。そして、ハリルはユベールと天幕の影に潜んでいた男達へ。


 ルークが来ることが分かっていたかのように、イスマイーラは剣を構えた。ルークは全力で刃を叩きつけた。刃がたわみ、柄と手に強い衝撃を感じた。切り結ばれた白刃は不愉快な音色と共に押し返される。イスマイーラがルークの剣を弾くと、当て身を食らわせるように踏み込んできた。むせぶような砂塵の中を白刃が閃き、刃同士がかち合う。ルークは斬撃を切り上げるようにして弾き飛ばすと、イスマイーラから距離を取るように離れた。イスマイーラが更に踏み込んできたとき、ルークは己の誤りに気付いた。


 ”間合いに踏み込まれた時、後ろに下がるのは相手に自分の切り刻み方を教えているようなもの。刃は避けるのではなく。”


 そうルークへ教えたのは、イスマイーラだった。ルークは、はっと、身を強張らせた。イスマイーラは斬り込んではこなかった。適度な間合いを取るかのように剣を引き、距離を取る。ルークは眉根を寄せた。


(普段のイスマイーラなら、いまのような大きな隙を見逃すはずがない)


 けれど、それをしなかった。自ら望んで剣を引いたということは。


(本気ではない。あいつは、わざと手を抜いている)


 真剣に斬り合ったら自分には勝ち目がないというのを、ルークは経験上よく知っている。旅の途中で交わしたイスマイーラとの擬戦ぎせんの結果が、それを物語っていた。


 擬戦ぎせんとは模擬戦闘だ。剣術の稽古とはまた少し毛色が違っている。刃を落とした剣で剣の扱い方を学ぶ稽古とは違い、実戦と同じように真剣で戦いながら剣や身体の使い方を学ぶ。剣術が基礎的なものであるのなら、擬戦ぎせんは応用だ。

旅の間、イスマイーラは暇があればルークを擬戦ぎせんに誘った。しかし、擬戦ぎせんの結果は散々で、ルークはイスマイーラに三回しか勝てなかった。


 敗因は、体格差によるものがほとんどだった。


 イスマイーラとルークでは体つきが大きく異なる。背が高く、がっしりとした体つきのイスマイーラに、背が低く細身のルーク。両者の差は歴然だった。そこへ力押しで勝とうとするのだから、埋めようのない体格差に押し負けてしまう。


 ちょうど、今のように。


 間合いに踏み込んだイスマイーラが、ルークの身体を突き飛ばした。重心を崩され、あっという間に転んだ。直後、ルークが受けたのは刃ではなく、みぞおちへの拳。心臓が止まりそうなほどの一撃だった。あまりにも酷い痛みに視界が薄暗くなった。そこへ、イスマイーラが剣を振り下ろした。重く、突き立つような音がルークの耳元で聞こえた。首元に生温いものがなすりつけられるような感覚があった。痛みに呻きながらうっすらと目を開くと、手を赤く汚したイスマイーラがルークを見下ろしていた。


(斬られた?)


 首に痛みは無い。殴られたみぞおちだけが酷く痛んだ。

 痛みの中で見上げたイスマイーラの口元が、微かに動いた。


「              」


 その囁きは、短かいながらも暖かみに富んだものだった。イスマイーラは優しい眼差しを向けた。


「おさらばです、ルシュディアーク殿下」


 仰向けに倒れたまま、ルークは立ち去ってゆくイスマイーラの言葉を胸の内で反芻はんすうするしかなかった。


 ” ねずみサクルを寄こすまで、走り続けなさい。ナルセへの細道が、貴方をに導くでしょう。”


(あいつは、ばかだ。俺も、大ばかものだ)


 わあわあと叫びながら駆け寄ってくるハリルが煩くて仕方なかった。それ以上に、イスマイーラの決断を止められなかった自分自身が、許せなかった。




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