後悔と懺悔と

「その始まりは、イブティサーム第一皇女の死からでした」


「確か、イブティサーム第一皇女って、病死されていたんじゃ……」


「ええ、公には死の病による死とされております。しかし、実際は違うのです」


 死の理由を隠さねばならなかったわけがあるとするならば、それは国を揺るがすほどの大事おおごとに違いない。


「……誰かが毒を盛った、とか?」


「いえ、魔法クオリアによる炎で命を落とされました」


「誰かが殺したってこと?」


「はい。犯人は、殿下だと言われています」


「どうして!?」


 自然と声があららぐ。怯えるように肩を震わせるシーリーンの肩を掴み大きくゆすった。


「ルークがどうして犯人なのよ!?」


「……兵士が、魔法クオリアの赤い光をまとう殿下を見つけたから」


 炎に包まれた部屋の中で、怪我も負わず、煙を吸い込むこともなく平然と佇んでいたのだという。兵士は、そんな姿のルシュディアークを犯人であると決めつけた。


「これに異を唱えたのは、殿下お一人だったそうです」


 たった一人の証言をもとに、皆がそうだと決めつけた。


(ああ、か)


 ルークの奇妙な行動が、すとんと、腑に落ちた。

 異様に火を怖がるのも、焼けた肉を嫌悪するのも。

 イブティサームが死んだときの光景を思い出すから。

 皆が自分を否定する時の、あの雰囲気を思い出してしまうから。


(でも、なんだろうこの違和感……)


 ルークが魔法クオリアをかき消した姿を幾度も見たことがあるけれど、そういう時は決まって赤い光がルークに触れた途端、霧のように掻き


(光を身にまとうことはなかったような気がするのだけれど)


 シーリーンの話を聞いているとどうにも胸につっかえる。なにか、重大なことをような気がして。


「エリシャ様も疑問に思われますよね。私もなのです。私も、どうしてあれだけ仲の良かったイブティサーム様を殺されてしまったのかわからなくて……」


 悶々としているうちに婚約は解消され、ルシュディアークはイブティサームを殺した罪と、魔族という二つの罪によって処刑されたという話が耳に入った。


「殿下に近しい御兄弟と臣下による密葬の後、カダーシュ様は改めて殿下の罪について疑問をていされました。やがて西守のダルウィーシュと共に、この一件についてお調べになられたのです」


「そのダルウィーシュって?」


「殿下の処刑に携わった方であり、殿下を城から脱出させた方です。私が彼と最初に出会ったのは葬儀が終わった後でした。頻繁に神殿にお越しになられるので、お声がけをしたのです。初めは逃げるように立ち去られましたがそのうちに、私に懺悔をしたいと」


 その時、ほんの少しだけ眉をひそめたという。


「殿下を殺したことについての懺悔ならばしてほしくないという気持ちはありました。けれど、思いつめた彼が何を話すのかが気になって」


 やがて、事の真相を知ったのだ。


「その折に、ダルウィーシュの罪を聞きました」


「それが、流民の子供」


「はい。ファドルという流民の子供を殺したそうです」


 その名は、カミラの待つ思い人の。

 さっと顔色を変えたウィゼルに、シーリーンは目を伏せた。


「殿下をお逃がしになられる少し前に、銀貨一枚を元手にファドルという子供を雇ったそうです。一日だけ死体のふりをして棺の中で寝ていて欲しいと言って」


「でも本当は」


「棺の中に誘い入れて殺しました」


 あまりにも惨く、身勝手な行為に血の気が引いた。


「この事を知った私は、隠すことにしたのです」


「それは、ルークのため?」


 自然と低くなる声色に、シーリーンは大きく震えた。


「……ごめんなさい。彼を軽んじる訳ではないのですが、この国にとって流民一人の命など、あって無いようなものなのです。たとえ私達わたくしたちが西守の長へ伝えたとしても、さしたる罪にはなり得ない。しかし、殿下にとっては違う。罪によって刑を受けた殿下が生きているとなれば、必ずやターリク様は追っ手を差し向けます。そうなれば、殿下の御命が再び危うくなる。それだけは、どうしても避けたかったのです」


 たとえ亡骸を辱めることになったとしても、一番大切なルシュディアークが生き続けることが出来るのならば隠し通してしまおうとした。その考えに、ウィゼルは拳を強く握りしめた。


「だからって……」


「人としてやってはいけないことだと分かっています、けど!」


 そうするより他なかったのだと、シーリーンは吐き捨てた。


「どうしようもありませんでした。どうしようもできませんでした。空になった棺を公のもとに晒せば今よりももっと大事になる。国全体を巻き込む事を、流民一人の命で如何どうにか出来るのならと……そうするしかなかったのです!」


 遺体がすり替えられている事に気が付いているのは、シーリーンとダルウィーシュのみ。このまま隠し続ければいずれ、密葬の後にファドルの亡骸は皇族の墳墓に埋葬されるだろう。それだけは避けねばならない事柄だった。だから、二人はある計画を立てた。


「密葬の後に神殿に安置される亡骸を外へと持ち出そうとしたのです。埋葬する前に遺体を隠せば、流民の亡骸が皇族の墳墓に入ることを避けられる」


 しかしそれは、計画を実行した直後にカダーシュによって暴かれた。


「私はダルウィーシュ様と共に、カダーシュ様へ全てを打ち明けました。ですが、打ち明けたと同時に騒ぎを聞きつけた者達によって事態は白日の下に晒されてしまい……ダルウィーシュ様は利き腕を失い、西の塔に幽閉されました。私はイダーフ様の恩情により、神官であるままここに留め置かれたのです。そして、此度のことを不問とする代わりに、エル・ヴィエーラ聖王国の遺産遺跡保護協会から指名された貴女の見張りをせよと」


 息を吐くと、静かに肩を震わせた。


「……ごめんなさい」


 行き場のない怒りが溜息と一緒に外へ出てゆく。

 誰を責めたらいいのだろう。ルークの為にファドルを殺したダルウィーシュか。それを隠そうとしたシーリーンか。それとも、運命だろうか。

心に、カミラの顔が浮かんだ。

カミラはファドルが生きているのだと信じて疑わなかった。でも、本当は。こんな場所でひっそりと命を終えていたなんて。真実そのままをカミラに伝えるかどうか迷った。カミラの内に芽生える感情を想うと、なおのこと。でも、死を知らなければカミラはずっと、ファドルのことを待ち続けるに違いない。


(伝えても、伝えなくても結局は傷つくのよね……)


 どちらが一番良いのだろう。いいや、良いという言葉は正しくない。既に最悪を通り越しているのだから。


「ファドルは、いまどこに」


「彼は神殿の中に。祭祀様は引き取り手がいないようであれば、彼をザハグリム郊外の集合墓地に埋葬しようと思っているようです。もしご家族があれば彼の最期を伝え、ご遺体を引き取っていただくつもりではありますが……もしかして、お知り合いでしたか?」


「私の知り合いの、ね」


 シーリーンの瞳に、みるみるうちに涙が盛り上がって、溢れた。


「……ごめんなさい」


「ううん、よく話してくれたわ」


 責められるだろうことを覚悟していた顔が、驚きに染まった。


「どうして」


「教えてくれたからよ」


 黙っていれば永久に知ることはなかったファドルの最期。それをちゃんと言葉にしてくれたのは、シーリーンが本当に後悔しているからだ。そうでなかったら、ファドルのことを口にすることはおろか、ウィゼルだって知らなかったに違いない。


「ありがとう、教えてくれて」


 手の甲に、無言の涙が零れ落ちた。ぽつりと流れ落ちた涙は、次々と雫を生み出した。顔をぐしゃぐしゃにしてしゃくりあげるように泣くシーリーンの両肩を抱いた。


「ごめんなさいっ、ごめんなさい。私はっ、ダルウィーシュ様から殿下が生きておられることを知った時、棺の中で眠る彼が殿下でないことに安堵してしまいました。命を奪われた流民のことなど少ししか、いいえ、ちっとも考えていなかったのです。そのくせ全てを捨てて神官になるという覚悟をしたのに、神官になるのじゃなかっただなんて後悔をするなんて……!」


 嗚咽交じりの懺悔が、抱いた肩のあまりの小ささに心が痛んだ。

 泣き続けるシーリーンをあやすように背中を撫でる。


(この子もまた、なんだ)


 全てを失ったルークと。

 義兄を失ったカダーシュと。

 愛しい人を失い、それでも傍に居続けようとしたシーリーンは。

 みんな、喪失という名の大きな傷を抱えている。


「……知り合いにファドルのことを伝えてあげたいの」


 頬を濡らす雫を、そっと拭う。


「最後のお別れくらいは言わせてあげたいのよ」


 伺う眼差しに、シーリーンは首を振った。


「お別れをさせてあげることは出来ます。ですが、エリシャ様が直接その方とお会いになることは出来ません」


「ウィゼルシード」


「え?」


「私はエリシャじゃない。ウィゼルシードよ」


「お名前は、エリシャと伺っていますが。それにシードというと、竜の民ホルフィス……?」


「エリシャとかなんだとか色々とややこしいだろうけど、私のことはウィゼルって呼んでちょうだい」


 大きな塊を飲み込むような顔つきを浮かべると、


「私はシーリーンです。シーリーンとお呼びください」


 曖昧な表情で頷いた。


「で、言伝も駄目ってことで良いのかしら」


「御相手の方が文字を読めるのなら、文を届けるよう取り計らうことは出来ると思いますが」


「読めるのなら、か」


 カミラは識字が出来ない。アサドはどうだろう。西守でスフグリムをしていたというからには文字を読み書きできるくらいの学があるはず。いいや、では駄目だ。確実じゃないと、妙な文が来たと言って大騒ぎをするかもしれない。


「じゃあ、そうね……西守に行くことは出来るかしら。ターリクって人に会いたいのだけど」


 ターリクを伝えば、アサドの耳に入る。もしかしたら、神殿ここから出られる可能性だってあるかもしれない。


「絶対に駄目です」


「そうくると思ってたわ」


 やっていることは部外者を無理やり誘拐してきたようなものだ。城の連中の中で一番うるさそうな西守の、それもおさに話をさせろと言われたら断るに決まっている。


「どうしてターリク様にお会いしたいのですか?」


「知り合いがね、ターリクと親しいのよ。そいつは、アサドっていうスフグリムなんだけど、ファドルの知り合いとも親しいの」


 話している最中から、シーリーンの表情がどんどん強張ってゆく。きっと軽い気持ちで招き入れたに違いない。それがとんでもない人と繋がりを持っていたなんて夢にも思わなかったのだろう。難しい表情で黙り込んだ後、言った。


「神殿の者をウィゼル様の仰る方のところに遣わせましょう」


 結局はそうするしかないと、諦めたようにうなずいた。


「それからね、もう一つ気になることがあるのだけど。私の見張りを任されたって、どういう事かしら」


 一瞬だけ、ぽかんと、シーリーンが瞬いた。


「全部承知でこちらに来られたと思っていたのですが」


「それが記憶にないから困ってるのよ」


 シーリーンと一緒に頭を傾げた。彼女は意味が分かっていないだろうし、こっちは記憶がないことに困惑している。というより、全部承知で神殿を訪れたというのはどういうわけか。


「本当に、心当たりがないんですか?」


 眉をひそめた後で、心当たりに気が付いた。シルビアの言っていたニレの呪言だ。


(人心を繰るとか言っていたような)


 操られるがまま神殿ここに来たのだとしたら。意識も、記憶もないのにも納得がいく。


「……ここに来られた時のことをお話したほうが良さそうですね」


「そうしてちょうだい」


 と言ったはいいものの、シーリーンの口から告げられたのは、あまり参考にもならない事ばかりだった。


「シルビア様とご一緒にお昼頃こちらにいらっしゃり、暫くエリシャ……じゃなくて、ウィゼル様がこちらで厄介になるとお話をした後、そのままお倒れになられました」


 という雑も雑。大雑把すぎる説明をされてしまったのだから。これには抗議したくても出来ない。


「受け入れる準備は前からあったってこと?」


「はい、イダーフ様の使いの方に頼まれました。曰く、エル・ヴィエーラ聖王国側の支援を取り付ける際、使者である遺産遺跡保護協会側から、すなわちウィゼル様を神殿にお呼びしろと言う指定があったのです」


 シルビアの言葉を心の内で重ねながら、歯噛みした。


(私はルークの代わり……)


 それが何を意味しているのか、事情を知った今なら察せられる。多分、鉄女神マルドゥーク関係だ。ともすれば、アル・カマル皇国の皇族達とエル・ヴィエーラの遺産遺跡保護協会側は、鉄女神マルドゥークを目覚めさせる算段を立てているに違いない。そうなれば、ルークを呼び戻すなんて無茶ぶりに納得がいく。それは同時にルークの生存を保証するものだ。ともすれば必然的にルークの代わりであるウィゼル自身も身の安全は保障される。確証めいた言葉に安堵しながらも、一抹の不安はあった。


「私は、いつまでここに居たらいいのかしら」


「それは遺産遺跡保護協会側からの連絡次第ですので。それまでは私と共に神殿で神官見習いとしてここにいて貰います」


 つまりは、シーリーンの監視下に置かれるというわけだ。

 不安は無くならなかった。けれど、当面の間の安全は確保出来たともいえる。


「じゃあ、日が暮れる前に今から言うところへ言伝をお願いしたいんだけど」


「勿論です」


 頷いたシーリーンは、もう泣いてはいなかった。




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