神官の嘆き

 鉄女神マルドゥークの神殿にやってきたカダーシュは、夕日に染まった回廊を早足で歩いた。回廊の先で従者のカリムと、義兄ルシュディアークを知るという人物を待たせている。日が落ちてしまう前に会ってしまいたかった。速足で歩いていると、ようやく回廊の先に神殿の大扉が見えた。花崗岩で造られた白い扉は、この時間帯には珍しく開け放たれている。そばに守衛がいないことを確認すると、カダーシュは忍び込むように扉を潜っていった。


 アル・カマル皇国では、王城の敷地内に二つの神殿を抱えている。

一つは太陽神ホルシードの神殿。もう一つは、鉄女神マルドゥークの神殿。これらが北と南にあり、中央に王や執政府のある主城がある。神殿が二つもあるのは、太陽神ホルシード鉄女神マルドゥークが国の主神であるためだ。神々を王城の中で祀るに至ったのは、アル・カマル皇国の前身、カッシート連合王国時代にさかのぼる。


 当時この地域に国をおこそうとしたカッシート連合王国の初代王アリー・ドゥル・クドゥルが、この地に住まう先住民族の土地を借り受けたところから始まった。国をおこすにあたり、先住民族の力は必要不可欠なものであった為、王は先住民族の長を統治者の一人として引き入れた。当時は支配というより、共存という形を重んじたのだろう。カッシート連合王国の初期は、初代王アリー・ドゥル・クドゥルと先住民族の長による双王制という、かなり珍しい政治の形態をとっていたのだ。

これに伴い両種族の融和の証として先住民族の崇める神と、王の崇める神を王城の中に合祀したのが二柱の神を祀った始まりと言われている。


 神殿の大門を潜ると、カダーシュは大きな広間に出た。これは神殿によくある造りで、大門を潜るとすぐに祭祀を行う場に行き着くように造られている。広間は白い石造りで、中央には藍銅鉱らんどうこうの混じった花崗岩かこうがんで造られた神像が、天窓から差し込む光で赤く輝いていた。


 三つの目と四つの耳を持つ異形の女神。片手に小さな車輪を抱き、足元に蛇のような竜を従えている。この女神こそ、人に害成す魔王ワーリスと戦った人の守護神、鉄女神マルドゥーク

鉄女神マルドゥークの像を見上げる度に、カダーシュは思う。人の守護神にしては人からかけ離れた姿だと。ずっと思っていた疑問への答えは、つい先ごろ、司祭によって解決された。


鉄女神マルドゥークのお姿には意味があるのですよ、カダーシュ様」


 曰く、片手の車輪は文明を表し、足元の竜は河川。すなわち治水を表している。三つの目と四つの耳は王の玉眼ぎょくがん玉耳ぎょくじ。広く見聞きして知るという形の表れなのだそうだ。その女神の形こそが国と、その統治者たる王の姿だという。


「僕達はかつての王を神として祀っているのですね」


「ええ。我らの皇主カリフも、代々の王もみな、神の末裔でございますから」


 と、言われたけれど、カダーシュは頭から信じてはいない。

皇主カリフが神の血を引いているというのは、統治のための題目でしかないのを知っていたからだ。


「お待ちしておりました」


 広間の奥に、従者のカリムが立っていた。随分と待っていたらしく、いつも穏やかな彼のかおには微かな疲労が浮かんでいた。カダーシュはそれを見つけると苦笑する。


「大分待たせてしまったようですね」


「告解の場にて、お待ちです」


 広間の隅の小部屋の前に、一人の神官が立っていた。カダーシュの姿を認めると、神官は軽く会釈をした。カダーシュよりも少しだけ年上の、若い女神官だった。神殿勤めの者がまとうゆったりとした白い法衣に鉄女神マルドゥークの象徴である車輪の銀刺繍ぎんししゅうが裾に描かれている。カダーシュは、鼻から下を白い薄布で覆い隠した神官の目に惹かれた。湖水のように透き通った青い双眸が、冷たい輝きを湛えている。まるで感情を無理やり封じ込めたような、頑なな目つきだった。


「先ずはこちらへ」

 

 神官に招かれた部屋はとても小さく、人が一人はいるのがやっとの広さしかなかった。中には、一脚の簡素な木の椅子が置かれている。カダーシュが椅子に座ると、目の前に小窓があった。そこから隣りの部屋が見えた。同じような石造りの部屋で、椅子が一つ置かれている。神官がその部屋に入ると、カダーシュと神官が対面するような形になった。そして、神官はカダーシュがいるのを小窓から確認すると、軽く会釈をしてから神降ろしの聖句を唱え始めた。その声は語り部のように流麗だ。まるで詩吟でも奏でているような声に、カダーシュは聞き入った。


 ”心彷徨さまよう人の子が、女神へ加護をこいねがう。 

 まどう心を言の葉へ。

 わたくしの耳は、貴女様あなたさまの耳。

 わたくしの目は、貴女様あなたさまの瞳。

 わたくしの口は、貴女様あなたさまの口。

 わたくしの全てを貴女様あなたさまへ捧げましょう。

 わたくし貴女様あなたさまの写し身となり、彷徨さまよう心を導きましょう。

 人の守護たる鉄女神マルドゥークよ、どうか我らを見守り給え。”


 歌うような声は途切れ、湖水のような瞳はカダーシュへと注がれた。


「この場にて口にされるお話は、鉄女神マルドゥークの名のもとに秘されますゆえ。ご安心を」


「なるほど、祈りの形であれば、確かにお互いの面目は立ちますね。神官と皇子が対面で話をしても不思議じゃない」


「して、御用向きと申しますと」


「葬儀の時からずっと、義兄上のことが気になっています」


「葬儀?」


「ええ、義兄上の葬儀は、異様でした」


 あの日、カダーシュが支度をして葬儀に出てみると、皇子の葬儀にしては実に寂しい景色があった。式場となる太陽神マルドゥークの神殿の片隅にいたのは、義兄のイダーフと、ルシュディアークの乳母セレン。そして、数人のルシュディアークと親しい将軍と高官の三名だけ。無数にいたルシュディアークの派閥の者達や従者達はどうしたのか。たった数人だけがルシュディアークの死をいたむだけなのかと、カダーシュは愕然がくぜんとした。

葬儀はしめやかに執り行われた。ルシュディアークの眠る柩と、その傍に設えられた花の祭壇に、弔問者は順番に白い花を捧げる。カダーシュに順番が回ってきたとき、棺の中のルシュディアークを覗き見た。ルシュディアークはかおと身体を包帯を巻かれ、生前身に着けていた第二皇子の紋章が刻まれた衣をまとい横たわっていた。顔が隠されていたせいで判別がつかなかったけれど、ルシュディアークの胸の上で組まれた手が、妙にだったのをよく覚えている。


(義兄上の手は、こんなに綺麗だっただろうか)


 ルシュディアークは剣術をたしなむ。だから、手指は節くれだっていて、お世辞にも綺麗とは言い難かったはずなのに。棺の中にいるルシュディアークの手は、剣術のせいでつくられた豆もなければ、節くれだってもいない。それに、包帯の上からわかる顔の輪郭りんかく。なんとなく、カダーシュの知っているルシュディアークの顔つきよりも幾分かほっそりとしているような気がしていた。


(あれは、本当に義兄上だったのか)


 棺に横たわるルシュディアークの姿を想うと、胸騒ぎがしてならなかった。なにか、とてつもない間違いを見つけてしまったような気がして。


「明らかにおかしかったからこそ、全てを明らかにして、義兄上の最期に報いたい」


 はっきりと神官を見据えたカダーシュに、神官が息を詰めた。やがて、身を乗り出すように近寄ると、とても小さな声で囁いた。


「……殿下は、最期に苦しまれたのでしょうか」


 カダーシュが眉をひそめると、神官が、はっとしたように口を手で覆った。完全に虚を突かれたような顔つきで呆然とカダーシュを眺めていたかと思うと、


「すみません、今のは聞かなかったことに」


 神官は慌てて顔を伏せた。神官の頬に涙が伝うのが見えた。


「死に顔は、安らかでしたよ」


 本当は、顔すら見る事が叶わなかったけれど。声を押し殺して泣く神官に、本当のことを伝えるのはためらわれた。


「西の塔に送られた者は拷問ごうもんされると聞きましたが……」


「拷問の事実はありませんでした」


 ルシュディアークが処刑されるまでの間、西の塔を何度も訪れた。あの狭く暗い部屋で他愛のない話をしながら、ルシュディアークの表情をつぶさにみつめ、怪我などの異常が無いかと注意してきた。そのどれもが杞憂きゆうで、ルシュディアークには心配し過ぎだと呆れられたけれど。


「僕は、義兄上が西の塔へ送られたときから、義兄上がイブティサームを殺したということに疑いを抱いています。どうしても考えられないのです。まして、魔族だったなんて。だから、その事実を確かめるためにも、貴女に力を貸していただきたいのです。そして、過ちがあるのなら、その過ちを義兄上の為に正したい。義兄上のことで何かをご存知なら、教えていただきたいのです」


 神官は涙を拭うと、言った。


「生前、ルシュディアーク様からお渡しされたものがあります。私の身に何かあったのなら、これをカダーシュ様へと。渡せばわかると仰られておられました」


 鍵を差し出されたカダーシュは、眉をひそめた。皇族の、まがりなにも皇子から鍵を預かる彼女の正体が気になって。


「失礼ですが、貴女は何者ですか」


「……一神官わたくしのことなどどうでもよいでしょう」


「しかし今は、協力者で、だ」


 カダーシュの。

 そして、ルシュディアーク失墜の真実を暴き出す為の。


「今後お世話になるかもしれません。その際に名前が分からないのは困るでしょう」


 神官はじっと黙っていたかと思うと、小さな声で囁いた。


「……シーリーン」


 カダーシュは、目を見開いた。


「では、貴女が」


 ハピベフ領領主配下、将軍ファイサルの末娘。そして、ルシュディアークのだった少女。


「確か、貴女は婚姻の解消と共に故郷に戻られたはず」


 それがどうして鉄女神マルドゥークの神殿で神官などになっているのか。問い詰めるようなカダーシュに、シーリーンは泣きそうな顔つきで首を振った。


「……あの時、わたくしは殿下へ何もしてあげられませんでした。隣で黙っている事しか出来なかった。だからせめて、冥府めいふでの安寧あんねいを祈ろうと、父上に無理を言ってここに残らせてもらったのです」





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