魔のゆりかご

「ここがそのというやつだ」


 アサドに連れてこられたのは、川のせせらぎの聞こえる場所だった。

目を凝らしてみれば、辛うじて岩のようなものの影が見える。この周辺で川と言えば、ナムティラクだけだ。とすると、ここはナムティラクの近辺ということになる。知らず知らずのうちに皇都ザハグリムに近づいていたらしい。皇都から近い事に焦りを感じながら、川面から漂ってくる匂いに眉をひそめた。初めて嗅ぐ匂いだった。例えるなら、湿った土の香りに、微かな


「金臭いだろう。これが、魔族を見つけにくくする匂いさ。敏感な奴ほど強く感じるらしいが」


 不安げなルークを励ますように、アサドは微笑んだ。


「こっからナムティラクの河口へ向かって進めば、俺の昔馴染みがいる。そいつに頼んで遠くまで送り届けて貰いな」

「昔馴染み?」

荷運びチャスキさ。何でも運んでくれる」


 アサドの口から初めて聞いた、チャスキという単語に首を傾げた。


「チャスキとは何だ?」


 今度はアサドとカミラが目を見張る番だった。


「書物とか、小さい荷物を運ぶんだ。坊主は知らないのか?」

「無い」


 初めて聞いた名だった。書物は従者が受け取り、内容をよく改めた後に皇族に手渡されるのが常。自分で金を払って書物を運んでもらうことも、受け取ることもない。アサドは、困ったように頭を掻いた。


「そのなんだ、知らねぇなら仕方ねえけどよ。ま、今から合流する奴は、魔族だの人間だのにあんまり興味の無え奴だから安心しな……つっても、さっきみたいなことがあったからな、信用できやしないだろうが」


「喋り過ぎだ、目くらましの努力が無駄になったな」


 聞き覚えのない声に、アサドとルークが飛び退いた。アサドが小脇に抱えていたカミラを放るやいなや、腰にぶら提げていた曲刀を抜き放つ。振り向くと、華奢で小柄な影があった。追いかけてきたスフグリムか、あるいはクラフィットかと思ったが、あまりにも細い線は男のものとは明らかに違っている。だ。


「オリビアか!」

「御明察」


 オリビアは曲芸師のような身のこなしでアサドにとびかかると、鋭く斬りつけた。アサドがそれを弾き返す。その一撃はすさまじい。刀身が馬鹿になってしまいそうなほどの音を立て、剣が地面にめり込んだ。オリビアは剣を弾かれ、地べたに放り出されている。ぼごりと音を立てながらアサドが剣を引き抜くと、影が二つ増えていた。一つは、松明を手にした小柄な影。そしてもう一つは。


「剣を置いてその魔族をこっちに遣せ、アサド」


 クラフィットだった。


「よくもまぁ、ぬけぬけと俺の前にツラ出せたもんだな」

「あんたもな。魔族に加担するなら、そこの坊主と一緒に殺すぞ」

「おいおい手前てめえ程度が俺を殺すって……ははは!」


 面白くてたまらないと肩を震わせ、おかしそうに言い放った。


「冗談だろう!?」


 オリビアが、闇の中で立ち上がった。アサドが背後のルークを一瞥し、渋面を作った。参ったという表情かおをしていた。舌打ちを漏らす。ややあって、アサドは覚悟を決めたらしい。二人の男へ向きなおり、言い切った。


「全員相手してやるよ。いや」


 斬りかかってきたオリビアをかわすと、アサドはわずかに姿勢を崩した彼女の腕を掴んだ。それを力任せに放り投げる。微かな悲鳴が水音に混じった。オリビアが落とした剣を拾い上げると、アサドはスフグリムへ投げ飛ばした。

ぱしゃん、と、闇の中で水袋が弾けたような音がした。スフグリムの胸に届く前に、剣がけたのだ。比喩ではなく文字通りに。短剣の柄だけが馬の足元に転がったさまに、アサドが苦笑いを浮かべた。


手前てめえも魔族じゃねえか。坊主よりそこの爺さんをとっ捕まえたほうがいいんじゃないか?」


 言い切った瞬間、クラフィットがアサドの側面から斬りつけた。悪鬼のような形相のクラフィットを、アサドは鼻で嗤う。


「感情的になると剣筋が歪むんだ。もうちっと冷静になれや?」


 脳天を柄で一撃。クラフィットの体が地面へ沈んだ。そして、アサドは表情を引き締める。先刻までの余裕が消えていた。右腕が、ほのかに赤い光を発していたからだ。腕の力が、すーっと消えてゆくような快い感覚に、アサドは顔を曇らせる。


 魔法クオリアを回避する方法は、アサドの知る限りでは二つしかない。光が確認された時点で、優先的にスフグリムを始末する。しかし、スフグリムとの距離がありすぎる。もう一つは、簡単だがとても強引で方法。


(いちか、ばちかの大博打―――俺もヤキが回ったかな)


 ふっと、苦笑を浮かべると、アサドは腕を振り上げた。そして腕を強く振り下ろした。刹那、赤い光と爆風交じりの閃光が真横で炸裂した。想定外の爆風に煽られ、アサドがたたらを踏む。砂粒が頬に降りかかる不快感を堪え、アサドは薄目で発光していた自身の手を確認した。


 右手は、まだあった。


 特殊な事はしていない。魔法クオリアが発動する瞬間を狙って右腕を振り、目標となる腕の座標を強引にずらしただけだった。


 ここに、幸運が重なった。


 一つはスフグリムが面ではなく、位置と範囲を指定したでの攻撃をしてきたこと。位置、範囲の指定無く魔法クオリアを発動させてしまったほうが合理的かと思われるが、あえてそうしなかったのはアサドの足元で伸びている味方を巻き込むのを恐れたからだろう。更に、スフグリムが一人しかいなかったことも幸いした。


魔法クオリアを無理矢理避ける馬鹿など一人しか知らんかったが……やはりお主だったか」


 スフグリムが、得心したように頷いた。アサドが片眉を上げた。


「その様子じゃ、忘れたとみえる」


 老人が苦笑する気配がした。


「まぁ、無理もない。不興を買って牢獄にぶち込まれた不名誉な過去など忘れたかろうて、なぁ?」

「誰だ、糞爺くそじじい

「顔を忘れられたのでは、名を言っても分からんだろうて」


 老人がため息を吐いた瞬間のことだ、足元で見覚えのある光が爆ぜたのは。生暖かいものがアサドの頬と体に飛び散った。月光の下でもよく見える、粘性を帯びた黒い液体。喉の奥が酸っぱくなる程の濃厚な血の匂いに、アサドの口元が文字通り痙攣する。


「仲間、だったんじゃねえのか?」


 老人の左手に赤い光が灯る。その光が足元を照らした。そこにはクラフィットだった肉塊が散乱していた。


「最後通告じゃ、魔族を庇うのをやめよ」

「嫌だね」


 明瞭とも言えるそれに、老人はあきらめたように首を横に振った。

 それが合図だった。アサドの表情が苦悶に歪んだ。

 血を浴びた箇所が無数の針が突き刺さったかのような鋭い痛みを発していた。例えるならば急所を執拗に何度も切り刻まれるのに似ているだろうか。気が触れてしまいそうな痛みの中で、アサドは毒づく。


(あの爺め。無駄話が多かったのも、魔法クオリアの発動が妙に遅かったのも、か!)


 クラフィットの血液を媒介に、血中の鉄分を微細な針状物質に変容させ、クラフィットの肉体ごと飛び散らせて対象にかける。魔法クオリアはクラフィットにかかっているから、魔法クオリアで変容した血を浴びたアサドは避けようがない。間接的な魔法クオリアであった。


「魔族をかばうから、こういうことになる」

「お前も魔族だろうに……!」


 能天気な声がスフグリムの口から洩れた。


「そう、儂も魔族じゃ。ゆえに絶望し、死を選ぼうとしたこともある」

「なら、そん時に死んでおけばよかったな」

「ははは……死ねなんだ儂は臆病者じゃな」


 嘲罵の響きの込められた眼差しを、スフグリムは受け流した。


「しかし、神とは死の間際に救う者じゃて」


 魔族となってしまった男に、転機が訪れたという。スフグリムは続ける。妙に熱のこもった目つきで。


「我らががな、儂に新しい道を創ってくださった。死をもって同胞の苦しみを救い、これを世と人のためとせよ。魔族は死の病を運ぶゆえ、不幸を断つには根幹からの治療が必要じゃ。そう、即ち、死の病を運ぶ魔族を殺し続ければいずれ死の病は無くなり、魔族も潰える」


 アサドの表情が、怒りと苦悶に満ちた。


「狂ってやがる……っ」

「なにをいうか」


 それ以外に方法は無いのだというスフグリムに、アサドはひざを折った。苦しげに呻くアサドへ、オリビアが歩み寄る。手には新たな短剣が握られていた。


「坊主……逃げろ」


 懇願ともとれるアサドの声に、ルークは苦しげに呻いた。アサドもカミラも、ルークにとっては他人でしかない。守らなくても誰も責めもしないし哀しむ者もいない。立場を変えればアサドにも全く同じことが言えた。


(俺をスフグリムに差し出せば、死ぬ思いをしなくて良い。カミラだって怖い思いをしなくて済む。それなのに――――)


 それなのに、彼らは自らの命を危険に晒してまで守ろうとしている。ほんの数時間前に初めて出会っただけだというのに。

見捨てるのは嫌だった。逃げるのは、もっと嫌だった。しかし本能は逃げろと叫んでいる。アサドの声を遠くに聞きながら、剣の柄を握った。それはひたすらに冷たくて、すべらかで、重かった。


(あんな感情を二度も味わうくらいなら)

 

 一歩踏み出し、駆けた。握ったそれを、オリビアへ振るう。があんと音を立てて、白刃が弾かれる。オリビアの剣を弾いた刃が、びぃぃんと振動していた。


「冗談じゃない。俺は恩人を見殺しにできるほど、冷淡な人間じゃないんだ」

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