皇子達の策略

「では、聖王国にはいかがなさるおつもりですか。あそこはアル・リド王国とは対立しております。我が国がアル・リド王国へ使者を送ったと知られれば、聖王国は黙っておりませんよ」


 言い訳を述べても頷いてはくれないだろう。むしろ、アル・リド王国以上にこじらせる可能性がある。皇族同士の親交も殆ど無ければ、文化や思想も何もかもが違いすぎるからだ。


「それは私も懸念しているところでな」


 イダーフが難しげな表情で呻いた。


「あやつら、相も変わらず協会の連中を寄越してきた」


「して、何と」


「遺産を引き渡せ。引き渡せぬのならば軍を遣わす事になるとまで言ってきた。だが立て込んでいるので暫し待てと言ってやった。しかしあれの事だ。恐らく、そう長く待たぬであろう」


 エル・ヴィエーラ聖王国からの使者の言葉は、事実上の宣戦布告と受け取ってもいい。アル・カマル皇国にとっては、最も避けるべき事態だった。


「しかし、に落ちない」


 カダーシュは眉をひそめた。


鉄女神マルドゥークを何故、エル・ヴィエーラ程の大国が欲しがるのでしょうか。周辺の小国や、旧文明の遺産を持たないアル・リド王国が、我が国を危険視するのはまだ納得できるのですが……」


 彼らが恐れる最大の理由は、鉄女神マルドゥークに対抗する手段すべを全く持たないからだ。


「しかし、エル・ヴィエーラ聖王国は違います」


 対抗する手段すべがある。物量、兵士の数、どれもアル・カマル皇国の倍はある。加えて彼らの国に元々存在する旧文明の置き土産も多数存在しているし、必要であればから、彼らが後生大事に保護している兵器を徴用ちょうようしてしまえばいい。なのに何故彼らはああも執拗にと圧力をかけてくるのか。カダーシュには、何かの企みがあるような気がしてならなかった。


「結論として我が国の鉄女神マルドゥークは聖王国にも、王国にも譲らぬ。まあ譲っても使えぬだろうがな」


 ふん。と、イダーフは鼻を鳴らす。


「しかし、交渉材料にはさせてもらう。王国との同盟が確定するまで聖王国には返答をしない。確定した場合、聖王国と対する事になろうからな。これは我が国にとって、どちらと敵対した方がかという違いでしかない」


 陸続きのアル・リド王国と敵対するか。海を挟んで対岸にあるエル・ヴィエーラ聖王国と敵対するか。


「戦になった場合、どちらと同盟を組めば容易に援助をとりつけられるか。答えは自ずと出てくるであろう?」


「しかし、エル・ヴィエーラ聖王国には遺産があります」


「その遺産、現存しているものでどの程度実用に耐え、どの程度兵士に配備し、実戦で扱えるようになるまでどのくらいかかる。その前に遺産の扱いを心得た調律者は、現在あの国にどの位存命している?」


 遺産、遺跡にとどまらず、古代兵器の扱い方を熟知した調律者は少ない。古代戦争の主要国家の一つであったエル・ヴィエーラ聖王国ですら、調律者が二人しかおらず調査すら満足にできていない。その上、専門家の彼らですら、旧文明の全てを理解しているわけではなかった。


「つまり、そういうことだ。心配するなとは言えぬが、心配し過ぎることもない。それに戦争には名分が必要でな。他国のあれが欲しいから攻めるだとか、何となくあの国の王が気に食わないから攻めるというわけにはゆかぬのだ。戦争とは、外交だ。国が取りえる、一番最後の切り札だ。考えの足りぬどこぞの馬鹿のように、簡単に軍を動かす訳にはゆかぬのだ」


 イダーフが気難しい表情を浮かべる。


「あのエル・ヴィエーラ聖王国が、いきなり軍を動かせば周辺の国々が黙っていないのは先程した話で分かるであろう。面倒事を抱えているのは、我が国だけではないということだ、カダーシュよ。日頃からあれらをよく思わない国々は多い。それを分かっているからこそ、あの国も、我が国も、戦の前の根回しが必要なのだ。だから、直ぐに有事になるというわけではない」


 イダーフは溜息をついた後、静かに続けた。


「もっとも、警戒するに越したことはないか……そうだな、海岸沿いの国境と、海洋交易の動きには注視しておいた方が良いか。有事というものは、問題になりにくいものから徐々に表へ現れてくるものだからな。何処からやってきたかも分からぬ小舟が停泊していたり、流民が増えたり。エル・ヴィエーラ聖王国からの交易品が来なくなったり。最終的に我が国が逼迫ひっぱくした状態になったら、支援、救済と称した軍を寄こしてくるかもしれない。戦争とは、武器だけで戦うものでは無いから、生活そのものを締めあげるという静かな血の流れない戦争もあるからな。考えられる可能性は、全て事前に対処まで考えておかねばなるまい。全く面倒くさいものだ」


「……もし、エル・ヴィエーラ聖王国が我が国に軍を寄こしてきたら」


 名分は、やはり鉄女神マルドゥークだろうか。はっきりと軍を遣わすと言ってのけている以上、可能性は高いとみた。


(それに、我が国を攻めることによってエル・ヴィエーラ聖王国側にもまたとない利得が生まれる)


 長年対立状態のアル・リド王国への牽制けんせいに繋がるのだ。上手くすればアル・カマル皇国の領土も手に入る。経済の面からみれば、アル・カマル皇国を拠点とし、アル・リド王国と、そこから東に広がる数多の国家との交易の幅が広がるだろう。アル・リド王国側にも、不利益があるはずが無かった。たった一点、お互いの国が対立関係であるという問題以外は。


「馬鹿正直に我が国の鉄女神マルドゥークを名分として攻めては来ぬだろう。本心は兎も角、な―――で、どうするのだ?」


「何をですか?」


 唐突に問われ、カダーシュが目を瞬かせた。


を炙り出すという話だ」


 露骨に厭そうな表情を浮かべ、カダーシュは胸中でイダーフへ毒づいた。改めて返答を期待されても、答えなどとうに分かっているだろうにと。


 (僕にはできないし、やりたくない)


 それがカダーシュの答えだった。結局は見え透いた茶番でしかないのだ。なによりもカダーシュにとって、以外の何物でもなかった。しかし、目の前で長椅子にもたれ掛かっている義兄イダーフに、はっきりと断るのは躊躇とまどわれた。


「今少し、考えさせていただきたいのですが……」


 場を濁そうとカダーシュは曖昧な笑みを浮かべた。イダーフもまた、その笑みに釣られるようにうっすらと笑みを浮かべ、


「ならぬ。今、返答を寄こせ」


 かくしてカダーシュの逃げ道は失われた。


「仮に僕が義兄上あにうえに協力したとして……一朝一夕では出来ませんし、何より城で働く者を一人、一人、当たっていては埒があかない。せめて、売国奴の目算というものがあれば、多少はお力になれるかもしれませんが」


「何もなく、そなたに話を振っているわけではない。ある程度、誰が内通しているか分かっているから安心してよい。まぁ、そなたの答えを聞かねば教えてはやれぬがな」


 カダーシュは罵りたくなった。大体の下準備を終え、断る要素を予め潰してから話を振っているというわけだ、この長兄イダーフは。


「……交換条件がございます」


 カダーシュから表情が消え、声には明らかな冷たさが付け加わった。


「ルシュディアークの義兄上あにうえが魔族であるという疑義について、独自に調査させて戴きたい」


 イダーフが「ほう」と、面白いものを見つけたとでも言いたげに声を上げる。何か突拍子もない話でも聞けるのではと思っているような、興味の光が目に灯っていた。


「そなたの口からそんな言葉が聞けるとは。よもや、ターリクの決定を覆すつもりではあるまいな」


「積極的に覆すつもりはありませんが、図らずとも西守の決定を覆してしまうという可能性ならば、有るとお答えいたします」


「面白い。心当たりがあるようだが?」


「疑義ならば。目撃者も無く、ただの現場証拠と、守衛の目撃証言のみでルシュディアークの義兄上あにうえを魔族として処断した。貴族であろうが流民であろうが法の下、平等に発言する機会を許された法廷すら開かれずに処刑とは……いささかもなにも、疑問が出るのは当然です」


 だが、しかしと、カダーシュが嘆息する。ルシュディアークが魔族であるか否かという証拠は、どんなに求めても出てこない。


「それから葬儀についてもいささか疑問が」


 と、言い指してカダーシュは慌てて口をつぐんだ。イダーフですら与り知らない不自然なものの一つが、確かに


「どうした?」


 続く言葉を待っていたイダーフが眉を上げた。


「いえ。義兄上あにうえが僕の交換条件を飲んでいただけるのであれば、出来うる限りの協力を致します」


 カダーシュは息を飲んで、イダーフの返答を待った。


「条件を呑もう」


 イダーフは悩むことも無く、あっさりと応じた。どんな要求でもある程度までなら無条件で呑むと踏んだカダーシュの考えは、概ね正しかったらしい。イダーフは売国奴の炙り出しをする為の駒が、喉から手が出るほど欲しいのだ。駒として利用されるのは気分のいいものでは無かったが、交換条件を呑んでくれたのなら、こちらも多少は納得づくで利用されてやろうかという気には、なる。

一つだけ引っかかることがあるといえば、ルシュディアークに関する事件が、イダーフの中でと認識されている事だろうか。血を分けた実の弟が魔族になってしまった事など、イダーフにとっては数ある些末事さまつごとの中の一つでしかなかったらしい。とんだお笑い草だと、カダーシュは思う。皆一丸となって事に当たらねば国の未来は無いと言っておきながら、イダーフ本人は根幹である筈の家族を蔑ろにしているのだから。


「では 義兄上あにうえ、これから僕が行う事に対して、口を差し挟まないで頂きたい。そして証人、例えば西守の者を個人的に調べる事に関しても。そして、僕が義兄上あにうえを探ることに関しても」


 西守と言えば国の法を司る、司法機関だ。皇主カリフも、元老院でさえも、法を司る彼らの決定を覆すことは滅多に出来ないし、不正があれば国の最高権力者である皇主カリフでさえ、法の下に断罪する。独自の権力を持っていた。


 しかしながら、その司法機関の不正を正す者は今のところ誰一人としていない。


 カダーシュは、ルシュディアークの事件に西守が関与しているのではと睨んでいた。法廷の有無も、処刑を急いだ事も。そして、葬儀中に耳にした不可解な会話と棺の中身も。カダーシュは出てくる証拠次第で西守の長、ターリクを告発する心づもりでいた。


「痛くも無いはらの内を探られるのは、気分のいい話では無いが……構わぬ、好きにするがよい。そなたの言うように状況証拠のみでルシュディアークを魔族と決めつけて幽閉し、一月という短い期間で処刑に至ったというのは、前代未聞であるからな。疑問に思うのも無理はない。証拠すら無いのであれば調べる必要性が出てくるのは必定。出来うる限り私も協力してやりたいのだが?」


「それには及びません。僕が言い出した事ですから。義兄上あにうえのお仕事に差し支えては困りますし」


「では、承知したと?」


 カダーシュが首を縦に振った。


「宜しい。ならば、そなたに配下を二人つけよう。一人はジャーファル。そなたも知っていよう」


 多少ならば、とカダーシュが頷いた。ジャーファルといえば、破格の若さで元老にまで上りつめた男だ。彼は昔から神童と呼ばれ、十歳で 科挙ムクーストに合格。アル・カマル皇国軍を擁する東守に配属され、その後みるみる頭角を現し、元服の年齢である十六歳で元老に抜擢されたという、常人にはあり得ない経歴を持っている。信用がおけるかどうかは別問題として、なんとも頼もしい名前が出てきたものだ。


「ジャーファルにそなたを擁立させるよう取り計らおう」


 カダーシュが不思議そうな表情を浮かべた。次期皇位継承者争いに発展した場合、皇族を擁立するのは有力貴族か、元老院でも発言力の有る者達に限られている。ジャーファルのように元老に抜擢されて十年も経っていない新参が皇族を擁立したことなど、カダーシュには聞いたことも無かったからだ。


「不服か?」


「いえ、珍しいと思いましたので」


「確かに珍しくはあるが……」


 イダーフが言い淀む。続く言葉を、カダーシュは分かっていた。妾腹の皇子を擁立しようとする物好きなど、元老にも、有力貴族にもいないからだ。


「頼りにはなる。分からない事があれば、奴に聞くが良い。他の連中より、遥かに優しい」


 確かにジャーファルは温厚な人物だと聞いている。噂通りの人物であれば実に頼もしいが、回り過ぎる頭のせいで黙って大人しく従う人間ではないだろう。頭が良すぎることで出てくるは、意外と多いものだ。しかし、またとない好機でもあった。ジャーファルに自分を擁立させれば、多少なりとも無茶はきく。


「もう一人は、ダルウィーシュだ」


「 西守の、彼ですね」


 もう一人の名を聞いて、カダーシュは義兄あにルシュディアークの処刑に立ち会ったという男の顔を思い起こした。


(彼ならば、を、詳しく知っているかもしれない)


「連絡役として申し分ないだろう」


 そこまで言い切ったイダーフの耳に、部屋の扉を遠慮がちに叩く音が飛び込んできた。扉の外から聞こえてきた声の主は、イダーフの従者だった。


「お話のところ大変申し訳ありません。イダーフ様、そろそろ」


 日頃から義兄あにに付き従っている従者の表情には、微かに焦りのようなものが浮かんでいた。それを見ると、イダーフは、あっという声を上げた。


「カダーシュ、肝心の話はダルウィーシュに聞け。更迭された者の仔細も伝えるよう手配してある。連絡役にはそなたの従者、カリムを使え。それから―――あまり独断で動きすぎるなよ」と言い捨て、慌ただしく部屋を出ていった。


 その後姿へ、カダーシュは苦笑を漏らした。あの長兄は素知らぬ顔をしていながら、カダーシュの悪癖はしっかり覚えていたらしい。一を知れば百を知り、周りの影響を顧みず、正義感のままに突っ走る厄介極まりないその癖を。だからかと、カダーシュは納得した。先程イダーフが傍につけると言った者達のことだ。ジャーファルというとんでもなく頭の回る者を傍に置き、ダルウィーシュで監視しようとしている。城内で味方の少ない


 そのイダーフ、回廊の中ほどにまで来て、いきなり歩を緩めた。

後から息を切らしてやってくる従者を振り返り、人目をはばかるように周囲を見回し囁いた。


「夕刻になったらターリクを私の執務室へ呼んでこい。損害が出る前に言わねばならぬことがあるのを忘れていた。奴が無用な事をしでかす前に話しておかねばならぬことがある


 と、言葉を区切り、眉をひそめ、言った。


「それから、カダーシュを見張っておけ」


 従者が一瞬、何を言い出すのかと眉を顰め、いぶかしげに自らの主のかおを伺った。


「……殿下、よもやとは思いますが」


「そなたが案じておる事はせぬ。




当サイトに掲載されている写真、イラスト、文章の著作権は早瀬史啓に帰属します。無断での複製・製造・使用を全面的に禁止します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る