初陣の終わり

 その頃、ルークは何度目かの人殺しを行った。すくみあがるような雄叫びを上げて襲い掛かってくる男を斬りつけ、無心でとどめを刺した。湧き上がってくる震えを耐えながら死んだ男を眺める。苦痛に歪んだ顔が、天を睨んでいた。


(これが夢だったら、どんなに良かっただろう)


 悪い夢だったのだと、アルルに顔をめられて目覚めるのだ。

それからウィゼルがアルルをたしなめて、イスマイーラに顔を洗ってこいと言われて、幾度となく繰り返した朝が始まる。現実いまを想えば夢想でしかない。いいや、夢想ではなく確かにあったのだ。あの暖かで平穏な毎日は。今は、両手に塗れた血が。斬り捨てた敵の感触が、そんな平和で暖かな記憶はであったのだとでもいうように赤く塗りつぶしてしまった。


(ハリル達と共にゆけば、ことくらい分かっていたのにな)


 いまだに暖かなあの記憶ころが忘れられない。それどころか、帰りたいとすら思ってしまう。


「怪我は」


 傍にいたイスマイーラが、心配そうな顔で声をかけた。


り傷だ」


「それにしては」


 酷いありさまだと言いたげなイスマイーラの顔つきに、改めて自分の格好をみた。白かった服は茶色い染みのようなもので染まっているし、汗と血の匂いで鼻が曲がりそうだった。


「お前とはぐれた時のことを思い出すよ」


 あの時もこんな状態だった。全身血塗れで、鼻が曲がりそうな匂いをかもし、自身の悲惨な姿に無自覚なまま野を彷徨さまよい歩いていた。


「そういうお前も他人ひとのことを言えないな」


 イスマイーラもまた似たような酷い有様だった。返り血を浴びた顔には砂が張り付いていた。服も血で濡れて、ずっしりと重そうだ。なのに、イスマイーラはさほど苦もなさそうな表情をしている。


「落馬したのですから、これ位は仕方ありません」


 ウィゼルと別れた後、後方に忍び寄っていた敵からの猛攻に遭い、ルークはハリルと引き離されていた。わずかな手勢と一緒に滅茶苦茶に戦っている内にボラクから転げ落ち、敵と切り結ぶ羽目になってしまった。けれどいま、ようやく敵を追い払えた。ひと心地つく余裕すら出来たのに、心臓は痛いほど脈打っている。足元に転がった人々を見下ろして、顔を歪ませた。

 

「慣れないな。人を斬るのは」


「慣れずとも宜しい」


「前に人を傷つけることを覚えろと言ったのは、誰だったか」


「私ではありますが、殺すことに慣れろとは一言も言っておりませんよ」


 そう言うと、イスマイーラは大きく息を吐いて戦場を見渡した。


「敵が退却を始めました」


「また退却すると見せかけて、俺達を誘き寄せようとしているのかもしれない」


 戦場は汚かった。そして、賑やかだった。戦太鼓の音に剣や弓、槍の交わる音と悲鳴。騎獣のいななきと怒号が間断なく吐き出され、胸焼けのする憎悪が戦場を覆っている。その中で、敵の戦鼓が退却の合図を打ち鳴らしていた。徐々に遠ざかってゆく敵の一団からサクルの群れが一斉に飛び立つと、それを射落とそうとカムールの騎兵達が矢を射かける。数羽のサクルが射落とされていた。


「あの中に、タウルはいたか?」


「いいえ、確認できませんでした。もしかすると、いま戦っていた中にいなかったのかもしれません」


「俺を殺す良い機会のはずだが……」


 イブリースが完全に退却したのは、その日の夕刻前だった。

はじめこそ陽動の可能性を考えて全員で警戒していたけれど、向かってくる気配が無いことがわかるとルーク達もまた移動を始めた。

日が傾き始めるころには、戦場からずいぶんと離れたオアシスに行き着いていた。


 ハリル曰く、ここはまだ、マガン北部だという。


 平時であれば潤いを求めた商人達の姿が散見されるはずなのだが、いまその影はなかった。マガン周辺の住人たちの影も皆無と言っていい。代わりに武装した屈強な男達が忙しく働いている。

見張りと偵察を除き、動く元気のある者達はオアシスに転がっている回転草タンルードを寄せ集めて簡単な寝台を作り、その上に怪我人を寝かせて手当てをしていた。死亡者は大型の円匙えんしで穴を掘り、大地母神アシェイラへの聖句を述べた後で埋めた。


「怪我人は何人になる」


「二十名ほど。死亡者は十三名。落伍者が四名。健闘した方です」


 ルークは焚き火を囲う五人の男達に向き直ると、おもむろに頭を下げた。


「すまなかった」


 ハリル、イスマイーラ、そして北カムール出身者のジアという大男と、中央カムール出身のバラクという小柄な青年。それから南カムール出身者のソマという青年が厳しい眼差しを向けた。最初にイブリースと衝突を果たしたのは、ソマのいた部隊だった。


「ふざけるな」


 気の強そうな四角い顔に怒りを滲ませて、ソマは吐き捨てた。


「死亡者と怪我人のほとんどはうちの奴らだ。誰かが敵をひきつけなくてはイスハークの奴らを逃がせられない。だからえて敵を迎え撃ったんだろうが……人の命を何だと思っている。すぐに退却の合図をしてくれたら死人は出なかった。なのに、なんだあれは。俺達はなんだ、当て馬か?」


「そう思ったことは一度もない」


「都合のいい駒だろうが、どう見ても!」


「喧嘩をしてもらいたくて呼び集めたわけじゃないんですがね」


「あんたは黙ってろ、ニザルの息子!」


「いい加減ハリルって呼んでもらえませんか。南の連中に親父殿の名前で呼ばれると緊張するんですよ」


「じゃあ、尻をまくって逃げた卑怯者の息子と呼んでやる」


 ソマが鼻で笑うと、ハリルは吐き捨てるように言った。


「真っ先に逃げちゃったんで否定はしませんがね……」


 おさまるかと思われた怒りは、ルークからハリルの方へ移っただけだった。ソマは凄まじい剣幕でハリルを睨みつけると、まくし立てるようにわめいた。


「だいたいな、あんたも、あんただ。遊興のようにやってきた殿下の言う事を何故聞こうとする。たしなめもしないのは皇主カリフに都合よく取り計らってもらっているからなんじゃないのか、ええ。北カムールは昔から皇族と仲がいいからなぁ。此度でもまたぞろ便宜を図ってもらうつもりなんだろう!」


「皇族との仲が良いのは認めますけど、袖の下で手を握り合うような仲じゃありませんよ。とりあえず、話し合いをしましょう。座ってくださいよ。そんな物騒なものを置いて、ね」


 剣の柄を握るソマをハリルは睨んだ。その彼の右手も、剣の柄を握っている。


「ソマもハリルもその辺にしてくれ。まず現状として、イブリースはマガンの南へ退却。その後の動きは無しでいいんだな?」


「偵察からの報告はありません――――何処へ行くんですか、ソマさん」


 立ち上がったソマが、溜息を吐いた。


「これ以上、兵隊ごっこには付き合いたくない」


「……皇主盟約における俺達の任務、分かってますか。カムールの防衛ですよ。立ち去るのなら命令を放棄するとみなしますが」


「ばかばかしい」


 さっと、ハリルが顔色を変えた。


「それは抗命こうめいするということで?」


 腹の底から震えが来るほどの冷たい声を、ルークは聞いた。


「だとするならどうする」


「処罰します。皇主カリフの名において」


 ハリルが剣を抜いた。ソマも応じるように剣をずらりと抜く。

 二人が構えた瞬間、ルークはその間に割り込んだ。


「二人とも落ち着け。お互いに疲れている、だから二人とも少し休め。今後の作戦が決まったら、追って述べる」


 ソマが鼻で笑った。


「疲れてる? 休んでどうにかなるのか、これは。頭を挿げ替えた方が余程いいように思うがね」


「殿下へ対して、不敬ではありませんか」


「おためごかしばかりで実力の伴わない莫迦ばかな皇族をどうやって敬える?」


 剣を握るハリルの手を掴み、ルークは厳しい面持ちで首を振る。そして、ソマへ淡々とした口調で言った。


「そうだな、生憎平和だったおかげで俺には戦争の経験が無い。敬われなくても仕方ないと思う。ジア、ソマを休ませろ。これ以上の話し合いは難しい」


 強張った顔つきでジアが立ち上がると、ソマの肩を軽く叩いた。何事かを小声でささやきながら去ってゆくのを、ハリルは底冷えのするような目つきで睨んでいた。


「ハリルも休め。気が立って冷静に話し合える状態じゃないだろう」


「いま怒るべきは、殿下の方でしたよ」


「怒って解決するなら幾らでも怒る。でもそうじゃないだろう。バラクもイスマイーラもすまない。話を続けよう」


 バラクが、震えるような息を吐いた。


「すみません、殿下にこう言うのは凄く失礼かもしれないのですが……五年前の内乱すら経験していない殿下に率いられて、勝てるはずだった敵に逃げられて、そのうえ十三人も命を落とした。俺だってこういう事は言いたくないけど、正直、謝るくらいなら俺達を率いて欲しくなかった。俺達も分かっていたんです。ジアも、ソマも。俺達が囮でもしない限りイスハークの奴等が逃げられないってのは。だから納得してもいた。殿下ばかりを責めるのは間違ってるって分かっちゃいるんです。でも、俺達はもう、限界なんです……ねぇ殿下、硝子谷からの援軍は、いつ来るんですか。来るのだとしたら、あとどのくらい俺達は頑張ればいいんですか?」


 悲嘆の中の微かな希望を滲ませるバラクに、


「硝子谷までは援軍が来ません」


 答えたのは、ハリルだった。


「援軍が来ないって、どういうことですか……!?」


「本隊の準備が遅れているんです。俺達はそれまでに敵を惹きつけておかなくてはいけないんですよ」


 ルークは、唇をかみしめた。


(カムールの民がこれだけ苦心して王国軍と戦っているのに、硝子谷の連中は便りすら寄こしてこない……!)


 胸に渦巻く怒りをなだめるように溜息をつくと、


「硝子谷の準備が整うまで、もう少し頑張って欲しい。それでも、もう頑張れないのなら無理は言わない」


 バラクが気まずそうに顔を逸らした。ハリルも、イスマイーラも気難しい表情で黙り込んでいる。気が付けば、何人もの人々が、ルーク達を囲っていた。話し合いの行方を見守っているらしい全員が、それぞれの表情でルークをじっと、みつめている。それらをぐるりと見渡すと、言った。


「皆の選択に任せる。どうしたいか、今夜中に決めてくれ」




当サイトに掲載されている写真、イラスト、文章の著作権は早瀬史啓に帰属します。無断での複製・製造・使用を全面的に禁止します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る