小さな綻び

「殿下になら、本当のことを喋っても良かったんじゃないの?」


 西守での話し合いを終えた帰り道。まだ昼日中の強い日差しが白亜の城を白々と照らしていた。それを眩しげに眺めながら、黙り込んでいるアサドを振り返る。文句の言いたげな仏頂面があった。


「睨まないでよ。こっちだって気分悪いんだから」


「ああいうところは、嘘を吐かねえと面倒くさいことになるんだよ」


 アサドが跳ね橋を渡りきる。重い足取りが彼の本心を如実に表しているようだった。


「あの場で本当のことを全部話しちまったら、今頃まだ西守で質問攻めに遭ってただろうぜ。とはいえ、結局のところ皇子様には見破られちまったけどな」


「そうかしら。ルークのことを聞きたそうにしてはいたけど……」 


「見破ってたさ。でも、お前さんの話しぶりを観察して嘘に付き合うことにしたのさ」


 城内でのルシュディアーク派だった者達を排除しようとする動きがあることや、西守が得ている情報をわざわざウィゼルとアサドの前で話したのは、カダーシュの遠回しな意思表示だ。


 ”ルシュディアークの義兄上の身に起こったことを知っている。”


 あの短時間のうちに全員の顔色を伺い、誰がどの程度の情報を知り、誰が自分とルシュディアークの味方たり得るかを把握し、邪魔を仕掛けそうな者の手を塞ぎ、自分にとって有利な話しをする。それを、カダーシュは短いやり取りの中でしてのけた。ルークよりも一回りも小さな子供のくせに、よくあれだけの判断ことが出来たものだと、アサドは苦笑した。


「全く皇族ってやつはとんでもない」


「でも私、まだ納得したわけじゃないのよ」


「あんだけカダーシュ様から情報を与えてもらったってのに、まーだ納得してねえのかよ」


「あたりまえでしょう。ルークが危ないのには変わりがないのよ」


 根本的には何も解決していない。兵の増援については叶えられたけど、肝心のルークが助かる道が見えてこない。


「ルークがアル・リド王国軍を退けたら、全部解決すると思ってる?」


 アサドは冴えない顔つきで黙り込んだ。


「やっぱり」


「坊主がアル・リド王国軍を退けるような派手な戦果を挙げれば、全部とはいかねえが、多少ましになるかもしれないとは思ってる」


「奪われた皇籍も元に戻してもらえると思う?」


「思う」


「私には、どうしてもそう思えないわ」


「魔族ってのが引っかかってんだろう」


「そうよ。何人もの人が、ルークの不思議な力を見たわ」


 アサドは気難しい表情で唸ると、まるで物の値段でも尋ねるように聞いてきた。


「その魔族ったってよ、坊主が魔法クオリアを使ったところをどのくらいの奴が見た?」


 思い出した途端、口を噤んだ。魔法クオリアをかき消したというあの不可思議な力をルークが使ったところを見た人間が、そんなにいないってことに気付いたからだ。


「でも、その人達が噂を流したら」


「その噂を流したとして、それを本気に捉える奴がどれほどいるか。なあ、坊主に実は魔族だったっていう噂が流れたとしたら、お前はどう思う」


 アサドらしくない愚問に、足が止まる。


「私はルークがどうして城を追われたかを知ってるから、事実を信じるわ。でも、大多数の人達はルークの身に起こったことを知らない。噂を信じる人もいるだろうし、噂を疑う人もいると思うの。ねえ、そもそもアル・リド王国軍を退ける前提での話はする意味がないと思わない?」


「大国に勝てるわけがねえってか」


「そうよ。勝てることなんて万一にも無いのに、どうして皆この国が勝つような話をしているのか分からないの」


「そりゃあ、勝つ算段があるからだろう」


「どういう算段よ」


「さてな。この国がアル・リドなんて大国を退けられるってんだから、俺達には予想もつかねえことをしでかすつもりなんだろう」


 自然と顔が強張る。なんとなく不吉な予感がして。

 

「国の考えていることは俺も分からねえが、その算段の中に坊主が混じってるのだけは分かる。坊主を国に連れ戻すって話があるなら尚更だ。ま、嬉しくねえのはわかるさ。でもな、そういう事は、坊主も分かってたはずだぜ」


 そう言って、アサドはウィゼルの頭を撫でた。


「……坊主には二度も命を助けられた。一度目は俺が馬鹿な同輩を殴った時。二度目は同輩に殺されそうになった時。おい、二度もだぜ。二度も坊主に借りを作っちまった。なら、今が恩を返す時じゃねえかなって思うんだ」


「カムールに行くのね」


 心配すんなと、アサドは苦笑した。


「俺はこれから準備をするから、お前さんは先に店に戻ってくれ。店の親父さんにはお前さんの事情も話してあるから、当分そこで厄介になるのも良い。カミラについては、まぁ、あいつは一人でもやってけると思うが、たまに人恋しくなるみたいでよ。カミラが望むなら傍にいてやって欲しい」


「言われなくてもそうするわよ」


 また一言も言わずに何処かへ消えたら、今度はカミラに何を言われることやら。帰ってきた途端に泣かれるかもしれない。


「アサドの事情も話しておくけど……良いわよね?」


「おう。あいつも俺の秘密を知ってるから、なんも問題ないぜ」


 言ってから、歩き出す。ふと、アサドが神妙な顔つきで振り返った。


「それからお前さん、帰り道には気をつけろよ。今はアルルが傍にいるとはいえまがりなにもマルズィエフに目ぇつけられてんだ。どこで何されるかわかったもんじゃねえからな」


「分かってるわよ、そんなの」


 なんて言ってアサドと別れた傍からつけられるなんて思いもしなかった。


 つけられているとわかったのは、街道を歩いてすぐだ。最初になんとなく違和感があった。誰かに見られているような、それでいて、つけられているような。最初は気のせいだと思った。そうじゃなくても、一緒に居るアルルのせいなのかもしれないとも。


 アル・カマル皇国には竜がいない。生息している場所が違うせいだ。竜はエル・ヴィエーラ聖王国の山岳地帯ホルフィスのさとか、それよりも北の極海にしかいない。そんなボラクよりも珍しい生き物を引きつれて街道を歩いているんだから、自然と衆目を集めるというもの。しかも竜を連れた女の一人旅とくれば、珍しいなんてもんじゃない。だ。でも、アル・カマル皇国で荷運びチャスキを始めてからはいつものことだった。それでも視線はうっとおしい。街道の賑やかさを避けるように路地裏へ入った。人通りが少ないせいか、街道よりもひんやりとしている。影が多く、二階の窓を開け放して、隣の家と縄を繋げて洗濯物を干していた。色とりどりの衣服が風に揺られ、時折ばさりと音がする。

 後ろを歩く気配も一緒についてきたのへ、眉をひそめた。竜が珍しいからついてきたってわけじゃなさそうな堂々とした足音へ振り返る。


「何か私に御用?」


「お久しぶりね」


 この場所ではちょっと見ないエル・ヴィエーラ人の女が微笑んだ。とびきりの笑顔だ。懐かしい知古に出会ったかのような表情が、今は心寒い。


「確か、シルビアって言ったっけ」


「名前も覚えてくれてたのね。嬉しいわ」


「私は嬉しくないわ」


「そうねえ、あまりよろしくない出会いだったものね」


 シルビアが困ったように口元を歪めた。いや、困ってるんじゃない。どういう表情をした方が話をしやすいか判断しあぐねているんだ。その証拠に目だけはさっきから一切笑っていない。


「そんなに警戒なさらないで。貴女を脅迫しようなんて思ってもいないから」


「そう。それじゃあ、さようなら」


 つっけどんに言い放って歩み出した足が、


「貴女のお兄様から伝言があるの。口頭で申し訳ないけれど。聞くつもり、ある?」


 止まった。


「そんな事を聞いてくるってことは、私と兄さんの関係、知ってるわけだ」


「事情はあらかた。家の事情って色々あるから、貴女のような複雑なご家庭が珍しくて茶々を入れたいとかそういう事はないの。ただ、聞く、聞かないの選択肢は一応、貴女にもあるってこと」


 なんて口では言っているけど、強引にいう事を聞かせるつもりだ。とはいえ、聞かないというつもりもない。十数年前から音沙汰の無い兄の言伝てが気になって。


「……兄さんは、なんて」


鉄女神マルドゥークの神殿に来て欲しい」


「なんで私が神殿なんかに行かなくちゃならないのよ」


「あら、その顔は分かっているのだとばかり思ってましたけど……やっぱり話通り記憶がないのね。それとも思い出したくないのか。まぁ、酷い記憶だそうですし、思い出したくないのならそれはそれで忘れたままの方がよろしいのかも?」


 歯に衣着せぬ言い分にもやもやとして、アルルの手綱を握りしめた。アルルが怒りだすような唸り声を発したけれど、シルビアも引かない。


「……貴女ね、ルシュディアーク殿下のなの」


「代わり?」


 ええ、と、シルビアが頷いた。余裕ぶっていたさっきとは違って、表情はぎこちない。


「そう、代わりなの。殿下では駄目だった時の代替え」


鉄女神マルドゥークに関われるのはルークだけのはずだけど」


 言い放った途端、シルビアの瞳に憂いが混じった。


「……かの鉄女神マルドゥークを作り出した者が自分の子供達に鍵を授けたっていうのは知ってるのね。ええ、そうよ、そう。もう二度と悲劇が起きないようになんて言って、血に鍵を仕込んだの。御大層な言い分よね。二度と悲劇を起こしたくなかったら、鍵なんか作らなければよかったのに。そのまま誰も制御できないまま鉄女神マルドゥークを放置しておけば朽ちるのだから。でも、子供達に鍵を授けた。矛盾ではなくって?」


 眉をひそめる。シルビアの言っていることの半分も分からない。分からないのに、背筋が泡立つ。聞いちゃいけないような気がした。でも、その先を、気持ちの方が強くて。


「何が言いたいの」


「貴女のお兄さんから鉄女神マルドゥークのことを聞いた時、私、こう思ったの。本当は使のではなかったかしらって。後世忘れ去られたころにこっそりと、その鉄女神マルドゥークを壊せるように鍵を仕組んだのじゃないかしらって。ねえ、こう考えたらわざわざ鍵を作った理由としては納得できない?」


「だから、なんで私と関係があるのよ。関係があるのはルークでしょう!?」


 苛立つウィゼルに、シルビアは無表情で頷いた。


「そう。鉄女神マルドゥークと関係があるのはルシュディアーク殿下お一人。けれどその鉄女神マルドゥークに別の方向から干渉できる者がいたの。それがエリシャ。まさか鍵が貴女の中にあるだなんて、彼から聞くまで分からなかったわ。まぁ、貴女にとっては知らないほうが良かったのかもしれませんけど」


「え?」


始原の主エリシャよ。太陽神ホルシードカマル、そして人の守護神鉄女神マルドゥーク。それらを作り出した神話の創世主であり、天柱バベルの管理者」


 言葉の意図が分からないまま。シルビアは歌うように続ける。


「原初を取り戻すための揺篭ゆりかごであり、鉄女神マルドゥークと対を為すもの。やがて忘れ去られ、神々の裏切り者と一緒に歴史の中に埋もれた。ねえ貴女、本当はウィゼルシードってお名前じゃないんですってね」


「……いいえ、私の名前はウィゼルシードよ。竜の民ホルフィスの子として、竜の民ホルフィスの証であるホルシードの一字を与えられた。私は竜の民ホルフィスのウィゼル」


 シルビアを睨み据えると、彼女は酷く憐れむような微笑みを浮かべ、


「そう、今の貴女は竜の民ホルフィスのウィゼルシード。でも本当の名はエリシャ。エリシャ・始原の主エリシャと同じ名を持つ、やがて芽吹きを迎えるための哀れな子」


 指を指された瞬間、視界が暗くなった。頭の中で、ぶつっと、何かの切れる音がした。




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