第26話 優しい日陰

 それから、クラスの中で付き合うなら誰か、という話になった。今日の活躍もあってか爽やかなスポーツマンタイプの人が人気ではあったけれど、まだそこまで男子と仲を深められている人はいないようで、皆強いて言うなら、と消去法的に選んでいるようだった。


 男子が聞いたら傷つくかもしれない、と思ったけれど、もしかして今頃男子も同じような話をしているのだろうか。


 彼の顔が浮かぶ。きっと私の名前は挙げないだろう。


 私は、ニノマエでしょ? と聞かれたけれど、先程それ以前の問題だと気付いたので、首を横に振った。


「大野さん」


 そう答えた。大野さんは飲もうとしていたお茶を吹き出してしまったけれど、周囲からは、それなら私も、と続々声が上がる。


 わたしのだから駄目だよ、と冗談で立ちふさがる小川さんが可愛くて、大野さんは再び彼女をお姫様抱っこした。


 すると、何人かの女子からも要望が上がり、同じように抱き上げてもらうための列が形成された。膨れる小川さんには申し訳なかったけれど、私もしてもらった。不覚にもときめいてしまったので、もしかしたらこの気持ちが恋なのかもしれない。



−−−



 午後のプログラムの準備などで何人かが抜けると女子会は自由解散となったので、私もグラウンドに戻る。


 に行くと、進藤くんと九十九くんがいた。


「だからさ、八方美人を非難されても、どうしようもないんだよ。人によって態度変える方がどうかと思わない?」


「そうか?」


「ダブルスタンダードなんて、下手をすれば暴力だよ」


 途中からなので話の意図は掴みきれないが、どうやら『今日の禅問答のコーナー』の開催中らしい。


 『今日の禅問答のコーナー』というのは私が勝手に呼称しているだけで、本職のお坊さんに聞かれれば違うと言われてしまうと思うけど、時折妙に深い答えが出てくる感覚がどことなく的を射ているように思うので、個人的には気に入っている。


 進藤くんは時々興味深い題材を持ってきてはこのコーナーを開催し、九十九くんに投げかけてその答えで好奇心を満たしていくのだ。


 私はそれを、よく隣の席で拝聴させてもらっている。今日もその癖が出たのだろうか。声をかけ忘れ、後ろからこっそり聞く形になってしまった。


「悪平等でも同じことだ。相手が違えば関係性も違う。築いてきたものも違えば、そもそもの個性も違う。それを無視してならしても仕方がない」


「それはわかるけどね。Aさんは好きだから優しくする、Bさんは嫌いだから厳しくする、なんていうのもおかしいでしょ?」


「相手によって態度が変わるのは、積み重ねたものが違うからだ。どうありたいと思うかが異なるからだ。相手のことをちゃんと見て、表面上だけではない付き合いを願うからだ」


 この話は、先程私が考えていた話と通じるものだろうか。九十九くんだけ、他と少し違うのは。彼だけと積み重ねたものがあるからだろうか。


「お前の例で言うなら、問題にするべきはBさんへの態度が暴力的なものかどうかだ。違うこと自体が問題なわけじゃない。お前だって」


 九十九くんの目が、進藤くんを捉える。


「俺とその他で、接し方が違う。それはお前が、他と俺との違いを認めてくれているからだ。平等であるためだと言って、お前がそれを見誤ることがないのなら、それは八方美人なんかじゃないだろ」


「……なるほどね。ところで」


 くるり、と進藤くんが振り返る。目が合った。


「混ざらなくていいの?」


「違うの」


 そうだ、声をかければよかったんだ、ということには、今になって気がついた。これがいけないんだ。また間違えた。


 そう思って慌ててしまったので、私はまた墓穴を掘ってしまう。


「ストーキングじゃないの」


 ははははっ、と笑う進藤くんの奥で、九十九くんが厳しい目をしている。やらかした。


「ごめんね、独り占めして。そろそろ返すよ」


 そういって、進藤くんは九十九くんをこちらに押しやって何処かへ行ってしまった。


 彼の心が見えていた私には分かる。彼は九十九くんの言葉が嬉しくて、でも真っ直ぐに受け取るのが照れくさいから、私をダシに誤魔化して逃げたのだ。


 私もやることだ。それは責めるまい。ただ半分は彼のせいなので、欲を言えば、この空気をどうにかしてから行って欲しかった。


 おそるおそる九十九くんを見る。どうやら気にしていないようで、また日傘を広げて差し出してくれた。


 それを見て、私は一歩下がる。


「使わないのか」


「うん。いい」


「お前が女子達に何を言われたのかは知らないが」


 ストーキングがどうとかは、やはり失言だった。彼の視線を感じる。目を見てしまったら逃れられないと思って、私は目を伏せた。


 首筋に感じる太陽の熱が遠のき、足元に大きな影が落ちる。


「俺は、いいと言った」


 あの時、空き地でくつろぐ猫を見ながら、彼の言った言葉。


 また一歩、私は後ろに下がって、優しい日陰から照りつける太陽の下に出る。


「うん。でも、いいの」


 彼がくれる優しさの価値を、私は測れていない。私はそれに、何も報いていない。


 それなのに、彼の優しさをずるいと言って、だから仕方ないみたいにそれに甘えて。


 何も返せないままでいるのなら、その方がずっと卑怯だと思った。


 それをしてしまったら、彼の優しさは私にとって、ただ自分に都合がいいだけのものになってしまうと思った。


 彼は諦めたように傘を畳んで競技場の方に向き直る。その様子を見て、もうすぐ午後の部が始まる時間だということに気づき、横に並ぶ。


 午前と違って、彼と私の間には、一人分の余分なスペースが空いていた。


 降り注ぐ日差しが、今までで一番、熱く感じる。

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