閑話

ハッピーバースデー、九十九くん①

閑話を挟みます。全3話。

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 学校の購買というものを、私は初めて利用した。


 私は朝が弱い。でも時間には余裕を持って行動したい。だからわざわざ早めに起床して、ゆっくり朝の支度を行いながら眠気を覚ましていく。


 それが私の生態だった。だけど、その日は珍しく、起きてから眠気が覚めるまでが早かった。


 最近嬉しいことがあったため、胸が幸せな気持ちで満たされている。その気持ちが、覚醒を促すのに一役買っているのだ。


 朝きちんと目を覚ますことが出来るのであればもう少しゆっくり起きることも出来る。元々は寝ぼけたまま支度をすることで見落としが発生してしまったので、朝の支度中にきちんと目が覚めるようにしなければ、と身体に染み付かせた習性なのだ。


 きちんと覚醒していれば見落としは起きない。だからゆっくり起きてもいい。そう思っていた。


 胸が幸せで満ちているがゆえ、そちらに気を取られて忘れ物をするだなんて、まるで考えていなかった。


 今日はお弁当を忘れた。


 母の作るお弁当は美味しい。別に調理関係の職に就いていたりすることもなく、そういう経歴がある訳でも無いけど、私はとても好きな味だ。その味で育ってきたからかも知れない。


 だから、お弁当を忘れてきてしまったことは少なからずショックだった。朝、学校について授業の準備をしようと鞄を開けたときに、そこにあるはずのお弁当がなかったときの衝撃ったらない。


 しかしだからといって、お昼を食べないわけにはいかない。人が生きるにはエネルギーを使うのだ。ということで、私は十月になって初めて、学校の購買を利用することにした。


 学食の利用でも良かったのだけど、教室で友人と一緒に食べたかったので、購買にした。そう、いつもは昼食は教室で友人と済ませているのだ。お昼の時間に、購買の近くへ行ったことはこれまでなかった。


 なので、初めて向かった購買で長い行列を見た時は絶句してしまった。こんなにいるのか、と思ったが、よく考えたら学校中の生徒が利用するのだ。各クラス数人ずつでも来ればまとまった人数になる。思えば、フィクションの世界でも混んでいる描写がされていることが多い気がするので、そういうものなのだろう。


 最初の衝撃の割に回転率はよく、商品を見渡せるようになるのはすぐだったのだが、それでも慣れない行列に並んで精神的に疲れてしまったことと、私も早く買って早く退かなければ、という思いに急かされたことが相まって、今日のご飯はメロンパン一個で済ませることになった。


 もう絶対にお弁当だけは忘れないようにしよう。そう心に決めながらメロンパンを片手に教室に戻っていると、廊下で進藤くんとすれ違った。


「やあ。珍しいね、人見さんが購買なんて」


 進藤くんは同じクラスの好奇心旺盛な男子だ。その持ち前の好奇心故か、誰とも分け隔てなく積極的に接するのでとても顔が広く、私もそれなりに親交がある。


「うん。お弁当忘れちゃって」


「そりゃ大変だね。でもだからって、メロンパン一個で大丈夫? 無理すると、またハジメに心配かけるよ」


 痛いところを突かれてうっ、と呻く。ハジメ、とは仲良くしているクラスの男子、九十九くんのことだ。私は前に一度、熱中症で倒れて心配を掛けてしまったことがある。


「だ、大丈夫。意外とボリュームあるし、今は十月だし」


「ま。無理はしないようにね。そうそう、ハジメといえば、聞いた?」


 私が首を傾げていると、特別な秘密を教えてくれるみたいに、彼は言った。


「ハジメの誕生日なんだけどさ」



---



 廊下を駆け抜け教室に飛び込む。自席は入口からほど近く、いつもそこに集まって友人たちと昼食を取っている。


 先に昼食を食べていた友人は、飛び込んできた私に驚く……ことはなく、いつもと変わらない様子で声をかけてくれる。


「どうした、昼飯買えなかったか? あたしの弁当わけてやろうか」


「うん。ありがとう」


「いや買えてるじゃねえか」


 この長身美人で男の子勝りな口調の女の子が大野真咲ちゃん。


「慌ててるみたいだけど、何かあったの?」


 この小柄でほんわかした優しい雰囲気の女の子が小川結季ちゃん。二人とも私の大切な友人だ。


「そうだった。二人は、九十九くんの誕生日って知ってる?」


「ニノマエの? いや、知らねえけど」


 ニノマエ、というのは九十九くんのあだ名だ。ついでに言えば、先程進藤くんが口にしていたハジメ、というのもあだ名だ。彼は女子からはニノマエ、男子からはハジメと呼ばれている。


「近いの?」


「もう過ぎちゃったんだって。十月一日」


 ふっ、と二人が急に笑い出す。


「……二人とも。人の誕生日で笑うのは、よくないと思うの」


「いや、わりい」


「なんていうか、いろいろ凄いね、彼」


 二人は直ぐに気がついたようだ。私は普段から彼をあだ名で呼んではいないためか、進藤くんに教えてもらったときも解説されるまで分からなかった。


 何の話かというと、彼の本名の話だ。彼の本名は九十九仁という。ニノマエハジメ、というのは、九十九では一足りなくて切りが悪く、仁から二を取ってきて足しても一余って切りが悪い、ということで、彼の周囲の人間が面白がってつけたあだ名だ。ニノマエにもハジメにも漢数字の一を当てて呼ばれている。


 彼女たちや進藤くんが彼の誕生日で笑うのは、彼の誕生日が奇跡的に名前に一致しているから、ということだ。九十九に二を足して、一〇一。十月一日で、一〇一。確かに凄い偶然だと思うけれど、友達の名前や誕生日を面白がって笑われるのはあまりいい気はしない。


 いや、そんなことより。


「どうしよう。今からでも遅くないかな」


 過ぎてしまったとはいえ、まだ数日だ。せっかくなので、お祝いできるのならそうしたい。


「ちょっとくらい過ぎてたって大丈夫だろ」


「何かプレゼントでもするの?」


 そう。誕生日といえばプレゼントだ。


 私はこれまでずっと、彼にたくさんのものを貰ってきた。それに報いたくて、お返ししたくて、ずっと頑張ってきて。ついこの間、文化祭でようやくそれが果たされた。


 とはいえ、私と彼の間で交わされたそれらは精神的なやり取りのみで、改めて何かプレゼントを、となると何をあげたらいいのか分からない。


「どうしよう。何がいいかな」


「お前の方があたしらよりあいつのこと分かってるだろ」


「でも、男の子が貰って喜ぶものなんてわからない」


「一透ちゃんから貰えるなら何でも嬉しいと思うけど」


 結季ちゃんはそう言うけど、やっぱりせっかくあげるならより喜んでもらえるものをあげたい。


 だが、最近文化祭や彼とのお出かけで出費が重なっているところだ。元々、未だにお小遣い制でやりくりしている身であることもあって、あまり高価なものは渡せない。彼にはお世話になっているので、貯金を切り崩すくらい訳はないが、無理に高いものを用意しても彼は喜ばないだろう。


「あまりお金がかからなくて、心の籠もった男の子が喜ぶプレゼント、何かない?」


「難しいこと言うなお前」


「男子に聞いたほうが、案外早いかもしれないね」


 ふむ。確かにそうだ。さっきついでに進藤くんに相談すればよかっただろうか。


「まあ、あれだ。困ったら雑貨店でも見て回って、気に入ったのを適当に買ってもいいだろ」


「一透ちゃん、センスいいもんね。オシャレに本気出したら凄いと思うんだけどなあ」


 褒められてふふん、と鼻を伸ばしつつ、真咲ちゃんの意見を検討する所まででお昼休みは終わった。

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