ハッピーバースデー、九十九くん②

 午後の授業には、芸術科目があった。私は美術を選択しており、彼は書道を選択している。彼が側にいないうちに人に相談するにはいいタイミングだと思ったので、水彩画の作品に取り掛かりながら同じ班の人に聞いてみた。


「男の人って、誕生日に何をプレゼントしてもらったら喜ぶのかな」


「ニノマエ、誕生日なの?」


 誰に渡したいのかは即座にバレた。女子高生らしい女子高生、相沢さんはニヤニヤしながらこちらを窺う。


「もう過ぎちゃってるけど、何かしたいなって」


「ふぅん? 身体にリボンでも巻き付けて、プレゼントは私ですって言えばイチコロだと思うけどね」


「したことあるの?」


「あるわけないでしょ」


 そんな無責任な、と思うけれど、確かにそんなことまずやらないだろう。九十九くんにしてみたとして、冷ややかな目を向けられる想像しかできない。


「でもやられたら嬉しいもんじゃない? ねえ?」


「一番困るタイミングで振ってくるなよ」


 話を振られているのは同じ班の素朴な男子、森くんだ。野球部で刈り上げられたクリクリ頭がチャームポイント。


「他のやつならともかく、ハジメはそういうとこ堅いから、そんなことしたら怒られるんじゃない? 自分のことを粗末に扱うなって」


 確かに、それは言いそうだ。


「あいつの精神年齢はオヤジなの?」


 相沢さんの評価は厳しいが、彼は誰にでも誠実で真っ直ぐなだけなのだ。


「じゃあ、どういうのがいいかな」


「ハジメの好きなものとかは分からないけど、俺が女子から貰うなら手作りのお菓子とかがいいかな」


「女子に夢見てるやつの発言だよそれ」


「うるせーな」


 二人は揉め始めてしまったが、手作りのお菓子というのはいい案に思える。手作りすることで気持ちも籠められるし、形の残らない消えものは贈る側も貰う側も気負いしなくていいと聞いた覚えがある。


 問題は、バレンタインデーに女子だけで交換会するために、市販のチョコレートを溶かして型で固め直したくらいしか私の経験値がないことだろうか。


「ありがとう、森くん。参考にさせてもらうね」


 とりあえず、候補として検討していくことにした。他にいいものがあればそちらにすればいいし、これだ! というお菓子が見つかればそれを作ればいい。


「うん、どういたしまして」


 彼はそう答えたあと、小さな声でいいなぁ、と呟いた。まだそうすると決まったわけではないけれど、もしお菓子を作ることになったら森くんにもお礼を用意したほうがいいだろうか。



---



 放課後、私はすぐ彼に声を掛けた。


「九十九くん、一緒に帰ろ」


「ああ」


 彼は駆け寄ってきた私をちらりと見ると、短く返事をしながら荷物をまとめて席から立つ。


 彼は寡黙であまり多くを語らず、視線や動作で済ませられる時は声も出さない。


 と、思っていたのだが、文化祭以降、いままでは視線だけで返事していたことも声で返事してくれることが多くなった。打ち解けられた、ということなのだろう。彼が返事をしてくれる度に、私はそれを思って少し嬉しくなる。


 彼と二人で教室を出ると、丁度部活へ向かう真咲ちゃんと結季ちゃんに鉢合わせた。


「真咲ちゃん、結季ちゃん、がんばってね」


「うん。一透ちゃんも帰り気をつけてね」


「ちゃんと送ってけよ。一透に何かあったら許さないからな」


 私も大概ではあるけれど、二人はよく私を過保護にする。真咲ちゃんに釘を刺され、わかっている、なんて真面目に返事している隣の彼も、もしかしたら大概かもしれない。


 私は別に、いつも彼と共に帰っている訳では無い。一人で帰ることが多く、あまりないが二人の部活が休みなら女子三人で並んで帰っている。


 今日は、彼から何かプレゼントのヒントを得られないかと誘ったのだ。プレゼントは何が欲しいか、なんて直接聞くわけでは無いけど、欲しいものはあるか、何か必要としているものはないか、本人からしか得られない情報はあるはずだ。


 学校を出て帰路に着きながら、彼の胸のあたりをじっと見る。そこには、靄の塊がある。ここからヒントを得るのは難しそうだ。


 私は、人の心を五感で感じ取ることが出来る。しかし、五感のうちどの感覚に引っかかるか、どの程度強く感じるか、どう感じるかは刺激次第でまちまちで、制御はできない。どの刺激をどう処理しているのかすら、私自身掴めていない。


 ただ、ある時、私には彼の心に透明な箱を見た。そこに、彼と私の心が混ざりあったものが大切に仕舞われたのを見た。


 曖昧な感覚ではなく、あんなにはっきりとした具体的なイメージで人の心を捉えたのは初めてだった。


 もしかしたらこれは共感覚なのでは、ということも昔は考えていたのだけれど、それによって私の勝手な思い込みである可能性が高くなった。共感覚について詳しい訳ではないので確かなことは分からないけど、きっと、こういう感じ方をするものではないと思う。


 だけど、それでも私には、人の心が見える。


 その私には、今、彼の心は靄に見える。彼と初めて出会った時もそうだった。しかし、文化祭の時にも代休日に行ったデートの時にも、彼の心はきちんとした形で見えていた。


 それが何故か、学校が再開した途端また靄に戻ってしまっていたのだ。彼は靄に見える理由について、いろいろな気持ちを誤魔化して考えないように逃げてきたからだ、と予測していた。


 だから、また靄に戻ってしまった時は、焦って彼の胸元に肉薄してじろじろと観察してしまった。焦るあまり本人にも相談したほどだ。


 だけど、それ以前まではほとんどゆらぎもしなかった靄が、今では感情に合わせて揺らいだり、色がほんのり変わったり、中からからり、と音が聞こえてきたりするようになっていたので、それでようやく私は少し安心した。


 彼は変わってきている。蓄積もされている。ただ、きっと。心を曝け出して生きていけるようになるには、時間がかかるのだろう。それまでは、私が支えて手伝ってあげればいい。あの日の決意を思い出す。


「随分、仲良くなったな」


 私が決意を固め直していると、彼の方から話しかけられてしまった。私がいろいろ聞き出すつもりだったのに。


「真咲ちゃんと結季ちゃんのこと?」


「ああ」


 彼女たちとは、文化祭までは名字で呼び合っていた。文化祭最終日の夜から、私は彼に私のことを一透と呼ぶようにしてもらっているのだが、後日それを見た結季ちゃんが対抗心を燃やしたのだ。


 わたしも一透ちゃんって呼んでいい? と可愛らしく首を傾げて上目遣いで聞いてくる結季ちゃん。じゃあ私も結季ちゃんって呼ぶね、と答える私。あたしも混ぜろよ、と私達を抱きしめる真咲ちゃん。


 それは、私達の青春だった。最後に勝ち誇った目で九十九くんを見ていた結季ちゃんの表情が記憶に新しい。


 私が彼を下の名前で呼ばないのには理由があるからでそこに優劣はないのだけれど、新鮮な表情を見せる結季ちゃんが可愛かったので、何も言わないでおいた。


「九十九くんも、下の名前で呼んだほうがいい?」


「いや、いい」


 彼がその方がいいというのなら無理にこだわるつもりはなかったのだけれど、すげなく断られてしまった。


「埋めてくれるんだろ」


 かと思えば、こんな事を言う。私が君の、足りない一になる。あの日の決意。


「……わかってたの?」


「お前は、分かりやすいからな」


「一透」


「……一透は、分かりやすいから」


「んふふ。そうだね」


 こういうところだ。私のことを見てくれる。汲み取ってくれる。彼のこういうところに、今でもたくさん助けられている。それが嬉しくて、でもあまりに深い所まで汲み取られてしまうのが、ちょっと恥ずかしくて、呼び方を訂正させることで誤魔化してしまう。


 きっとそれも、見透かされているんだろうな。


「九十九くん。何か欲しいものとかある?」


「……進藤か」


 やっぱり、見透かされる。誕生日のこと教えたのは、という意味だろう。プレゼントのことも察してしまっただろうけど、当日を過ぎてしまった今サプライズにこだわるつもりはない。変なものをあげてしまうよりはいい。


「何がいい?」


「別にいい」


 用意しなくていい、という意味だろう。私は彼を尊敬しているけれど、こういうところはちょっと嫌だ。


「私が用意したいの」


 彼の目をじっと見つめる。元々、彼が人に気持ちを伝えるときにしていたのを、私が真似するようになったものだ。ときどき、私たちは目では見えない何かを視線でやり取りする。


「見えているんだろう」


 彼は、そう答えた。何をだろうか、と一瞬気付けなかったのは、彼の目を見つめていたからだ。


 から、という音で彼の胸元に私の視線が移る。靄が少し晴れて、その隙間から中身が少し見える。


 透明な箱と、私と彼の心が混ざり合ってできた結晶。


「もう、貰ってる」


 彼はときどき、自分の心の形を理解して、思い通りに動かすことが出来るんじゃないかと思うようなことをする。私はそれが、ただ一心に気持ちを伝えようとしているからなのだと知っている。


 彼の中で、私と交わしあったものが大きな価値を持っていることを、こんなに真剣に伝えてもらえることが私は嬉しい。きっと、手作りのお菓子でも、何か素敵な雑貨でも、これを超えるものなんてないと私も思う。


「それでも、お祝いしたいの」


 前ほど明白に、彼にこうしたいという思いがあるわけではないけれど。それでもそれが、私の本心だった。


「お前が用意してくれるなら何でもいいから、無理はするな」


「私でも?」


 怪訝そうな目で見つめられる。何を言っているのか分からないようだ。


「プレゼントが私だったら、うれしい?」


 彼の方に両手を広げてそう言ってみたが、返ってきたのは絶対零度の厳しい視線だった。


「あまり自分を粗末に扱うな」


 森くん、大当たり。

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