第57話 君がしてくれたことの話
午後四時になって、文化祭は終了した。下校する人は下校して、三十分後には体育館で後夜祭が始まる。
私は一人で教室に居残っている。今日は一緒に帰れない、と言うと、大野さんと小川さんは頑張れと送り出してくれた。
春のことを思い出す。あの時はまだ、二人とはそこまで仲良くはなかったな。あの時、あの事件で、仲良くなれたから。
君が繋いでくれたんだよ、九十九くん。君に伝えたいことが沢山あるの。
教室のドアが開いて、君が入ってきた。ドアを閉めて、いつもと何も変わらない足取りで、私の隣に座る。
教室内のレイアウトはまだ喫茶店のままだけど、二つだけ、机と椅子を動かして席を作った。
教室の真ん中。私が左で、君が右。一番最初の席。伝わっているのかは分からないけれど、他にも席なんて沢山あるのに、わざわざ隣に来てくれるだけで嬉しくなる。
「今日、どこにいたの?」
答えは、返ってこない。そうだろうなとは、思っていた。何度かメッセージを送ったけど、返事は返ってこなかったから。
「写真、どうだった?」
だから私は、たくさんの写真を送った。面白いものを見つける度に。楽しいことが起きる度に。
「楽しそうだと、思ったよ」
少し、間をおいてからそう言った君の声は、ひどく弱々しかった。俯いて動かない君の心の靄は、少し、震えている。
「九十九くんと一緒にも、回りたかったな」
「……そうか」
少し震えが、強くなった。それは君が、何を感じているからなのか。
知りたい。でもまずは、伝えなきゃ。
「九十九くん」
相手の方を見て、目で、姿勢で、表情で、声で、言葉で。いろんなものを使って、想いを伝える。君が教えてくれたこと。
大野さんには、怒られてしまった。彼女があの時欲しかったのは、私の言葉だったから。
だけど君には、見てほしいの。上辺だけの真似じゃない。君のくれたものが、私の中で生きてるんだよって、宝物になってるよって、伝えたい。
「ありがとう」
「俺は、何もしていない」
「ううん」
思い出す。これまでのこと。君がくれたもの。
「心が折れてしまいそうになった時、君が真っ先に気づいてくれた。私の手を取ってくれた。一人で歩き出せるように、温かい言葉をくれた」
その温もりに支えてもらった。君の言葉が光になった。君が今、挫けてしまいそうなのかどうか、頭の悪い私には、分からないけれど。
そうでなくても。返す時は今なんだ。
「何も言えなかった私から、気持ちを引き出してくれた。大野さんに届けてくれた。私達の絆を、守ってくれた」
心の靄が揺れる。私は、あのときの君みたいに、心を投げかけることが出来ているかな。
「ありがとう。九十九くん。いつも私を助けてくれて」
「違う」
苦しそうな声だった。白くなるまで固く握られた手が、震えている。心の靄と連動するように。
「買いかぶり過ぎだ。俺は、そんなんじゃない」
「でも、してくれた」
「違う」
喘ぐみたいに、苦しそうに、言葉を紡いでいく。そんな風に、しないで欲しい。苦しまないで欲しい。
でも、何も言えなくなってしまったあのときの私と違って、彼は話そうとしてくれているから、聞かなくちゃ。
「俺があの日、小川を呼んだから、皆の気持ちを煽った。忙しいなか遅くに顔を出してくれた大野が、あまり進んでないって、やること無いなら帰っていいって、そう言うのを聞いたから、あいつに報いようって皆が動いた。その結果が、あれだ」
知らなかった。私が小川さんと君に、見てるよって言った日。その日は私も一緒にいたのに。その後も、多少距離が離れたりしても、大体同じ教室にいたのに。
私は何も気づかなかった。でも確かに、文化祭まではまだ時間があって作業量は少ないからと緩んでいたみんなの空気が、あれから少し変わっていた。言われてみるまで気が付かなかったけど。
「お前を追い込んだのも、大野を追い込んだのも、本を正せば全部俺がしたことだ。感謝をされるような筋合いはない」
「違う」
今度は私が否定する番だ。そうだ。君も、そうしていた。認めてしまったら大事なものが損なわれてしまう時、君はちゃんと否定していたんだ。
「きっかけが九十九くんなら、その後も全部九十九くんの責任なの? クラスの皆が間違えてしまったことも、大野さんが間違えてしまったことも全部君のせいで、トラブルの処理をしなきゃいけなくなった代わりに予定より良いものになった部分だけは、頑張った皆のおかげなの? そんなの、卑怯だよ」
ようやく顔をあげて、こちらを見てくれた、その顔は痛みに歪んでいる。心の痛みに。
「自分のしたことが招いた事態を、自分で片付ける。そんなもん、マッチポンプもいいところなのに。それすら上手く出来なくて、周りの人を巻き込んでおいて、起きたことは皆のせいで、解決したのだけ俺のおかげだなんて、それだって卑怯だろ」
うん。わかるよ。九十九くん。あの日、私もそう思ったの。自分に都合のいいように、何を仕方ないって諦めるか決めて、それに甘えることが卑怯だと思ったから。だから私は、君が差し出す優しい日陰から逃げ出した。
でも、違うよ。
「私は君が悪くないなんて言ってないよ。全部が全部、君のお陰なんて言ってないよ」
きっと、皆少しずつ間違えていた。だけど皆、少しずつ頑張ったから乗り越えられた。全部が全部、誰かのせいでも誰かのお陰でもないんだ。だから皆で作った文化祭なんだ。
そんな事はわかってる。そんな話はしていない。
「私は、君が私にしてくれたことの話をしているの」
見つめた瞳が揺れる。心の靄が固まっていって、次第に自分の心を刺し始める。
まるで、痛めつけなければいけないみたいに。
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