第3話 紛失

 四限目は体育だったので、三限目が終わったあと、女子更衣室へ向かった。


 更衣室、と言いつつ、クラス教室の半分ほどの大きさの空き教室を更衣室として使っているだけなので、普通の教室と同じ机や椅子が配置されている。


 着替えたあとはそれらに適当に荷物を置いたまま移動するのがいつもの流れだ。


 スマホや財布など、貴重品だけは別のポーチなどにまとめて、授業中は先生に預かってもらう。噂だけれど、むかし盗難騒ぎが起きたことがあるらしい。


 今日の授業内容は体育館でバスケットボ―ルだったので、貴重品ポーチと体育館シューズを持って移動しようとする。


 今ここで履き替えられれば荷物が減るのだけど、廊下と体育館で使っているワックスが違い、混ざってしまうと危険だからと、上履きと体育館シューズの履き分けを徹底するよう言い含められている。


 混ざるとどう危険なのかは、教えてもらわなかったので分からない。


 そんなどうでもいいことを考えていたからか、隣の女子とぶつかってしまった。


 彼女は運動前に水分補給をしようとしていたところだったようで、水筒の中身を少しこぼしてしまう。


「あっ、ごめん」


 慌ててハンカチを差し出す。一度受け取ってから、借り物で履物を拭くわけにはいかない、という顔で返してくれた。


「上履きと靴下がちょっと濡れただけだから、大丈夫」


 怒ることなく優しく対応してくれた彼女は、しかしどうしようかと困っているようだ。喉に引っかかるような苦みを感じる。これは、困惑の味。


「ほら、雑巾」


 二人して戸惑っていると、別の女子が教室の隅から雑巾を持ってきて、濡れた床を拭いてくれた。


 私がぶつかってしまったのが、小柄で大人しい、小動物のような少女の小川結季さん。やや癖のある亜麻色のショートヘアが可愛らしい。


 雑巾を持ってきてくれたのが、スラッとした長身美人の大野真咲さん。ダークブラウンの長い髪をたなびかせて歩く様子は品があるけれど、口調は男勝りで格好いい。


「足はもうどうしようもないな。ほっときゃ乾くだろ」


 大野さんも怒った様子はなく、やれやれとばかりに助けてくれた。その様子に小川さんがホッと安心したのを見て、私も少し落ち着くことが出来た。


「靴下は脱いでいけないけど、上履きだけでも、体育の間ここで乾かしちゃダメかな」


「出来るだろうけど、移動中はどうすんだよ」


 上目遣いで控えめに確認する小川さんに、当然の質問を返す大野さん。どうする、というなら、私の不注意で起きた問題なのだから、私が手を貸すべきだ。


「小川さん、私とそんなにサイズ変わらないよね? よかったら、私の上履き履いていってよ。私はここから体育館シューズ履いていくから」


 でも、と申し訳無さそうにする小川さんに、元は私のせいだから、と上履きを押し付ける。


 靴下で歩き回る訳にもいかないし、バレてもそこまでは怒られないだろう。


「ならせめて、三人固まって行こうぜ。一人でいるよりバレにくいだろ」


 大野さんも後押ししてくれた。彼女と話したことはまだあまりなかったが、こういうのを姐御肌というのだろうか。すごく頼もしく感じる。


 それから、開け放った窓の側に机を一つ寄せ、その上に上履きを乗せて乾きやすくしたあと、私達は体育館へ向かった。


 失敗すると慌ててしまってすぐに対応に回れないのは私の悪いところだと思う。


 だが今回は、二人のお陰で大事にならなくて済んだ。


 次の時は自分の失敗は自分でちゃんと取り戻そう、なんて、そんな決意をした。そもそもこの件がまだ終わっていないことには、授業が終わって、更衣室に戻るとすぐに気がついた。


 上履きが、置いていたはずの場所にない。


 次の時は、なんて思ってからまだ一時間も経っていないというのに、私はまた、頭が真っ白になってしまった。



−−−



 まず女子全員から話を聞こう、と息巻いていた大野さんを、小川さんが止めた。


「まって、あんまり、大事にしたくないの。なんとかわたし達だけで見つけられないかな……」


「そうは言っても、どうやってだよ。見当もついてねえのに」


 ここまで来て、ようやく私の頭は回りだした。


 最後に更衣室を出たのは、濡れた上履きをどうするか話し合っていた私達だったはず。


 そして、授業後最初に戻っていった女子が誰かは、私が見ていた。急いでその子に確認を取ろうと提案する。二人もそれで了承してくれた。


 だけど、結果として、成果はなかった。確かに更衣室に戻ったのはその子が最初で、他に人は居なかったが、上履きも見ていないという。


 窓際に乾かすように置いていたのだ。目立つと言うほどでもないけれど、目に入らないこともないだろう。


 大野さんはまだその子を疑っていたけれど、私にはとても嘘をついているようには見えなかった。


 私に見えたのは、淡い桃色が暗い焦げ茶色の靄をまとっているような、相手への心配と不安の色だ。


 大丈夫? 何かあったなら、私も手伝うけど。


 そう言う彼女に、小川さんがなんでもない、と返したので、彼女を巻き込むことはしなかった。


 しかし、当てもなくなってしまった。振り出しに戻る。念のため更衣室内も改めて捜索したけれど、やはり見つからなかった。


 状況を整理する。やらなければならないことは、無くなった上履きを見つけ出すこと。しかし当てがなく、どこを探せばいいか分からない。小川さんの意を汲んで、人海戦術は使わない。


 となれば、私が出来ることは決まっている。


 例え一人ででも、学校中をひっくり返してでも、手当たり次第探して見つけ出す。その先にどんな思惑が潜んでいても立ち向かう。


 我ながら頭が悪いと思うけれど、他に何も思い浮かばないのだから仕方ない。


「元はと言えば私のせいだから。私に任せて」


 そう二人に告げて、連絡先を交換して見つけたら報告出来るようにしてから、不安を振り払うように、私は駆け出した。

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