第12話 九十九くん生態調査報告②

 そう言えば、これもあった。彼のあだ名について。


 ハジメ、というあだ名の由来は、進藤くんに聞いた。彼が言うには、男子の冗談からついたあだ名とのことだ。


 九十九では、一が足りずに切りが悪い。名前の仁には二が含まれているけど、それを足すと一が余ってやはり切りが悪い。


 足りない一は僕らが呼んで埋めてあげよう。


 そんな男子のおふざけから、漢数字の一を当ててハジメ、と名付けたのだそうだ。


 更に、これは進藤くんに聞くまで知らなかったのだが、もう一つ、女子のつけたあだ名があるというのだ。


 由来も文字も一緒だけど、ハジメだと気安く下の名前を呼んでいるようで抵抗があるからと、一部の女子はニノマエと呼んでいるらしい。


 一部の女子は、とは言うが、そうでない女子はそもそも彼の名前を呼んだことがないだけらしく、女子はニノマエ、男子はハジメと呼ぶ風潮が既に出来上がっているのだとか。


「ニノマエハジメが本名だと思っている人も、もしかしたらいるかも知れないね。僕の知る限りは、例外は君だけだし」


 とは、進藤くんの談だ。


 私が九十九くんに話しかけると時々不思議そうな感情を持つ人がいる人がいるのだけど、あれは九十九くんに話しかけるのが珍しくてではなく、九十九くんと呼んだことに対してだったりしたのだろうか。


 私は、人の名前を揶揄するようなあだ名で呼ぶのはどうなのか、と抗議した。そしたら、先生にも言われたと笑っていた。


 笑い事ではないと思うのだけど、しかしそもそもなんで私があだ名のことを聞こうと思ったのかといえば、実は体育祭の種目決めのとき、黒板に書かれたハジメの文字を、担任の先生がなんの疑問もなく処理していたことがきっかけだった。


 先生まで黙認しているのかと聞くと、本人が了承してるから、と言われた。本人とはもちろん、九十九くんのことだろう。


「ハジメが嫌なら、もちろん僕たちはやめるし、謝罪もする。そう言ったら、先生が本人に意思確認したんだけどさ、ハジメ、なんて言ったと思う?」


「別にいい、とか?」


「八十点」


「答えは?」


「なんでもいい、ってさ。凄いよね」


 そんな会話をした記憶がある。あの時は絶句してしまった。最近慣れてきたと思っていたが、思い上がりだったかもしれないと反省したものだ。


 今でも自分の名前をなんでもいいと言えてしまうのには反感を覚えているが、私にとやかく言う資格はない。


 それというのも、


「本当にどう呼んでも自分のことだと気づいてさえくれたら反応してくれるから、試してみるといい」


 という進藤くんの甘言に唆され、私も少し試してしまった事があるのだ。


 そう。これが生態その三。


 自分が呼ばれているということさえ分かれば、どんな呼び名にも反応する。


 ある日、朝早く登校し、隣の席に座る九十九くんの袖を軽く引っ張りながら、つーくん、と呼んでみた。特に意味のある呼び方ではなく、頭にふと浮かんだものをそのまま口にしただけなのだけれど。


 確かに、何? と返事してくれた。返事はしてくれたけれど、その変な呼び方は何だ、とか、何を企んでいる、とかが含まれた何? だった。


 流石に彼を玩具にしているような罪悪感を覚えてすぐに引っ込んでしまったが、もう少し試したいのを我慢できず、仁くん、とまたすぐに声を掛けにいった。


 連続だったので流石に訝しげではあったが、つーくんの時程の警戒心は感じなかった。ただ、返事は口でなく目だけでされてしまった。


 その時たまたま数学の宿題で分からなかった問題があったので、ついでに彼に聞いてみたら、「どの問題?」という質問と、私の感謝に対する「別にいい」という返事はジェスチャーだけで伝えてきた。


 その割に解き方の解説はちゃんと口とノートで教えてくれたので、その件があって彼の生態をもう一つ理解するきっかけになった。


 九十九くんの生態その四。


 なるべく視線や手振りなどでコミュニケーションを済ませ、必要な時は短く喋り、どうしてもちゃんと話さなければいけない時だけ、なるべく一回で済むようちゃんと話してくれる。


 喋るのが面倒なのだろうか。


 それを知るきっかけになったから、呼び方を変えてみたことは無駄ではなかったけど、それでももうきっと二度としない。


 この一ヶ月での調査結果はこんなところだろうか。知ったことは多いけれど、目的は未だ達成できていない。


 だがまだ一ヶ月だ。焦ることはない。


 人の気持ちに報いられるようになりたいのに、わざわざ事件を起こしたり、起きるのを望むのでは本末転倒もいいところだ。彼の普段のふるまいから、その心の有り様を盗めばいいだけなのだ。時間をかけて。


 そのために、これからも出来ることをしていこう。HRの時間になり、先生が教室に入ってくるのと同時に本を仕舞う彼の手付きを観察しながら、そう思った。

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